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たぶんすべてはひかり

午前8時45分、すこし遅刻して教室に入る。いつものことだから先生にはもう何も言われない。教室ではすでに朝のホームルームが始まっていて、今日も消えてしまいたいなと思う。リュックをおろして自分の席に座りながら毎日同じことを考えている。

1日のなかで朝がいちばん消えてしまいたい。お腹の奥のところから始まって頭、手指、足の先までじりじりと広がっていく不快感。自分のからだが存在することが気持ち悪い。朝だからまだ自分の持つ質量や肉感に慣れていなくて、脳と身体がつながりを絶っているみたい。眠りはいつかは覚めるから、ここは生まれて何回目の朝なんだろう。日あたりの悪い冬の教室、延々と続いていく人生が怖くて仕方がないです神さま。ブルーハーツのマーシーは70年なら一瞬の夢さって歌うけど、どうしてもそんなふうには思えなくて、ここはどこ?わたしはだれ?これからどうしていけばいいの? 一度名付けたら世界が終わってしまいそうな感情というか、気づいてしまったら生きていること全ての均衡がくずれて、もう戻れなくなるみたいな何か、そういう感覚がずっと心臓のうしろのうしろの方にあって、朝はそこがざわざわする。気を抜いたらそのざわざわに飲み込まれてしまいそうで、だんだん呼吸が浅くなる。必死になって深呼吸をして、ああ、まわりの景色がぐらぐらする。先生はたぶん来週末にある模試の日程について話していて、みんなはそれを聞いていて、わたしはなにも聞き取れない。どうしていいかわからなくてふと目に入った自分の左手をじっと見てみたら、一昨日に剃刀で作った傷がすこし癒えていた。あー世界はなんでこんなに残酷なんだろうね、とまることのない流れ、そのなかに身を置かざるをえないこと、そうやって生きてきたこと、そうやって生きてゆくこと、あの子みたいなスーパーミラクルにラッキーでラブリーなガールになりたかった、今日もヨユーで死にたい。

終業のチャイムと同時に教室を飛び出す。毎日履いてるせいで型の崩れたローファーを見ると、なんだか泣きそうになった。20分くらい黙々と歩いて家へ帰る。なるべく人が通らない道を選ぶようになったから、かわいいキジトラの猫がいるあの道を通ることはたぶんもうない。まだきっとあの場所にいる猫と、どうしようもなくなっちゃったわたし、すべてのことが過ぎてゆく。

帰ってから眠ったりご飯を食べたりした後、カネコアヤノの新譜を聴いた。今日いちばんのビッグイベント。実は今日はこれを楽しみにして過ごしていた。深夜のリビング、持ってる中でいちばんいいイヤホンをつけて、画面の再生ボタンを押す。この瞬間だけが持つ、何にも代え難いときめき。

イヤホンをはずして、そっとケースに戻す。胸がいっぱいでどうしていいか分からなくて、しばらくぼうっとしていた。なんか、なんていうか、こんなにずっと消えちゃいたいって思ってるのに、馬鹿みたいだけど、陳腐な表現だけど、生きていたいと思った。こんな気持ち久しぶりだった。比喩とかじゃなくて、誇張とかでもなくて、まっすぐに、ただまっすぐに、この音楽があれば生きていけるかもって思った。こういう音楽と一緒に過ごしていけるのなら生きてていいのかもって思った。大丈夫かもと思った。これはほんとうに救いで、うたってくれてありがとうございますと思った。たぶん明日にはまた消えちゃいたくなるし、どうしようもないことばかりで毎日泣いてしまうけど、それでも、それでもいまこの瞬間、この音楽はきぼうで、わたしは大丈夫って思えた。うれしかった。ほんとうにうれしかった。

たくさん余韻にひたってから次に、毛皮のマリーズのティン・パン・アレイを聴いた。だいすきなアルバム。特に好きなのが、星の王子さま(バイオリンのための)と欲望。欲望の「僕たちはこんなにもすこやかだ うつくしー!」という歌詞の部分を聴くたびにいつも、おいおい最高すぎるぜ〜と思っていたけれど、今日は今まででいちばん強くそう思った。

わたしたちはあまりにもすこやかでうつくしい。なるべくしあわせになるし、きらめきの中にいる。これは花束、今日は今季いちばんの大寒波の余韻が続く寒い日で、雪が降っても降らなくてもわたしはずっとひとりだった。それでも夢をみる音楽をきく次の朝のことを考える、ただ、生きてゆくこと。支離滅裂な言葉をあいして並べて神さまを睨みつけてたぶんすべてはひかり、はやくどうにかなりたいし、どうにかなろうね、わたしたち。















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