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0000_序文

序文とはそれぞれに異なる体系、あるいは性質を持って書かれた複数の文章の存在の後に、それらを取りまとめる高次の階層の文章として、客観的な視点を伴いながら事後的に書かれるものである。が、この「序文」は、それらの前提となる複数の文章の存在の前に、書かれる。

私の日常の中で、「建築」に対して巡らせている断片的な思考や、その他の些細な出来事から生まれるアイディアなど、まるでまったく関係のないように思える断片を、言語という方法をもってここに蓄積、羅列していく。
それにより、私自身の建築に対する思考の体系を浮かび上がらせてみたいという、単純で純粋な「好奇心」を原動力とした試みである。

両手で掬った砂が手からこぼれ落ちていくように、言語化していくことで重要な「何か」がこぼれ落ちてしまう。

掬った砂のそれぞれの粒がもう2度と同じ場所には戻らないのと同様に、一度、言語化をしてしまえば、その前の状態には戻ることはできない。

言語化するという行為自体が何かを失うことであり、言語化するという行為自体がある種の1回性を伴うものであるということを自覚しながら、それでもやはり言語することしかできないのである。

ドイツの写真家であるトーマス・ルフが、とあるトークイベントで、これまでの彼自身の、一見、一貫性に欠けるシリーズ作品同士の関係性を問われた際の、彼の返答が頭をよぎる。

「全体像の見えないパズルを完成させようとしているようだ」

私自身が掬おうとしている完成するのか分からないその全体像を見てみたいのである。

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