言う者は知らず。百姓は日に用いて知らず
いきなりですんませんけど、とりあえず、馬祖道一という中唐の頃の禅僧の話を読んでもらいたい。
僧が馬祖に問うたんです。
「ごちゃごちゃ言わんとわたいに西来意を直に指差しとくなはれ」
馬祖は、
「わし、気ぃ乗らんよって、智蔵に問うてくれ」
僧は智蔵に問うたんですな。智蔵は、
「おまはん、なんでおっしょうはんに問わへんのや」
僧は、
「おっしょうはんがあんたはんに問いにいけ言わはったんですわ」
智蔵は頭さすりもって、
「今日は頭痛いんや、おまはん、懐海師兄に問いにいけ」
そんで僧は懐海のとこに行って問うたんですな。懐海は、
「わしにはわからへんがな」
そんでもって僧は馬祖にいきさつを伝えたら馬祖は、
「智蔵はなかなかやりよる。懐海はエラいやりよる」
と言うたんです。
まあ、ほんまに何のこっちゃとお思いになったはると思います。
まず西来意ってなんやねんと、西来意というのは祖師西来意の略したもんで祖師いうんはダルマはんのことですな、ダルマはんが西つまりはインドから来はらはったわけはなんでおまっしゃろ、という禅とは何ぞいやちゅうことなんですわ。
そんで、ダルマはん何しに来はったかちゅうと直指人心見性成仏、直に人の心を指差して(仏)性を見せて仏に成らすためで、僧が馬祖に訊いたんはズバッとわたいにやっとくなはれ、ちゅうわけなんですな。
「気ぃ乗らん」
「頭痛い」
「わからんがな」
そんなんでええんかと思わはるやもしれんけど、聡い人はそれは、
「知る者は言わず。言う者は知らず」
ちゅうヤツやなとお思いになった人も居たはるんやないかいなと、知者不言。言者不知。はこの後に和光同塵に続くので何となく読んだことのある人も居たはると思います。まあ、和光同塵がないを言いたいのかわからんのですけど、それはともかく、知者不言。言者不知。は荘子にも出てくるんですわ。
知という人が無為謂という人にたまたま出会って知は無為謂に訊ねはった。
「何を思うて何を慮ったら道を知れますか。どこでどないしてたら道に安らげますか。何に従うて何を道にしたら道を得られますやろか」
三たび問いましけど無為謂は答えなんだ。答えられへんのやのうて答えるいうことを知らなんだよって。知は答えを得られなんだ。ほいで、今度は狂屈ちゅう人におんなじことを訊ねなはった。
「ああ、わてはこれを知っとりまっさかいにおまはんに語りまっせ」
と言おうとしたけれども言おうとしたことを忘れてしもうて知は答えを得られなんだ。
知は帝宮に帰って黄帝にまみえて問わなはった。黄帝は、
「思わんで慮らんではじめて道を知られる。處らんで服らわんではじめて道に安らげる。従わんで道も無うてはじめて道を得られるんや」
「わたいとあんたはんはこれを知ってます。あの方々は知らはりません。どっちゃをよしとしたらよろしいんでしょうか」
黄帝は、
「無為謂がまことによしとせんならん。狂屈はこれに似てるものや。わたいとおまはんは近いことない。そら、知る者は言わず言う者は知らず。や」
そいで黄帝は「せやからな、聖人は不言の教えをやって、道に致さへんのや」とか何とか色々と言うた後に、知が黄帝に言わはる。
「わたいは無為謂に問いましたけど無為謂はわたいに答えはりませんでした。答えられへんのやのうて答えることをしらなんだよってです。狂屈に問うたら狂屈は告げようとして告げられませんでした。告げようとしたことを忘れてしもうたからです。そんなんで、わたいはあんたはんに問います。あんたはんはこれを知らはりました。そやのに近いことないんでしょうか」
黄帝は、
「彼がまことによしなんは、それを知らなんだよってや、彼がそれに似たもんなんは、それを忘れてもうたからや。おまはんとわたいがついに近うないんは、それ知っとるからや」
狂屈はこれを聞いて、
「黄帝は言を知っとる」
真に道に適った無為謂は道を知らなんだ。せやから言い表すこともできへん。狂屈は知っていたけど言葉にしようとしたら忘れてしもうた。黄帝と知は道なるものがあると知っていたから道とは近いことないと。
荘子から何百年ほど経って陶淵明が作った詩に、
「廬を結んで人境に在り、而も車馬の喧しき無し。
君に問ふ何ぞ能く爾る、心遠ければ地自ら偏たり。
菊を東籬の下に採り、悠然として南山を見る。
山氣日夕佳なり、飛鳥相與に還る。
此の中に真意有り、辯ぜんと欲して已に言を忘る」
とまあ狂屈に似た境涯を詠んだものがあるんですな、と言うか狂屈の話が元にあったんでしょうな。
それからまた何百年か経って五代の頃の禅僧鏡清道怤は、
「悟りを開くことはまだしもやさしい、その悟りの境地をありのままに言うことの方が難しいのだ」
と言うたはる。
下手に言うたりしたら、
「一句合頭の語、万刧の繋驢橛」
ガッチリと言うてもうたら、永久にロバを繋いどく杭になってもうてひいてはその杭に繋がれたロバみたいになってまうぞ。と中唐の頃の禅僧船子徳誠は言うたはる。
ほしたらなんや、言うだけなら言うことできるんかいな。と思わはりますやろ。戦国時代から漢代に成った周易繋辞伝にありますんは、
「一陰一陽之を道と謂う。之を継ぐ者は善なり、之を成す者は性なり。仁者は之を見て之を仁と謂い、知者は之を見て之を知と謂う。百姓は日に用いて知らず」
一陰一陽ちゅうんは多分世界が生じた時にまず陰と陽に別れたとかなんとか言うやつでこの世界の根本の原理やと思うんですわ、ほいでこれが道やと、これを受け継ぐ者は善で、これを成すんが性、本質で、仁者はこれを見て仁と言わはる。知者はこれを見て知と言わはる。人々は日々使うて知らん。
まあ、実は馬祖自身もズバッと言うてもうたはるんですわ。
馬祖が言わはった。
「君らのそれぞれの自らの心が仏や、この心がそのまま仏やちゅうのを信じやんとあかん」
「人間全員は永遠の昔から、法性三昧から出たことない、常に法性三昧の中におって服着たり、飯食うて、しゃべくってる。(せやから、人間の)六根(目、耳、鼻、舌、身、意)のはたらきなんかのあらゆる行為が法性なんや。」
「あたり前の心が道なんや」
あたり前の心が道やら仏なんぞ言われてもそんなわけあるかいな。と思わはるでしょう、ごもっとも、そんでももうちょっとお付き合いを。
日本は江戸時代の前期の盤珪永琢禅師が語らはった言葉を、
「身どもから云ふ事を聞いてござるうちに、うしろにて烏の聲、雀のこゑ、それぞれの聲をきかふとおもふ念を生ぜずに居るに、烏のこゑ雀の聲が通じてわかれて、間違はずにきこゆるは、不生で聞くといふものですわひの。其如くにみな一切事が不生でととのひまする。是が不生の證據でござるわひの。其不生にして靈明な佛心に極つたと決定して、直に不生の佛心のままで居る人は、今日より未来永劫の活如來で御座るわひの」
「たとえば不生と申すものは、明かなる鏡のやうなものでござる。鏡といふ物は、我に何にても映りたらば、見ようとは存ぜねども、何にても鏡に向へば、其貌が映りませいでは叶はぬ。また其映る物をのけたらば、此鏡が見ますまひとは存ぜねども、取りのければ鏡に映らぬが不生の氣と申物でござる。何にてもあれかし、見ませう聞きませうと存じたる上にて、見聞致すは佛心でござらん。前かどより見聞致そふとも存ぜず、物が見えたり聞えたりするが、面面に佛心そなはりたる徳でござるによつての事でござる。是則不生の心でござる」
聞こうとせずともカラスの声、スズメの声が聞こえたら聞き分け、鏡がものを写すように見てとる。見よう聞こうとせいでも見え聞く心のはたらき、盤珪は不生の仏心と言うたはります。ここでの仏心は仏の心やのうて仏は心、心は仏ちゅう意味での仏心でホトケゴコロを起こすと言うたりするものやのうて不生不滅に在って起こしたり失せたりするようなものではないんですな。
名前はよう聞いたりするけれどどういう人かはよう知らん沢庵和尚こと沢庵宗彭が柳生宗矩に書き送った不動智神妙録には、
「たとへば右衛門とよびかくると、アッと答ふるを不動智と申候、右衛門とよびかけられて、何の用か抔いふ心は住地煩悩にて候。止りて物に動かされ迷はさるる心を所住煩悩とて、凡夫にて候。亦右衛門と呼ばれてオッと答ふるは、諸仏智なり。仏と衆生と二つ無く、神と人と二つ無く候。この心の如くなるを神とも仏とも申候」
アッとかオッと答えるのが不動智諸仏智。なんじゃろかえなんぞと思うのは住地煩悩というわけですので、カラスの鳴き声が聞こえればナンやカンやと考えいでもカラスの鳴き声やとわかりますわな。スズメの鳴き声もおんなじようにわかりはる。馬祖が乗り気がせんいうのもナンやカヤを確かめ考えて、ああ、わしは今乗り気がせんのやなあ、なんて感じるわけではあらしめへん。頭痛いのもそうですわな。わしにはわからへんいうんは訊ねなはった僧自身の心こそが見て見分け、聞いて聞き分け、嗅いで嗅ぎ分け、味を味わい、手足を使い、考えるちゅう人間の持ってるはたらきでもって現れてくるものなんやさかいそないなもん訊ねられても本人の心は本人やないとわかりようがないもんですわな。
とまあ、他人の心はわかれしめへん。何かを見た聞いた嗅いだ触った味わったちゅうのは本人だけのものやよって他人はどう感じたかを直にはわからん。せやけどもカラスの鳴き声スズメの鳴き声を聞いたらどなたも同じようにカラスの鳴き声はカラスの鳴き声、スズメの鳴き声はスズメの鳴き声と聞き分けますわな。乗り気せんいうのも頭痛いいうのもどういうことかわかりますわな。わからんはずのものをわかるこれを仏智と言わずして何を仏智と言いますやろか。この仏智は心のはたらきそのものですわな。仏智のはたらく心は仏に他なりませんわな。そうしてここをもって通じるが故にあたり前の心が道。人々が日々用いてる道ですわな。
参考文献
求道と悦楽 中国の禅と詩(増補版)‐入谷義高
自己と超越 禅 人 ことば(増補版)‐入谷義高
空花集‐入谷義高
語録のことば―唐代の禅 ‐小川隆
続・語録のことば―《碧巌録》と宋代の禅 ‐小川隆
臨済録―禅の語録のことばと思想‐小川隆
中国禅宗史 「禅の語録」導読‐小川隆
禅思想史講義‐小川隆
臨済―外に凡聖を取らず、内に根本に住せず―‐衣川賢次
石頭希遷: 自己完結を拒否しつづけた禅僧の思想と生涯‐石井修道
ダルマ‐柳田聖山
字通‐白川静
帛書系『老子』の成立事情 - 荘子後学との関係を中心に(https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/60947/)‐福田一也
現象学入門‐竹田青嗣
ニーチェ入門‐竹田青嗣
現象学は「思考の原理」である‐竹田青嗣
仏教の大意‐鈴木大拙
馬祖の語録‐入谷義高訳注
臨済録‐入谷義高訳注
臨済録‐柳田聖山訳注
初期の禅宗(一)―楞伽師資記・伝法宝記―‐柳田聖山訳注
六祖壇経・臨済録‐齋藤智寛訳注・衣川賢次訳注
『祖堂集』卷一〇譯注(二)鏡清和尚章(一)(https://www.zenbunka.or.jp/pub_etc/pub/entry/kiyou34.html)‐禪文化研究所唐代語錄研究班
『祖堂集』卷一〇譯注(三)鏡清和尚章(二)(https://www.zenbunka.or.jp/pub_etc/pub/entry/kiyou35.html)‐禪文化研究所唐代語錄研究班
付記
書いた人間は代々融通念仏宗です。
禅について知りたいという方はまずは『禅思想史講義』がおすすめです。
『現象学は「思考の原理」である』を併せて読んでいたただけると、この訳のわからん文章が何を言いたかったのかおわかりいただけるはずですと思います。多分、きっと、
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