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[0円小説] 思い出の深まるところ

1. 祖父のいる風景

記憶に残る一番古い夢。

ジロウには、そんな特別な夢にまつわる想いがある。

子どもの頃に一つ家に住んでいた父方の祖父サキタロウが、その夢には出てくる。

祖父に対する子ども時代の印象は決してよいものとは言えない。それなのに、祖父の出てくる夢をなぜそんなふうによく覚えているのか、ジロウは長らく不思議に思っていた。

祖父は晩年はっきり言葉を発することができなくなった。祖母には先立たれていたので、ジロウの母に何か用事を頼もうとするのだが、察する力の弱い母が分からなくてもじもじしていると、怒って声を荒げることがたびたびあった。

それが一番の原因に違いなかったが、同じ家に住んではいるものの普段祖父との接点がなかったことも手伝って、ジロウには祖父についてのよい思い出がなかったのである。

  *  *  *

ジロウの夢には、ほとんど現実の世界で知っている人間は出てこない。

出てくる人間はたいてい夢の世界だけの関係であり、現実には存在しない人物が、夢の世界では知り合いだったりする。

そんな夢の中で、記憶に残る一番古い夢に、親しさのかけらも感じたことのない祖父が出てくるのである。

その夢では、昭和30年代に建てられた今はない古い二階建ての実家の階段を昇りきったところに、祖父とジロウがいる。

そして、階段の踊り場の上方にお化けが潜んでいるのを二人で見ているのだ。

お化けが怖いという感情は特になく、祖父といて安心しているというわけでもない。

しかし、その場面において、祖父と手をつないでいたかもしれないような、あるいは祖父が肩に手を回してくれていたかもしれないというような、隣にいる祖父をいくぶん親しいものとかんじられる気がする、そんな曖昧な構図が、その夢の記憶からは浮かんでくる。

そして、ただ動きのない静止画のようなその場面だけが、淡々とした白黒めいた印象として記憶されているのだった。

母や父の夢なども見た覚えがほとんどないし、記憶にも残っていないのに、ろくに話もしたことがない祖父の夢だけを長い間しっかりと覚えていることは、ジロウにとって一つの謎であった。

  *  *  *

大人になってからの話だが、あるとき実家で古い写真を見ていると、祖父がまだ小さいジロウの兄の手を引いているものを見つけた。

孫には無関心に思えた祖父も、自分の長男に生まれた初めての孫である兄のことは可愛がっていたのだなと思い、自分や弟はあまり構ってもらえなかったのだろうと、そのときジロウは考えた。

そのことからだいぶ時が経ってから、どんなきっかけがあったのかは忘れてしまったが、あるときジロウは気がついた。

自分も兄と同じように、祖父に手を引かれていた時代があったに違いないということに。

もちろんこれは、証明できるようなたぐいの事実ではない。

そして、こうした確信には証明など必要もないのだ。

祖父の夢は、たぶん幼稚園に入る前のものに思えた。

ジロウの現実世界での記憶は、幼稚園に入ったあとのものしかないので、祖父の夢がジロウにとっては記憶の最古層のものということになる。

言葉が自由に操れないほどの幼児の記憶は、簡単に剥がれ落ちて忘れ去られてしまう。

だから、幼稚園以前に祖父に手を引かれたことがあったとしても、その記憶がまったく残っていないことは何ら不思議ではなかった。

つまり、ジロウの思い起こせる記憶からは、祖父を近しく思う気持ちなど起こりようもなかったのに、頭ではなく体の奥底には、ゆるく曖昧ではあっても、自分に寄り添ってくれていた祖父の記憶が眠っていたに違いないのだ。

自分も兄と同じように、祖父に手を引かれたことがあるのだという確信が生まれたとき、ジロウの身のうちには無上の幸せ広がった。

そうして、自分の一番古い記憶が祖父と一緒にいる夢であることは、答えのない摩訶不思議の謎であることをやめ、言葉では言い表せないほどに大切な記憶となったのである。

2. 階段の上の瞑想時間

あれは小学校に入った頃だったろうか。毎日眠りにつくと、必ず見る夢があった。

夢の中でジロウは、生まれ育った二階家の、階段を昇り切った板の間に、パジャマを着て、寝床に入ったときの姿で、階段の方向を向いて座っている。
(つまりこれは、祖父と一緒にいる夢と同じ場所の夢なのである)

正面の踊り場上方に裸電球が明かりを放っていて、夢の場面は橙色に彩られている。

毎日見るものだから、その場面に自分がいるのを発見すると、あ、また夢を見てるな、とジロウは思う。

そう思ったからと言って、夢の中で何かをするわけではなく、ただそのまま座っているだけだ。

そして、しばらくすると目が覚めて夢は終わる。

それから、また眠りについて翌朝までぐっすり寝るのである。

そのように、来る日も来る日も、何も起こらない、階段の上の板の間で静かに一人座っているだけの、ただそれだけの夢を、ジロウは毎晩寝入りばなに見続けたのだ。

  *  *  *

大人になってからその夢のことを思い返してみて、ジロウはそんな夢を見ていた自分は、何かおかしな精神状態にあったのではないかとの疑いを持った。

兄の影響もあり、ジロウは高校の頃から心理学に関心を持った。

そうした分野の本を何冊か読み、特に自分の見たような夢に当てはまる記述を見つけたわけではないが、そこに書かれている異常な精神状態というものに何か関係するような、普通ではない要素をジロウは自分勝手にその夢に見出したのだ。

しかし、さらに歳を重ねて三十を過ぎ、精神世界系の話題に興味を持つようになり、インドの聖者の本を読んでいるときに、こんな記述を見つけた。

19世紀に生きたラーマクリシュナというベンガルの大聖者がいる。

その一番弟子であるヴィヴェーカーナンダは、子どもの頃から神がかったところがあり、自然に瞑想状態に入って周りのことが分からなくなってしまうことが度々あったというのである。

そのことを知ってジロウは、自分の場合、ヴィヴェーカーナンダほどの劇的な体験ではないが、子どもの敏感な感性を持つ年齢の頃、寝入りばなの意識が変性状態に入りやすいタイミングで、夢の状態ではあるけれども、ある種の瞑想状態に入っていたと考えられることに思い至ったのである。

異常な精神状態ではないかと思っていた黒い夢の記憶が、むしろ超健康的な精神状態の印として白く鮮やかな光を放った。

しかも、その一人だけの時間の夢も、祖父と一緒の夢と同じ、今はなき生家の階段を昇り切った場所の夢なのだ。

その二つの夢を思い出すとジロウの心は、裸電球の暖かい橙色の明かりに照らされて、心地よいぬくもりに包まれるのだった。

3. 黄金の首から溢れ出す命の奔流

もう二十年も前の話だが、ジロウは妻のムーコと一緒に、神戸から船に乗って上海に渡り、一年間かけてアジアをふらふらと旅したことがある。

9月の頭に出発して2ヶ月ほどは中国にいた。

上海から列車で桂林に南下して、川下りの終点の陽朔でのんびり過ごし、そこから西へ向かって昆明、大理、麗江と雲南省を横切って旅した。

そして、チベット文化圏の中甸(ツォンディアン)へ辿りついた最初の夜に、ジロウは生涯に渡って忘れることのできない夢を見ることになる。

中甸の現在の正式な名前は香格里拉(シャングリラ)なのだが、イギリス人の小説から取って中国の行政府が観光用につけたその名がジロウは気に入らなくて、元々の名前の中甸を今でも使っている。

雲南省の古都・麗江から中甸へ向かう道は険しく、その途中には虎跳峡という絶景の名所もある。そんな山道をバスで一日かけて走り、やがて道は平地に入り、そこでは緑の野に細い川がうねうねと蛇行して独特の地形を作っていた。そうして、夕方になる頃に中甸に着いた。

長旅で疲れたムーコとジロウは、その日の宿を街外れにあるバス停のそばに取った。いつもよりもやや高めの宿代の、外見は立派な宿だった。

宿の建物の白壁には、チベット風の仏教画が大きく描かれていた。その極彩色の図像を一目見て、こんなすごい絵が描ける人たちは、きっときのこか何かの薬草を摂り変性意識を体験したに違いないとジロウは確信した。

というのも、その頃のジロウは、日本ではまだ規制のなかった幻覚性のきのこを何度も使用し、その強烈な作用の後酔い的意識状態にあったからである。

けれども、のちにチベット仏教についていくばくかの知識を得、また自ら瞑想の練習をするようになった結果、チベットの極彩色の仏画の様式は、決して薬物の影響によるものではなく、自然な瞑想による幻視能力の探求の賜物であることが納得できるようになった。

外見は立派な宿だったが、部屋に入ると平原に吹きすさぶ寒風が窓の隙間からびゅうびゅうと入ってくる。それを防ぐため新聞紙を隙間に詰めて、ムーコとジロウはようやく眠りについた。

  *  *  *

建物に描かれたチベット仏画の影響もあったに違いない。

その夜、ジロウはこんな夢を見た。

夢の中でジロウは水の中を泳いでいる。

それは言葉で説明すると、泳いでいるというのが一番近いのだが、水の中だから呼吸ができないというわけでもないので、どちらかというと飛んでいるようでもある。

と言っても空をすいすい飛んでいる感じではなく、水のようなしっかりと抵抗のある流体の中を、強い流れに逆らって、その流れの源の方向に向かって意志の力を使って進んでいるのだ。

激しい流れを掻き分けるように、ジロウは源へ向かって力強い推進力でぐいぐいと進んでいった。

やがてその流れの大元まで辿り着くと、その源には金色に輝く首だけの、仏の顔が闇の中に浮かんでいるのであった。

一見すると金色に塗られた仏像にしか見えないその顔は、よく見ると確かに生きて表情を変えており、鱗粉のようなもので金塗りされた異形の生き物が、そこに首だけの形態で存在して、無感情にこちらを見下ろしている。

その鮮明な夢を起きてから思い出して、あんな金色の仏陀の首をどこかで見たことがあるなとジロウは思った。そのときにはそれがどこでのことなのか分からなかったが、あとで気づいてみると、タイではそうした金色で首だけの仏画を見かけることがよくあるのだった。

  *  *  *

鎌倉時代の僧侶・明恵(みょうえ)は詳細な夢日記を書き残している。臨床心理家の河合隼雄が書いた「明恵 夢を生きる」によってジロウはそのことを知ったのだが、その本には様々な仏教的想念の絵曼荼羅が、夢の中の物語として紹介されている。

自分が見た夢はそれに比べればまったくささやかな、前後関係も特にない単なる一場面でしかないようなものであり、それも人生でそれ一度きりしかみたことがないのだから、ある意味他愛もないひと欠片の思い出にすぎなかった。

けれどもジロウは、その夢のひと欠片を、心の中で大切にいだき続け、暖め続けた。

夢など何の意味もないただの幻なのだと思ってしまえば、それは本当に無価値で、合理的な説明など受け付けないくだらない心像というだけのことになってしまう。

しかし、その手に取れるほどの実感を持った夢は単なる幻以上の刻印をジロウの脳裏に刻んだ。

初めは印象深い夢を見たな、くらいにしか思わなかったが、その仏陀の首は、この世界を動かす力の湧き出す特異点なのだと、やがてジロウは思うようになった。

つまりその夢は、世界の根源に隠された、この宇宙全体を動かすエネルギーの源を垣間見るという不可思議の体験に他ならなかったのだ。

今その夢のことを思い返してジロウは、その夢を見たからには、つまりこの世界の秘密を見知ってしまったからには、もう何も思い残すことなどなく、いつこの世を去ってもいいほどの、究極の真実を自分は見たのだと、大袈裟ではなく、本心からそのように感じることができた。

ジロウはハリドワルの安宿で、就寝前の時間を使って毛布にくるまり、二本の親指で電子小石板に向かって文章をつづっている。

暗闇に浮かぶ電子小石板の白く発光する画面は、金色の仏陀の首と似ていないこともない。

そこから今すべてが生まれてくるのだ。

こうして言葉をつづるジロウという架空の存在が、あなたという現実に確かに存在する人物を、呪文によって召還する。そして召喚されたあなたの中にジロウという架空の存在を呼び覚ます。

あなたは今ジロウの夢を見ているのだ。

携帯かpcか、それがどんな端末の画面上の赤青緑の点の集合体であろうとも、あるいは印字された紙の上の黒インクの染みであったとしても、ジロウがつづった文字のつらなりとしての言葉が、仮想の遺伝子が運び届ける伝言遊戯の果てに、あなたという寄生媒体をついに見つけ、あなたの心に取り憑き、あなたの頭蓋の中で想念として膨れ上がり、あなたにジロウの夢を見させているのだ。

やがてあなたはジロウと一つになり、祖父と一緒にお化けを見ていた最古の夢を思い出す。

毎晩続けて見た子ども時代の夢の、瞑想体験の不思議を思い起こす。

冷たい風の吹きすさぶ中甸(ツォンディアン)の宿で見た、光り輝く仏陀の首の夢を懐かしく脳裏に描く。

ジロウであるあなたが次に目を覚ますのは、一体どこのことだろう。

目が覚めたとき、あなたはヒマラヤの麓、ネパールのポカラにいるかもしれない。

それとも、地球の裏側のパタゴニアの安宿だろうか。

そこがどこであるにせよ、それはあなただけが知っている、心地よく秘密めいた場所であるに違いない。

[2024-02-07 ネパール・ポカラにて]

☆有料部にはあとがきを置きます。投げ銭がてらお読みいただけたら幸いです。

#小説 #エッセイ #茫洋流浪

☆今回、登場の本
河合隼雄「明恵 夢を生きる」https://amzn.to/3wf2Eeg

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