仙台の押し売りと「一緒に飲みたい人には飲みたいと言ってみるもんだな」と言う話
1.14仙台行ってきました。
が、仙台以外の話も含むので長くなります。
日程出た時点で「これは行きたいなぁ」と思っていたが、ぐだぐだ迷いに迷い、ホテルとチケットを取ったのが14日の朝10時。
「DDTに関しては、現場の数は逆に遠征をたまにするくらいでいいのではないか」理論を提唱しつつある私に取ってはいい機会であった。
と言うのも、私はでけえ会社の人事総務土方をやっていて、最近はとりわけ仙台付近の住所、拠点の名称を目にすることがやたら多く、毎日毎日仙台に何か呼ばれている感覚がしていた。
これに類似した経験。8年前、貿易の仕事をしていた時は博多付近で通関切ることが多かったので勝手に博多に呼ばれた気分になり、突発的に博多に一泊二日したことがある。その時はNUMBER GIRLの「URBAN GUITER SAYONARA」を聴きながら3号線を「狂う目から可愛しいへ向かって」(久留米から香椎へ向かって)気分を味わってみたこともある。香椎のコンテナターミナル付近を歩いたのかな。
※これは是非無常の日に聴きたかった。
と言う過去の経験も踏まえると、もはや会社にいるだけで仙台を押し売りされている今、仙台に行かない理由がないとも言えないのである。
名掛丁、宮城野、花京院、広瀬通、国分町、、、、うん、だいたいその辺のホテルの領収書はいつも見てる。それが一体どこでどんなエリアなのかを気持ち答え合わせしに行く気持ちもあった。
昨年の夏に多賀城にも行っているがその時は日帰りで大して何もしていなかった。散歩くらいかな。何せ七夕祭りの時期で宿が全滅だったので、泊まる選択肢を失ったことも大きい。
今回は当日なんとか仙台駅から歩ける安宿を取った。実際泊まったのは駅から近いという理由で花京院。オフィス街であり、住宅街であり夜はおとなしいところだった。
午前中は御徒町にいつもの用があったため、御徒町でプロボノ案件の会議をしたあとに向かうことに。いつもの友人K氏には「これから仙台行ってくるから!」と告げた。15時には着くつもりで宿のチェックイン時間も考えていたのに、リカレント教育の願書の書き方などアドバイス受けてるうちに出る時間が遅くなる。しまいには新幹線のチケットを間違えて自由席で買ってしまい、はやぶさこまちに乗れなかったなど。よろしくない。
新幹線のなかでは原稿やりました。
と言うのも朝ちらっと知り合いの人たちに連絡し、「(概論)誰かいますか、いるならビール飲みたいです」とこちらから連絡差し上げたにも関わらず、もろもろ遅れるし、話があれよあれよと進んでいて宴は始まっており、仕舞いには指定された店を2度くらい通り過ぎるテンパり方。申し訳ない。
時間を守れず落ち着きがないADHDの悪い所が全部出てしまった。
結論きちんと合流出来て、頭下げて、うまいつまみにビールと緑茶ハイ。滞在45分。
それにしても「飲みたいと言ってみたところ」こんな素敵な事態に巻き込まれることになったのはありがたいですね。言ってみるものですね。もちろんTPOはありますけど。
現場のことはざっと言うと
・吉村がいないハリマオは寂しいしかないが、でも、樋口くんも石田くんもとても素敵だった。
・遠藤高鹿の試合は見たかったので見られて良かった。高鹿くんすごく頑張っていた。
・最後井上大部長とやりやった岡谷くんにかなり期待したい。めちゃくちゃかっこよかった。
・結びとして、井上大部長はもはや「伝説の生き物」なのかもしれない。
以上。
井上大部長、本当に伝説の生き物か?と思う瞬発力、頭の回転の良さ、ビジュアル、対応力、変態さを持っているのだろうなとやっと自覚した気持ち。
そんな伝説の生き物を週に1度のペースで拝んでいた6ヶ月間だったが、「これはこんな伝説の生き物をこんな短期スパンで見られていたことが時空バグってたのでは」なんてなんとなく思いました。でも認知されたかったので仕方ない。それはそれで仕方ない。己の浅はかな自己承認欲求はいつだって醜い。
前にも書いた通り、こんなにみんなに愛されて愛されて同担拒否マウントバチバチになってもおかしくなさそうだと些か勝手に考えていた私だが、私の周りにいてくださる宮城県方面を漂わせている人たちは、なんかなんとなくよい人達な気がしている。(以下の記事で書いた)
この時も全く初対面の人も含めて昼飲み,夜飲み,偶然にも翌日の昼食と最後新幹線のお見送りまでしていただいた。上野駅でパンダの何かでも買って行こうとしていたけどそんな余裕もなくなんのお土産もなしに北上したことも含め、うむ、35歳もう少し大人になろうぜ。と思いました。無理だと思うけど。いかんせん年齢が年齢故最近は公私共に歳下の人たちと接する、飯食うことが多いところ、今回は(一方的な感覚で)お姉さん達に面倒見ていただけた気がして嬉しかった。でも私、歳下の人たちにいつも面倒見てもらってるな。特に職場。結局面倒見てもらってるな。ハハッ!(cv.ミッキーマウス)
「面倒見がいい」とはよく言われたものだがそれも一つ「呪いの言葉」であったかもしれぬ。「そうでないといけない」に縛られていらぬおせっかいをしがちなら、そんな呪いも捨ててしまいたい。けど、面倒を見なきゃなーと思える場面も生きていればところどころ出てくるので、捨てるのもまた違うか。
いや、というより「面倒を見る(他人に気を使う)」事で自分を保っている人間も中にはいると思うので、そこはお互い様あまり気にしなくていいのかもしれない。ただ「そこに居る」事が1番辛かったりするものだ。居るのはつらいよ。
東畑さんの本も他読みたいやつ何冊もあるのに。
以下とりあえず写真で埋める。
人のホテルの領収書で見慣れた地名もだいたいなにがどこにあるのか点と点が線になりつつあった。
仙台の駅前と宮城野区ちょろっとしか行っていないけど、仙台良いところでまたすぐにでも行きたい。国分町の繁華街は東京に比べて道幅広くまだ歩きやすく、かつ地下のスナックなんかが多い感じ。若者たちがたくさんいたけど東京の若者の方が確かにもっとオラついてるかもな。あんまり地方行かないけど、地方の中心部はとにかく道幅のあるアーケードが繁華街って感じで、東京みたいに高層ビルが乱立していないからか空が広がった。
次の遠征の可能性としてはライムスターイズインザハウスの仙台があれば倍率上がるだろうけどそれ行きたい。
今回の旅の巡り合わせは井上大部長のSZKがものをいう結果だったと思いますが、それだけでもなくそこに集う皆様方のあたたかさが1番大きかったのではないかと思います。
その一方、私は2月末の社内身内飲み会の為にまた店探しをしています。このメンツも私が飲みたいと思ったひとで、それぞれではなんとなく面識ある人たちを引き合わせたメンバー。全く同じタイミングでみんな同じ部署で働いていたとかはない。まあ多分いけるっしょ。というメンツで集まりだしてから次が3度目。5人の予定合わせるのは難しくてね。でもコレも言ってみた結果の話。続いてはいるから言ってみるもんだし、やってみるもんね。
と、複数日に分けて書いていたら、1/19に突然のニュースが。私が一方的に頼りにしていたマネージャーが1末で辞めるらしい。5月に赴任してきてからチーム内の風通しも良くしようとされてきた。他の上司とはまた違ういい意味での適当さとチャラチャラした感じがありつつ、仕事の面でも違うことは違うと言ってくれたと同時に私の性格やスタンス、内面に持っているものをたくさん褒めてもらえた。私は割と言葉遣いがサバサバしているんだけど「みんな言葉遣いが遠回しでそんなに気を遣わなくていいのに、と思うところみるくさんは言いたい事ストレートに言うところがわかりやすくて好きだ」とか。仕事上でも考えている事が近かったり、自分がチーム内でどういう存在になって欲しいのかの指針も示してくれた。異動してこういうことしたい、という話も聞いてくれた。レオパードの服が好きで(笑)レオパのスカート履いて行くと褒めてくれた。それ以外でも服は褒められたな。お昼も誘ってご一緒したし、喫煙所で会った時も祖父が亡くなった後の話をなんとなく聞いてくださった。
何より本当に困窮していた時にヒエラルキー飛ばして相談しても怒らなかったし、困った時には同じチームなんだから声掛けてよ。と言ってくれたことがどれだけ力になったか。
私以外にも節々でマネージャーに力を分けてもらった人はいると思う。
一報を聞かされた時はショックで涙も出そうになった。「はー、1回くらい一緒に飲みに行きたい人だったなー。」と思ったわけなのだが、それであれば声をかけてみるしかないのだ。何せヒエラルキー上から下に飲みに行こうなんて簡単に言えない時代ですから、そしたら下から上に声かけるしかない。尚更これから辞めるって人がわざわざ飲みに行こうなんて言うかと言ったらそんな事はねえ。
そもそも会社の人間全員と縁を切りたいなら話は別だか、そこは様子を伺ってみないとわからない。今日オフィシャルで1-1が組まれているので、第一声「最終出社日に飲みに行きませんか?」で始めてみようかと思う。
書いていたらまた寂しくなってきた。
そういう感じでサラリーマン、SHOW MUST GO ON.
そろそろ起き上がりますか。
「みなさん、よくぞよくぞ金曜日まで辿り着きました!」
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