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すべてのことに期限を設けよ
もう多くの人にとっては記憶の彼方かもしれないが、2019年は元号が変わるタイミングで4-5月に10連休があった。
このときまで、公の休みとしてこれほど長く休みを与えてもらったことはなかった(と記憶している)ので、休みに入る前からウキウキしていた。
とはいえ、どこかに旅行するわけではなく、日々できないことをしてみたり、ゆったりしたり、人と会ったり、と「普段疎かにしがちなこと」をするには最適な期間だった。
そのため、事前に綿密な計画を立てた。
10日間は長いようで短い。短いようで長い。普段の土日や3連休程度であれば、あっという間に終わってしまうかもしれないが、10日もあるのだ。
計画は詰め込みすぎず、ほどほどに自分の仕事もしながら(これでは休んでいないのではと思われるかもしれないが、日々の実務の中で誰も困らないからと後回しにしていることも多々ある)過ごした結果、大変に満足な時間を過ごせたと感じている。
これは、10日間、という区切りがあったからと思う。
このコロナ禍で、3月はまだ半信半疑で出歩いてみたり多少自粛してみたり、4月になっていよいよ本気で行動を起こさねば(行動しないという行動)と思いほぼ出歩かなくなり、5月には先の見えない自粛生活を余儀なくされた。
筆者には4-5月の記憶があまり残っていない。
今思えば、わかりやすい感動体験や刺激的な仕事がなかったこともそうだが、終わりが見えない何かに支配されて自らの行動を自らで決めることができなかったように思う。
今日も自粛、明日も自粛。外に出るのが怖い。
この生活はいつまで続くのだろう。
でもその生活に甘えもあった。やろうと思えばできたことを後回しにした。時間はたっぷりあったはずなのに。今日やらなくとも明日できる。
6月に入り、無理やり自身の生活を日常モードに戻そうとした。外出もするようになったし、仕事の時間も伸びたことで感覚は戻ってきたが、同時に、4-5月に何をしていたのだろうとも思う。
もちろん日常的な仕事はあったし、営業停止等で資金繰りに窮しているクライアントにはいつも以上に手厚く対応をした。給付金や助成金の類は、すぐに対応していた。それでも、やはり空虚な日常を過ごしていた感覚に陥るのだ。
期限や区切りがないと、人は(少なくとも自分は)頑張れないのかもしれない。
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