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二種類の「神」

序盤から展開する、無神論者を意識した「神」だけでは不十分な何かがあると思っていた。

例えば私の息子は制限を設けないと無限にゲームをする。母親がスマホを取り上げれば無論ゲームができなくなるが、その母親も、「人間」であり、忘れることもあれば、「規範」となり得ないこともある。そうなると息子は可能な限り「遊ぶ」。

親子においては明確なことだが、誰かが誰かの行動を制限するには、なるたけ「完璧」で「厳格」な存在が必要だ。そうでない者はそんな存在は「不可能」だとか「神でもなければ」と言うだろう。ここに、もう一つの「神」が登場する。不出来な人間がより良くなるための模範を人外に求めた時、人は「神」を定義する以外に無かった。

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