オカルティック遺伝子

ホメオティック遺伝子を知っているだろうか。
ある生物の特殊な遺伝子でその生物の生存に大きく関わる遺伝子のことである。
人間に備わったホメオティック遺伝子。それはオカルティック遺伝子であるように思える。
それは、オカルトを真に否定できないその性質のことである。
僕たちはオカルト、例えばお化けを信じるか信じないかの選択はできるが、その存在の否定はできないようになっている。ような気がする。
けれど、僕たちはオカルトを信じる信じないは選択できても、オカルトそのものの存在を否定することはできない。

不思議と、夜の山は怖い。木の葉のざわめきが心にリンクするのかもしれないし、ただの闇である山の夜が怖いだけかもしれない。けれど、その感触がオカルトという言葉や概念と接続してしまうのだ。まるで、ワイアレスイヤホンのように。僕たちは夜の山でオカルトと自ずからリンクする。

ここまでの話は前置きでオカルトとリンクするといいことはなんなのだろうか。
オカルトを何と捉えるか、それは人それぞれでいいと思うけれど、その霊的リンクの中に僕たちは何を見ているのだろう。
概念の選択圧というものはある。選択されなくなってきた概念は選択圧によって姿を消す。その直感は人の心に残したまま。
僕はオカルティックな遺伝子がそれを心に残すためのものであるように思える。
たしかに、今、ここでは役に立たないかもしれないけれど、いつか、どこかで役に立つかもしれないから、遺伝子はそれを知っていてその概念を残す。それの一番良い策がオカルトにしてしまって、畏敬のある恐怖としてそれを残しているのではないだろうか。
僕は遺伝子の中の数%しか僕たちに発現しないというのはその数%以外が必要ないというわけではなくて遺伝子は名前がつかない何かを作っていると思っている。それがオーラだったりすると思う。

僕たちの中にオカルティックな遺伝子があり、それが概念の保存に役立っている。

僕の話はそんなにオカルティックだろうか。そう思う人はオカルティックな遺伝子が発現していないだけなのかもしれない。

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