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『性売買のブラックホール』感想

『性売買のブラックホール』は『マルクス主義、フェミニズム、セックスワーク論』を読んだときと同じような、自分が性売買問題について日々思っていたことが言語化されていると感じる箇所が多く、本が付箋だらけになった。

Twitterだと字数制限があるし、引用するだけで140字が埋まってしまって感想が書ききれないので、読書感想メモとしてnoteを活用することにした。
以下、一部引用と感想を述べる。

第2章 韓国の性売買の誕生

韓国の性売買のルーツ

公娼制は日本が朝鮮で政治的支配力を確立していく過程で登場した。1876年に江華島条約を締結して朝鮮を強制的に開港させた後、開港場を中心に形成された日本人居留地において性売買集結地に当たる遊郭を中心に性売買がさかんに行われた。
※江華島条約=日朝修好条規

p.63

韓国の性売買のルーツは日本による植民地支配であり、解放後は米軍によって公娼制が廃止されたが、それは掛け声だけであって、朝鮮戦争の際に今度は韓国政府によって全国の性売買集結地が連合軍の慰安所にされたことによって、実質復活してしまった。朝鮮戦争が停戦となって経済発展が国の主要な課題となった1960年代から、性売買集結地は特定地域として本格的な国家管理体制のもとに置かれた。
家父長中心の身分登録制度である戸主制度と戸籍制度は、そもそも日本による植民地政策の一環として朝鮮に導入されたものが植民地解放後の韓国で制定された民法に引き継がれたものだった。(戸主制は2005年に廃止された)
また、女性たちを性売買から抜け出せなくする「前払金」というシステムも、近代日本の公娼制度下で女性たちを人身拘束するために使用された「前借金」のシステムに端を発している。
このように日本の植民地支配時代の制度が今なお韓国でも強い影響を及ぼしている。

買春観光とホステス映画の全盛期

1960年代の韓国は、自立経済が実現できないため海外市場に向けた戦略を繰り広げた。外国資本に依存した経済構造が強化されたことから何としても外貨が必要となり、技術や資本を投資することなく手軽にドルを稼ぐために観光産業をしたのだが、その目玉が性売買だった。

p.72

日本の景気が悪くなっていく状況でセックスワークイズワーク派が影響力を持っていくと、今後日本もこうなる可能性も十分にあり得るのではないかと恐ろしくなる。
江戸時代、遊郭が幕府税収のかなりの割合を占めていた話も聞いたことがあるし、買春者の金をあてにするために買春産業が公的に後押しされる現象はよくあるのだろうか。
1965年の韓日国交正常化から1978年までのあいだに日本人観光客は海外からの観光客総数の61.8%を占め、そのうち男性の割合が90%以上だったというデータがあり、韓国を訪れる観光客の実に半分以上が買春目的の日本人男性たちということになるので、日本人男性がキーセン観光で買春しまくっていたというのにドン引きした……韓国でも日本でも女性たちによるキーセン観光反対デモがあったってよっぽどではないか……恥ずかしくないのか……

1980年代から、性市場は米兵と日本人観光客を中心とするものから、韓国人男性を対象とするものへと変わっていった。

第3章 市場へと向かった性売買

カネになるマーケット

権力と結託した性売買構造は、買春という行為の正当性を絶えず提供し、男性ならば社会生活のために、個人の欲求を解消させるために、当然していいことだと認識させてきた。その結果、多くの男性がそれを選択の問題ではなく、男性として生まれたからには通過しなくてはならない経験であり与えられた権利だと思うようになった。この「買春」はまた男性どうしの経済格差を浮き彫りにさせてそこに疎外を生む。自分が当然享受すべき権利だと思い込まされた男性は、「商品」たる女性に向かって怒りの矛先を向ける。だが、この不当な感情を本来振り向けるべき標的は、実はわが国の歴史が作り上げた巨大な性売買市場、そしてそれと結託した腐敗した権力なのだ。韓国の性売買問題の核心はまさにそこにある。

p.88

買春という行為の正当性はよく「性売買を禁止すると性犯罪が増える」「性売買を禁止するから潜在化して管理や取り締まりが困難になる(地下に潜る論)」「売買春廃止論は性売買女性への差別だ」という言説で補強されるが、このような詭弁に対して痛快なほど反論していたのが『マルクス主義、フェミニズム、セックスワーク論』の第四章 売買春とセックスワーク論だった。

接待共和国――根の深い腐敗

性売買を伴う男性中心的な会食と接待の慣行は、女性にとってもうひとつのガラスの天井として作用する。重要な決定を共有し関係を築くこの男性たちの遊興から排除され、多くの機会を失う女性たち、弱い立場にあって接待の負担に苦しめられる企業、それに耐えられない男性もまたこの巨大な産業の犠牲者だ。

p.105

性産業の接待によって女性が排除される問題についてはキム・ジナ『薔薇はいいから議席をくれよ』の「男性は失敗した」というチャプターにも書かれていた。性売買女性を介して男性を接待する方法は知っていても、上の立場の女性を接待する方法は知らないんだよね。現在、接待はcovid19の影響もあって下火になっただろうが、接待文化そのものが、女性が要職につくことを阻んでいる問題は大いにあると思う。

買春者は「ご主人様」になれるのか

買春者たちは性売買女性をさげすみ「カネで体を売る分際で」と考える。だがその考えは自分に跳ね返ってくる。買春者とて「カネ」がなければ相手にされない。それが相対取引だと気づかない買春者は、「なんで言うことを聞かない」「俺をカネヅルとしか思ってないのか」と言いがかりをつける。

p.110

「#クソ客のいる生活」の「クソ客」のようだ。「カネさえあれば俺もご主人様になれる」という妄想があるのかもしれないが、いったい誰のご主人様のつもりなんだろうか。「巨大性売買市場の奴隷」にすぎないのに。悲しいね。
ところで、脚注にあったポムナル『道を渡れば崖っぷち~性売買という搾取と暴力から生き延びたある女性の勇敢な記録(原題)』(2019)が日本語訳進行中らしいので出版されたら読みたい。こういう風に本文や脚注で著者の他の作品や関連する本について紹介してくれるのはとても助かる。

ホモソーシャルな社会――強者と弱者の遊び文化

こんなことを書くのは、買春をする男性もまた構造的な被害者にすぎないと言いたいからではない。こうした「平等な買春の権利」を強要する男性文化がお互いを共犯者化し、どういう機能を果たすのかを示すためである。男性たちはもうひとつの性別をカネで買うことのできるモノにし、みんなで一緒にその買春権者になることで、自分たちどうしのヒエラルキーに内在する搾取や暴力を打ち消してしまう。絶対的に低い階級(非-男性)が存在するとき、男性内部のヒエラルキーは相対的な特権になり、耐え忍びうるものになる。そしてその特権を失わないためにホモソーシャル集団は不条理に沈黙し、搾取に共謀する。また、ホモソーシャル社会で力を持つ男性の搾取を告発する代わりに、外部の、より低い階級である女性にその被剥奪感を転嫁し、怒りをぶちまける。

p.115

ホモソーシャル内で女叩きに勤しむのはこのような心理が働いているからではないだろうか。男性内部のヒエラルキーから目を逸らし、男同士で連帯意識を高めるための女叩き。「パパ活女子」「夜職女性」に対する冷笑や侮蔑もこの類に属するのではないか。デートやサービスに対して対価を払う男性がいなければ「パパ活女子」や「夜職女性」は存在しないのに、なぜ女性の方ばかりを馬鹿にするのか理解できない。そもそも需要がなければ供給はうまれないのに、金を出す男性側は無視されている。酸っぱいブドウなのだろうか。
また、ペニスの「性能」を維持し、男性のパワーなるものを誇示しようとたとえ性売買女性に嫌われて拒否されることが増えると知りながら「男どうし比べて引け目を感じないため」にペニス増大手術を受ける男性や、孤独を慰めたり暖かさを分かち合うのではなくて「男らしさ」を証明したいがために買春する高齢男性もいることから、買売春はホモソーシャルだけでなくマッチョイズムとも決して切り離せない問題だろう。

第4章 商品にされた女性たち
性暴力と性売買の境界

性売買と性権力は、同一のルールを有する。それは「力による性的支配」だ。その力とは、あるときはカネとなり、あるときは腕力になるが、結果的な現象はカネで、または腕力で相手を屈服させ支配しようとするものだ。この市場において男性が買うものは「性欲排出」の機会などではなく、自分の性欲のために相手を支配しようとする欲望を実現することだ。
性売買の瞬間、「女性はそこにいないのと同じだ」とうそぶく買春者の言葉どおり、性売買の現場に「女性」はいない。そこに存在するのは商品だけだ。そうして商品となった人間が経験するすべての暴力は、性暴力でない何かにされてしまう。

p.137

金銭を介しただけで性暴力が性売買になるのはとても理不尽だ。減るもんじゃないし?んなわけあるかよ。性売買は「横たわって両足を開けば終わり」な楽な仕事では決してないだろう。性売買をPayRapeと定義づける人がいるのも分かる。金銭を払うことで相手の同意を得てサービスを「買った」という建前になってるけど、そもそも、買春者と性売買女性という対等ではない関係における同意なんて端からないのではないだろうか。

第5章 世界の性売買

ここにきてセックスワーク論についてそれぞれの比較がなされる。
セックスワーク論の分類の表が整理されていてとても分かりやすかった。

1.性売買禁止/廃止 
①性道徳的禁止主義 米国(ネバダ州を除く)
性売買は公序良俗を害する性的堕落として、性売買斡旋者・買春者・性を売る女性をすべて処罰 
②新廃止主義(北欧モデル) スウェーデン、カナダ、フランス、ノルウェー、北アイルランド
性売買を女性に対する暴力として規定 性売買斡旋者・買春者を処罰するが、性売買女性は処罰せずに脱性売買支援を行う
2.性売買許容 
①合法的規制主義 ドイツ、オランダ、ニュージーランド
性売買業を合法的経済活動とみなして、法的・制度的規則とルールを適用 性売買女性を店と同等な契約関係を結んだ個人事業者とみなす
②非犯罪主義 アムネスティインターナショナルの主張
何の規制もせずに性売買を非犯罪化する

p.156の表2

(※著者は、日本の「売春防止法」は「売春」を「善良の風俗をみだす」としている点と「売春」目的で客を勧誘する行為を処罰の対象にしている点によって、日本を1-①性道徳禁止主義に分類している。しかし「風営法」によって性売買斡旋業者が半ば公然と営業できているという問題がある)

性売買が合法化されたあとのドイツやオランダやニュージーランドの「借金を担保とした強姦」とまで言われるほどの悲惨な状況が書かれたあとに、国際人権NGOであるアムネスティが「すべてのセックスワークからいかなる規制も撤廃し、完全に非犯罪化せよ」との勧告案を議決したと書いてあるのが信じがたい……“人権”NGOなんでしょ……?性売買される女性の人権は無視されるのだろうか?と思ってたら

アムネスティの立場は「セックス・ワーク・プロジェクト・グローバル・ネットワーク」から出たもので、この共同議長は性搾取を目的に人身売買を行ってメキシコで懲役15年の刑に処せられた。

とあり、完全に真っ黒だった。ダメじゃん。
やはりセックスワークを合法化して市場原理で競争させるのは、サービスの過激化/危険化と低価格化の悪循環に陥ってしまい、利益を得るのは公的な事業者として女たちのピンハネによって富を蓄積して成功する性売買斡旋業者と低価格で過激なサービスを楽しむ買春者ばかりで、セックスワーカーへの搾取はどんどん苛烈になっていく一方ではないかとわたしは思う。

第6章 より良き道に立つ

法制度と無関係に性売買は公然と社会に存在する。(中略) 代表的な国が日本と韓国だ。これらの国での女性差別が男性の欲求と女性の客体化を過度に認め、性売買を社会の一部として是認し、この土台の上で資本と結合した市場が性売買を公然化する。

p.185

社会に性風俗が蔓延している証拠として、コロナ禍での疲れた人たちへの「励ましの言葉」で岡村隆史が深夜のラジオ番組において「コロナが収束したら絶対面白いことがあるんですよ。美人さんがお嬢(風俗嬢)やります。短時間でお金を稼がないと苦しいですから」と発言したことがあげられていた。深夜ラジオでのあの発言が韓国で本に載って、それが日本で翻訳までされて記録に残るとはね。
高収入だと謳いながらバ○ラ宣伝トラックが走り回ってるのも公然化された性売買のひとつの形であり、性売買へのハードルを下げるグルーミングの役割を果たし、「性売買で高収入を稼げる女」へ向かう怒りの原因にもなっているのではないだろうか。

性売買そのものが性搾取であるならば、そのなかで女性たちはすでに被害者なのだ。(中略) 性売買への完璧な対策はありえないのかもしれないが、それでも私たちは性売買の本質をきちんと見極め、それが社会共同体や個人の生活にとっていかなる影響を与えるのか、実際の現実にもとづいて判断し立場性を確立すべきだ。そして、社会正義にもとづいて共同体と個人の生活をより良きものにするための政策と実践をつくり上げていかねばならない。

p.205

『性売買のブラックホール』は、全体を通してわたしが性売買問題に関してうすうす思っていたことが言語化されていて、読んでいる時は脳みそが「そうそう、こういうことなんだよ!!」と喜んでいた。
巻末の小野沢あかねさんによる「なぜ本書は日本で読まれる必要があるのか」と仁藤夢乃さんによる「日本の性売買の現場から」も、とても良かったです。
ある論点に関して真逆の主張をする本を読むことも、自分が考えるうえで大事な材料になると思うので(わたしは自分が読んでモヤモヤした点が多くあったものの)『セックスワーク・スタディーズ』も勧めます。kindle unlimitedで読めるし。
『セックスワーク・スタディーズ』→『性売買のブラックホール』『マルクス主義、フェミニズム、セックスワーク論』の順で読むのがおすすめ。締めにもう一回『セックスワーク・スタディーズ』を読むのもいいと思います。

ここまで長々と読んでいただきありがとうございました。


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