メルロ=ポンティの「哲学」

『メルロ=ポンティ 可逆性』のエピローグを読み終わって、ソファーから立ち上がると、突然踊りたくなった。
踊りとも呼べないくらいぎこちないそれは、メルロ=ポンティの哲学の様相を私に強烈に伝えた。
その感覚をここに記しておこう。私はいつも思うのだ。私の感覚だけが優れていて、それ以外は評価さえできないくらいに優れていないと。

私が感じたのは果てしない宇宙からの拘束である。もう少しわかりやすい言い方でいうと、なんだか濃厚な否定性というか、肌感覚というか、そういうものが私の全身を包み、「ああ、これこそが宇宙的な人間である私なのだ」と思った。
私は宇宙の中にある。宇宙は真空であるかもしれないが、ここには何かがあり、私の肌を撫でていて、全身を等しく撫でていて、ここには液体があるような、少し粘着質な液体があるような気がした。
なんというか、それは心地のよい否定性であった。
最後期のメルロ=ポンティの哲学は「脱-哲学」であったらしい。
そのことについて鷲田清一はこのように書いている。

存在の裂開についての思考(=現象学)が存在の裂開として起こる
<中略>
「世界の肉」についていわれるこのことを「歴史の肉」の次元でいえば、歴史についての思考が歴史のうちで起こる、社会についての思考が社会のうちで起こるということであろう。
そしてその循環こそが哲学が深く側鉛を下ろさねばならないものだ。
『メルロ=ポンティ 可逆性』310ページ

またもっと簡単な表現で言えば、

とらえるものがそれがとらえるもののうちにとらえられる
『メルロ=ポンティ 可逆性』 、310ページ

という循環に哲学は深く存在せねばならないのであり、それゆえ

「問題になるのが物であれ、歴史的状況であれ、哲学はそれをよく見つめることをわれわれに再三再四教えこむ以外のいかなる機能ももたないのであり、哲学が実現されるには、それだけ切り離されて存在するような哲学が破壊されねばならない」
『知覚の現象学』

と言われるのである。これは荘厳、あるいは権威的な哲学体系は存在せず、ただ何かとの関係の中で生じざるを得ないものの蓄積だけが「哲学」と呼ばれるべきであり、体系を「哲学」と呼ぶとするのなら、私たちは「脱-哲学」、つまり体系化することではなく体系化されることを地盤として、その上に哲学を生み出していくことにこそ「哲学」という名前を冠するべきであると言っても良いということをメルロ=ポンティは主張していたと言えるのではないだろうか。いや、主張でさえなく、私の両肩を持ち、そう言っているのである。そしてこう言う。

君はこの私の両手が君の両肩を掴み、そして私の声を震えとして聴き、私の呼気の暖かさを心臓の激しさによって理解しているだろう?

と。
この「体験」を現実的なものと見たとき、哲学がある種唯一の能動性を獲得するのは、可能性を基盤として現実性を捉えるときではなく、現実性を基盤として可能性を捉えるときである。
同じことをこの本でもメルロ=ポンティか、それか鷲田清一が言っている。

メルロ=ポンティは、現実的なものを可能的なもののうえに基礎づけようとする近代の科学主義をそっくり反転させて、可能的なものを現実的なもののうえに基礎づける、通常の実証主義よりもはるかに徹底した「現象学的な実証主義」をめざしたのであった。それがふれようとしたのは、究極の基底とか最終的な根拠の上に立つのではなく、事実的な偶然性を深く内蔵としているものであるがゆえに、<根拠>(Grund)ではなくて<地盤>(Boden)なのであり、したがって現象学の「試み」はその根拠なき深淵(Abgrund=無底)へとはてしなく沈降してゆくものであった。
『メルロ=ポンティ 可逆性』297ページ

この意味でメルロ=ポンティが現象学を「一つの学説や体系であるまえに、一つの『運動』だ」(同書、86ページ)と称したことの意義がよくわかるのである。

と、メルロ=ポンティの「哲学」観、「現象学」観に関するものになってしまったが、私を襲った極めて異質な感覚、それは彼がいつも微かに教えてくれていたものだったのだが、さっきは急によく分かったような気がしたのである。今も少しはそのような気がするが、それはもはや記憶となり、経験として反復されてしまった。
だからもう一度、「見つめる」ことを学び直すのだ。そしてこれを繰り返すことでやっと、「哲学する」ことが彼に許されるのである。

とらえるものがそれがとらえられるものにとらえられる
『メルロ=ポンティ 可逆性』、310ページ

というのは、「お前は頼むから私の書き物を読めるようになってくれよ」という強い「要請」、つまり懇請だったのであり、それだからこそ彼はいつも体系を拒否することをただ拒否することとしてではなく規範を示すこととして私に示してくれるのである。

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