見出し画像

失敗の記述のすすめ ”失敗のアーカイブとマネタイズ”

初めに
大学を卒業してからずっと、いろいろな事務所で働きながら、限られた時間で小さい個人のプロジェクトなどを行っていた。行っていたというよりは、本当にありがたい機会をいただいたり、融通の利く働き方を許容してもらったりして、個人のプロジェクトが成立していた。

これまでそういったものを公の場で発表?する機会が無かったし、してこなかったと(というか、発表の仕方が分からない)。それで、これまでの個人のプロジェクトに関しての文章や写真などをこういう場に書こうと思い、記事を書いていくことにした。あまり公の場で「こういうのやりました!」みたいなのは得意ではないのだけれど、ちょっと試しにという感じです。大学を卒業してからそんな感じでやっているので、プロジェクトを終えてから、かなり時間が経っているものもある。

ところで
そういった自作に関しての文章を書いているとき、失敗談もその中に盛り込もうと思った。いわゆる一般的な建築作品に関する文章(建築家がよく書くようなコンセプト文)や建築写真の後に失敗談を書く。まあ、”実際の失敗から学んだこと”みたいな感じの文章になると思う。
そして、そこに関しては少し勇気をもって有料にしてみようと思った(と言ってもカフェ~で飲むコーヒー代よりは安い)。
自作に関する文章の構成はこんな感じ。

1. プロジェクトの概要
2. 写真
3. 小エッセイ
4. 失敗談(裏話的なもの)

この3と4との間に課金ラインを設け、1つの記事として公開するという感じ。1~3は例えば建築家のウェブサイトや建築雑誌などに載っているような文章だ。そういう類の文章は建築写真と共に"映え"るように書かれた文章だと思っていて、公の場でよく目にする。一方4はあまり公には出てこない。建築界隈の飲み会の場などでは出てくるかもしれないけれどその場限りの話となる。
今回はそういった具体的なプロジェクトをベースにした失敗談を公の場で公開できるように文章化する。そうすることで、失敗をアーカイブし、建築するという行為自体が抱える問題としてストックして、その失敗を次に活かしたい。

有料化の理由
なぜ失敗談を有料化するのかにはいくつか理由がある。
ざっくり言うと下記の4つ

1. 失敗にこそ価値がある
2. 失敗の言語化と共有の促進
3. 設計者の精神衛生の向上
4. 学ぶ機会の平等化


1つ目は単純に失敗にこそ価値があると考えているから。いわゆる建築作品の発表ではかっこいい写真や文章や批評が並べられる。それらは建築物を語る上でとても重要なものだけれど、僕はもう少し実際に体験してきたことをベースに建築するという行為に関して考えていきたい。実際に現実に直面した時にぶち当たるある種の”上手くいかなさ”や、プロジェクトが終わり、事後的にそれを俯瞰した時に浮かぶある種の”後悔”など、現実の具体的な話をベースに書くことで、その記事を読んだ人はその失敗を回避できるかもしれない。そもそもこういう失敗があるということを知るだけで、設計段階での思考に厚みが出てくる。
もちろん、経験や能力のある人から見れば、レベルの低い失敗に見えるかもしれない(何しろ実務経験を積んでいる最中に行ったプロジェクトなので)。スケールの大きい建築物を扱う人から見れば、取るに足らないものに映るかもしれない(何しろ、本当に小さい規模のプロジェクトしかないので)。
けれども建築物は基本的には1人で作るわけではないので、そういった失敗が自分には非が無かったとしても、起こりうるという視点や、どんなに大きいスケールの建築を扱っていても、1つの建築物を建築するという点において両者は共通していて、なにかしらの共通項が見いだせる可能性はある。小さいスケールの失敗を知ることで、スケールの大きさが要因となる失敗を想定できたりするかもしれない。とりあえず、どんな失敗でも生かせないものは無い気がしている。

2つ目
は失敗の言語化と共有を促進するため。ここ数年、個人的に感じているだけかもしれないけれど、「失敗は悪」みたいな風潮をとても感じる。そういった類の情報を見るたびに、「ゔ、、、」となってしまう(ちょっとそういう社会は生きづらい)。だからもし、失敗の言語化、とそれを共有することに価値が付くような流れになれば、堂々と?失敗をできるし、その分だけチャレンジできる気がする。もちろん意図して失敗をしようというのではない。だって失敗しようと思ってする人なんている?のか?な?
多分だけど居ないと思う。
失敗をこういう文章などで供養して、それがちょっとしたごはん代くらいになって、悔しさを感じながら、いつもより少しおいしい?ごはんを食べれる。その一方で、その個人の失敗や反省点が(例え小さいものだったとしても)社会全体に共有されて同じような事態が起こる可能性が低くなれば、それはもう人類にとって最高な事のように思える。

3つ目
は建築設計に従事する人たちの精神衛生の向上。失敗をしにくい、あるいは失敗が許されない社会で生きていると、失敗を話しづらい。。。。
そして自分の失敗を消化せずにその溜め込んでいる状況は精神衛生的にも良くない。どんどん積み重なってゲロ吐きそうになる。
失敗を語ることにメリットがあって、それを言語化しやすい雰囲気があれば、自然と失敗を定期的に吐き出して供養することができる。次に進める。また、課金ラインはある種のプライバシーラインとしても機能するので、基本的には読みたい人しか読まないので安心して失敗談を書ける。

4つ目は学ぶ機会の平等化。最初にも少し触れたけれど、具体的な失敗談みたいなものは基本的には公の場では出にくい。建築家が集まった飲み会とかではそういう話が出てくることもあるかもしれないけれど、そこに参加していない人はそういった情報に触れることが難しい。そして個人的な経験として、具体的な生々しい話にこそ学ぶことが多いのは確かである。
それを記事化してしまえば場所の制約を無くして学ぶ機会を得ることができる。
例えばそれを全体で共有することができれば、場所や状況によって発生しやすい失敗の要因が浮かび上がったりするかもしれない。そして、その情報に場所関係なくアクセスできる。
例えば、東京の設計事務所が北海道のプロジェクトをやることになった場合、北海道でのプロジェクトにおける失敗談を参照し、設計の際の注意点を具体的なプロジェクトベースで学ぶ機会が得られる。
ちょっと余談だけど建築の議論がその場所その場で(例えば東京は東京で、関西は関西で、沖縄は沖縄で)分断されがちなのはこういった要因もあるのかもしれない?と思ったりした。
今、実際に設計を行っていて、まさに悩んでいるその部分にこそ、建築の本質的な何かが隠れているように思う。

まあ
いろいろ書いたけど、僕もやったこと無いことを今から始めるので、みなさんも一緒にどうですか?という記事です。失敗を言語化して美味しいご飯を食べたい。
共通のタグなんかを付けても良いかもね。
#失敗の記述のすすめ





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?