ここまでお読み頂きありがとうございます。心より感謝を申し上げます。 これまでかなりハードなお話を公開してきました。そして、これからもハードな人生が続きます。が、私は自分の人生を振り返りながら、こんな人生を歩いて来たから今の自分がある。それは無駄ではなかったと思うし無駄にしないように生きて行こうと思っています。 私は中学校までしか学校には通っていません。いわゆる底辺層と言われる学歴です。しかし、人間に必要な優しさや思いやりというものに人一倍触れて来たような気がします。残念な
母は「あんたはどうしたいの?」と聞いてきた。私は堕胎は考えていなかったから「堕ろしたくない。」と答えた。まだ産まれてはいないが、私の中に宿ってくれた小さな命だ。それに私は小さい子供だ大好きだった。「あちらのご両親と話さなきゃね。」と母は彼の自宅へ連絡し、両家顔合わせての話し合いの日程を決めた。両家の顔合わせの日、私は産みたいと主張した。彼のご両親も受け入れてくれ、私は彼の地元に嫁ぎ彼の両親と同居で子育てをし、彼が高校を卒業し就職したら、またその後について入籍の日などを話し合お
福岡学園に移送される間、刑務官も私も無言だった。おそらく親密にならないよう、感情移入しないようにだと思う。鑑別所から福岡学園まではそう遠くなかったような気がする。1時間足らずで学園の門をくぐり、一番手前の建物の前で車は止まった。降りるよう促され、車から降り建物の玄関に入っていくと、私服の職員がいて「こちらへ。」と言われた。靴を脱ぎ、その人の後に続く。『園長室』と書かれたドアを職員が開けて通された。「今、園長をお呼びしてきますので少しお待ちください。」と言うと、職員は出ていった
ノロキと付き合うようになって、私の夜遊びはノロキと一緒の時に限定されてしまった。迎えに来ない日は電話してくる。ある日の夕方、ノロキは用事があって今日は会えないからと連絡があった。夜になってノロキの友人達から電話があった。ノロキが酔って動けないから迎えに来てくれと言う。私はノロキはお酒飲めないはずなのに、どうしてそんな事になったのかと思いながら迎えに行った。指定された場所へ向かっていると、ノロキの友人が「お前を迎えに行く途中だったから、一緒に行こう。」と言って、先に歩き出した。
この頃の私は、先輩たちのおかげで助けられた事がとても多かったように思う。あの頃は先の事など何も考えず、ずっとこのままの時間が続けばいいと思っていた。先輩が家にいることで殴られる心配はなかったし、先輩たちのバイクに乗せてもらって走りに行くこともあった。暴走行為と言う言葉を私はかなり後になって知った。ナンパの場所でも改造した車が多かったし、騒音を気にした事など無かった。バイクの音で誰が来たかわかるのを面白がっていた。近所迷惑なんて何も考えていなかった。
兄に見つかって、私の足は震えていた。逃げたくても逃げられない。そんな私を兄は自転車から降りて「来い。」と呼んだ。後ずさりしようとしたところを、「ここで殴られたくなかったら、大人しく来い。」と言いながら近づいて来た。(もう逃げられない。。。)私は諦めて兄と家に帰った。逃げても行く所なんてないし、繁華街で知り合いに会うのも嫌だった。
あの日を境に私の中で一つの恐怖が生まれた。最後はお腹の上に出されたが、コンドームなど着けていない。もし妊娠などしていたらシャレにならない。生理が来る日まで恐怖しかなかった。しかし、兄はそんな事は気にしてなどいなかった。
私はこの日からしばらく家を出られなくなってしまった。外出禁止と言われたのもあったが、体中痣だらけで夏なのに半そでが着られないからだ。家に居て夏休みの課題をしながら家事をする。母のマッサージをしながらお説教される日々が続いた。兄は友人の所にでも行ったのか、何日か帰って来なかった。母と二人でいると平和なのかと思ったが、母は兄の暴力を正当化するが如く、私が兄を怒らせるのが悪いと言い続けた。私の言い分なんてあの二人にはどうでも良いことのようだった。何日かして兄が帰って来た。母は仕事に
3人と話しているうちに、伊能先輩は双子だと聞かされた。こんなイケメンんがもう一人存在するのかと、ちょっとワクワクしてしまった。3人の自己紹介が終わったところで、私の番だ。先輩たちの3つ下で最近転校してきたばかりなので、この辺りはまだ不慣れだと話した。先輩達と話していると楽しかった。馬鹿話などで笑わせてくれる。都築先輩には妹がいて隣のクラスの同級生だった。こんなお兄ちゃんだったら良かったのにと思うほど、都築先輩はイケメンで優しい人だった。「なんであそこにいたの?」と伊能先輩から
家に居ることが多くなった兄は、私のとって邪魔以外の何物でもなかった。母が家に居るのは寝ている時くらい。何かあって起こしても不機嫌で取り合ってくれることはあまりない。私が学校から帰ると、「真美ちゃん着替えたらマッサージして。」と言われるが、やっているうちに寝てしまう。寝るまでマッサージを続けさせられるか、家事を思い出してやらされるかどちらかだ。マッサージをすると100円くれる。それが私のお小遣いだった。私の母は気分で家事をする。それでも夜の食事は用意してくれていた。が、気分が乗
転校が決まり、新しい学校への初登校の日。学校へ行って驚いた。元々通っていた小学校は6クラスあったのに対し、新しい学校は2クラス。余りにも少なかった。私とすれ違う生徒は口々に「誰?転校生?こんな時期に?」と言っているのが聞こえる。それもそうだと思う。夏休みまであと2週間くらいしかなかったのだから。夏休み明けの転校生はそんなに珍しくないだろうが、こんな時期に転校してくるのは何か訳ありだと言っているも同然だ。 教室に入り、担任から紹介される。「一中から転校してきた。みんな仲良くし
ここまで、お読み下さいましてありがとうございます。 お思い出しながら書いているので、誤字脱字が酷いです(;^ω^) 読者の方に突っ込みを入れられた個所は随時修正していますので、お気づきの点など御座いましたら、コメント欄にて教えて頂けますと幸いです 私が書いています「私のこれまで」の内容ですが、すべてノンフィクションです。私の実体験を思い出しながら書いています。しかし、友人の名前は実名を公表するわけにはいかないので、仮名を使わせて頂いています。ご了承下さいますよう、お願い
夏休み中に、私の生活は激変してしまった。普通の中学生から、夜遊び癖のついた不良中学生だ。制服は変わらない。見た目は普通の中学生を通した。私は小心者なので、先輩が怖かったのだ。 夏休み明けにやらかした。当時変色リップが流行っていて、私も持っていて学校に行くのに塗ってしまった。少し赤くなる程度だと思っていたら真っ赤になってしまって、慌てて落とそうとしたが時間がなく、そのまま登校した。クラスに入るなり男子から「こいつ夏休みの間にヤンキーになった!」と騒がれ、先生にも見つかり、顔を
愛と幸子の一件以来、うちの母も愛の父も何か変わるかと思ったが、二人とも夜の仕事していたので、特に何も変わらなかった。兄は友人宅に泊まることが増え、家に居ない。私は一人で家に居るのも暇だしつまらなかったので、愛や幸子と遊ぶことが増えていった。愛の家に遊びに行くことが多かった気がする。愛の家は繁華街にほど近いところにあり、当時はそこの繁華街がナンパのメッカのような所だった。 私達3人は、もうあの事件を忘れてしまったように、ナンパされるために出掛けるようになった。何事もなければ、
私の家の前まで来た時、愛が「幸子が帰るって言うから送ってくるね。」と言った。「こんな時間に帰って大丈夫?」と幸子に聞くと「大丈夫。」と言うので、「私も行こうか?」と聞くと2人共「大丈夫だから、行ってくるね。」と歩き出した。私は心配になりながらも2人で行かせてしまった。 朝6時になっても愛が帰って来ない。自宅に帰るなら何か連絡がありそうなものだと思い、私は心配で眠れず待っていた。6時を少し過ぎた頃、私の部屋の窓に小石が当たる音がした。窓を開けると下には愛と幸子が立っている。急