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そうだ free out も嘆賞の end

【文字数:約1,200文字】

 ちょうど1年前くらいに、とある人のイラストをほめた。

「水彩のようなムラのある塗りが内面みたいで良きですね」

 そんな感じの分かっている風なことを書いたら、えらく喜んでくれたことに気を良くして、ちょくちょく投稿しているものを見に行くようになった。


 私は面識がそもそもないwebにおいて、「良い」と思ったら知らない人にもそれを伝えている。

 noteのスキみたいな感覚で書いたら忘れてしまうのだけど、いちおう人間なので返信があれば嬉しくなるし、続けて見ていると上手くなっていくことも多い。

 もちろん「こんな描き方がいい」とか「色の使い方があーだこーだ」なんて褒めまがいの要求はせず、シンプルに「〇〇が良い」と書いているに過ぎないし、とある作品の2次創作だとは分かるけど、ほぼ内容は知らない。

 それでも色の使い方や人物などの構図、背景その他を総合して良い感じのコメントをする。

 ほぼイラストしか投稿しない人だし、普段は何をやっているのかよく分からない。

 そうして気がつけば1年が経ち、作風が固まっていなくて、構図にも余裕のない初投稿に「1周年おめでとうございます」と気まぐれにコメントした。

 すると感謝の言葉に続いて、次のような言葉が添えられていた。

創作はとても楽しいですね。10周年を目指して頑張りたいです。

 ずいぶん大きく出たなと思いつつ、もし誰も声をかけなかったら同じ言葉が出ただろうか。


 その人があるとき、弓を扱うキャラクターをメインにした短めのマンガを投稿した。

 始めは上手く弓が撃てなかったけれど、修練を積んで上手くなったので師匠に「もう心配ないですよ」などと話す内容だった。(正式には弓を「引く」)

 いちおう弓道をやっていた人間なので弓の扱い方が違うなぁと思いながら、「背景の変化=内面みたいで良き」とかコメントした気がする。

 ただ、イラストを投稿しているwebには正義警察などと呼ばれる存在も蠢いており、投稿後しばらくして弓の扱い方ガーと指摘されたらしい。

 それに対して私は擁護するつもりで、次のようにコメントした。

 和弓においては違うかもしれないけれど、大陸で使われた短弓やアーチェーリー用の弓などを考えれば間違いではない。

 しかしその人は不勉強だったと謝罪し、結局はマンガを非公開にしてしまう。

 それ以降、1枚絵のイラストは投稿しているものの、はっきりとした時間の流れがあるマンガは投稿していない。


 誤りを指摘することで正しくなるのは良いことだ。でも「正しい」ものは変化するし、はみ出た揺らぎを楽しむのも創作のいいところではないだろうか。

 そんなことを書きながら、かつては私も正しいことが正義だと思っていたのだから、先の非公開に追いやった人々を糾弾する資格はない。

 だからこうして、ある人が1周年まで続いたことを記事にして、誰かの目が覚めるのを期待している。

 あなたの正義感は正しく使われているだろうか?


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