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“節目”という言葉がある。

「ふしめ」、「せつもく」の二通りの読み方ができるようで

「ふしめ」と読むと
「木材・竹などの節(ふし)のあるところ/
ある事柄の区切りとなるところ」の意味となり

「せつもく」は「草木の節(ふし)のこと/
小分けにした一つ一つの箇条のこと」の意味として用いられると言われ

「ふしめ」というのは、「せつもく」よりも
大きな区切りを意味するようだ。

日常的には「ある事柄の区切りとなるところ」の「ふしめ」としての登場が多いのかなと思ったりする。

人生の節目を迎えている、業界にとって節目の年となった、公開される節目の年となる、
節目のお祝いをした、などと用いられる背景もさまざまだ。

英語であればturning pointやmilestoneがそれを担うのだろうか。

都度の場面や、真実が人の数だけ存在するように自らの予測と想いで創造する場面を前にして身構える自分もいるだろう。

所謂、それらに向かって準備をしてる感覚は拭えない。

意思がおよぶ場面では尚更だ。

ひとりひとりが思い描いた姿に向かって自分の節目を計画的に時には偶発的に準備している訳だが大人達が用意してくれた場面もあったのだろう。

気がつくと自分の想いをたずさえて先人の
やり方やまわりの環境も横目にみながら新しい
自分と会わなきゃ、会いたい、会えるはずだ、そう信じて時と共に歩みだすこととなる。

小さくとも偉大な一歩を踏み出す。

果たしてそのとおりになるかと言えば多種多様な障壁も少なからず登場し、想いとは違う絵姿の出現に身震いする時を知る。

迷いながら“我”を小脇に抱えて一歩を信じ
あきらめず手数を変え挑む。

その繰り返しが自らをイキイキとまわりをも
ワクワクさせてるとは露知らず夢中になる。

いまこの瞬間を、新たな節目を迎える自らに会うために・・・生きる。

そう、行けばわかるさ!






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