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死は少しも不幸じゃない(by 分身主義)


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今回は、ジジイに間近に迫っているものの話をしようと思う。
でも、もしあなたが若い人であっても、幸福に生きるためには避けていてはいけない大事な話だよ。

(この記事は読むのにおよそ40~50分くらいです。コーヒーなどをご用意してゆったりとお読みください【18.206文字】)


人間がこの世に生まれた瞬間、誰もが同時に背負うことになる「死」の話だ。

「死」と聞いて、あなたはどのようなイメージを持ちますか?

ちょっと眉間にしわを寄せてしまった人もいると思う。

でも、生まれた瞬間背負うものである限り、僕たちはそれを「良きもの」ととらえるべきなんだ。生も死も自然界の摂理である限り、それは喜びの感情で受け入れられるようになっておくべきなんだ。

不老不死の薬を作ろうなどと思う必要は、まったくない。


🔖① 家族の死

ジジイは、26年前に父親が死んだ時も、4年前に母親が死んだ時も、それほど悲しいと感じなかった。「死」に対して、あまりネガティブなイメージがないからだ。

人間はいずれ死ぬ、ただ早いか遅いかの違いだけ。そのような気持ちがいつもどこかにある。と言っても、諦めというのとはまた違う。

だから自分の「死」もそれほど恐くも残念でもない。どちらかと言うと楽しみに近いのかもしれない。

40年連れ添った妻に、もし先立たれたとしたら、さすがに少しは泣くかもしれないけど、でも生まれた時にかける言葉のように「おめでとう」と言ってあげたいと思う。


🔖②「死」にまつわる間違ったイメージを払拭するためには

「生・死」が自然界の摂理である以上、「生」があなたにとって”良きもの”であるのなら(あるいはあって欲しいものなら)、本当は「死」だって”良きもの”であるはずなんだ。

それなのに現代人は「死」はまるで「悪」であるとでも言わんばかりに、目をそむけ遠ざけたがる。最近は終活などという言葉もできてきたけど、昔は、死に関する話はタブー視されていた。

それは、実は「死」にまつわる間違ったイメージのせいなんだ。

人類が、「死」にまつわる間違えて抱いている悪いイメージを払拭するためには、科学的な意味で「自分とは何か?」を知る必要があったんだ。

と言っても、今から難しいことを言おうとしているわけではない。さすがにネコでもわかるとは言わないけど、中学生くらいでも十分わかるように図解しながら説明しようと思う。
いや、むしろ中学生くらいの方が頭が柔らかいので理解しやすいかもしれない。

もしあなたがいい年をした大人の方なら、自分の頭の柔らかさを確かめるためにも、試しに読んでみてくださることをお勧めします。

★ ★ ★

「人類は、この身体の内側が”自分”だと錯覚している」と、ジジイはずっと言い続けている。

では、錯覚ではない本当の自分とは何かというと‥‥、この宇宙なんだ。

それが最新の科学が解明している真実だった。

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最新の科学が解明していることなので、まだほとんどの人が知らないし、当の科学者だってほとんどの人が知らない。それに、もし科学の分野に「自分学」などというものがあったとしても、恐らく、科学者には「本当の自分とは宇宙である」という結論にはたどり着けないだろう。

何故なら、現代の科学者は自分の専門分野に精通しなければならないため、近視眼的になりやすいからだ。それに、常に世界平和を視野に入れて科学的研究をしている人などいない。

ジジイが尊敬する科学者、安斎育郎あんざい いくろう分身さんは、「平和学」というのを大学で講義されている感謝すべき分身さんだけど、そんな彼でも、世界平和には「本当の自分を知ることが大事」という結論にはたどり着いていないようだ。

世界平和には、難しい理論や議論や耳障りのいいキャッチフレーズなどは役に立たないどころか、むしろ害になるとさえジジイは考えている。たった一つのイメージさえできればそれでいい。

「自分とは宇宙である」それがイメージできるかどうかが、一番の「平和学」だと言ってもいい。


若いころから、哲学や芸術などを通して自分探しをしていたジジイだけど、30歳代後半くらいから、科学に頼らなければならない疑問がたくさんわいてきた。
そして、科学が自然界様から聞き取ったたくさんの言葉を自分なりに整理統合してわかったこと、それが「自分とはこの宇宙だった」ということなんだ。

科学者でもないジジイだから、世界平和とか全人類の幸福などというテーマを常に頭の片隅に留めて、科学を分野にこだわらずに調べることができたから、「本当の自分とは宇宙である」という結論にたどり着けたんだ。

そう、本当の「あなた」は、約140億年前に産声を上げたこの宇宙だったんだよ。

「この宇宙が”自分”だった」と言っても、今のあなたは、まだピンと来ないかもしれないけどね。

「この宇宙が”自分”だった」と主張する科学的根拠は、人間はこの宇宙の中で、物理的な意味でも化学的な意味でも、境界線などどこにもないからだ。

その、つながっていることで生かされている自分を、実感できないから気づけないだけなんだよ!

それに引き替え、怪我をして痛いと感じたり、マッサージをしてもらったら気持ち良いと感じたりするのはすぐに実感できる。こちらはわかりやすい。だからこの身体が自分だと思い込んでいるだけなんだ。つまり、この身体に張り巡らされている神経系が錯覚していたというわけだ。

でも、我々が「この宇宙が自分だった」と知らなかったおかげで、人類はかなり厳しい代償を支払わされてきたんだ!

その話をする前に、「自分とはこの宇宙だった」という根拠を、もう少し詳しく図解しながら説明してみようと思う。ここまで貴重な時間を使って読んでくださったあなたには、確実に自分のものにして欲しいからだ。


🔖③ もう一度、「自分とはこの宇宙だった」の根拠

「自分とはこの宇宙だった」という根拠を、もう少し掘り下げて調べてみよう。

先ほど、「人間には宇宙との”つながり”を感じられない」と言ったけど、そのつながりを感じられなくしてしまった一番の原因は、人間が言葉を持ってしまったからなんだ。

人間は物に名前を付けるけど、「名前を付ける」とは、つながっているものを切り離すことだったんだよ。つまり、科学は物に名前を付けるところから始めるけど、それは物を解剖してバラバラにしてしまうことだったんだ。

科学は物に名前を付けて解剖するだけじゃなく、科学を分野ごとに名前を付けて分けることで、この自然界さえもバラバラにしてしまってそのままやりっぱなしだ。

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いや、上の表のような分類じゃ飽き足らず、『逆引き大学辞典』によると、「理学系統」だけを見ても、今じゃ、下図のようなわけのわからないことになっている。

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だけどここまで細分化してしまったら、もはやどこにも戻れない気がする。そもそも、人間は何のために科学を必要としたのかさえ、もはや思い出せないくらい深い穴倉に入り込んでしまったね。

むしろ、その穴倉がすっかり居心地良くなってしまった科学者さえいそうだ。

戻れないから、科学的な意味で「自分は宇宙だった」にたどり着けないんだ。

全ての分野に精通しろと言っているのではないよ。迷路にはまり込んで抜け出せなくならないように、人間は何のために科学を必要としたのかを常に忘れてはいけないと言っているんだ。人間は、「将来の就職先」のために科学を必要としたわけじゃないだろう!?

科学は、人間の根源的欲求、例えば「この自然界の成り立ちを知りたい」などの欲求を満たすためのものだったはずだよね。

ジジイの場合は常に「世界平和」「全人類の幸福」という、より上位の意識で俯瞰して科学を調べていたから迷子にならずに済んだのだと思う。


「つながり」の話に戻るけど、言葉を持たない動物たちは、つながりを「知識」としてではなく「感覚」として感じている。
いや、それも違う。
”つながり”すらも感じていないので、彼らは自然界そのものと言える。それをジジイは「自然界と地続き」と表現している。

言葉を持たない動物たちには自我(自分という意識)もないよね。それは、自分を自然界と切り離して感じてはいないということだ。

彼らにも自我があると僕たちが信じているのは、「自我」を持っている我々人間が(と言うか、我々の自我すらも言葉を持ってしまった人間たちの錯覚に過ぎないんだけど)、彼らにその「自我」を投影して見てしまっているだけなんだ。

いいかい!? ほとんどの人が気づいていない大事なことを言うよ。

例えば犬や猫を飼っている人には、犬や猫が「自我(自分という意識)」を持って行動しているように見えるだろうけど、あれは人間のような、言葉が作る「観念的な自我」ではなく、遺伝子が作る「本能的な自我」なんだ!

だから彼らにあるのは本能的な「自・他の意識」なんだ。人間とは全然違う感じ方なんだ。

残念なことに、そのことを知った上で動物を研究・観察している動物学者は、まだ現在はまずいないだろう。もちろん彼らは、自分の自我さえ、神経系の見せている錯覚だなどとまだ気づいていないだろう。

さらに言うと、彼らは「自分の意志」で、動物を研究・観察していると信じているだろうけど、本当は彼を取り巻く《環境》に、動物学者になりたいという強い「意志」を浮かび上がらせ・られて、たまたま現在、動物を研究・観察させ・られて生活していたということだったんだ。

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そのことに気づいていないから、動物の科学番組などを見ると、動物学者が監修したものであっても、あたかも動物が「自分」の意志で思考し行動しているかのような説明をしているものばかりだ。それらは本当の意味の科学番組ではなくて、素人にわかりやすく作った「おとぎ話」のようなものだったんだよ。

イソップ物語に出てくる動物たちのようなものだ。

イソップ物語が悪いと言っているんじゃなく、あれはあれで人類の誇るべき共有財産(分身主義は個人的知的財産を全人類の総力で作った物と考えます)だけど、科学番組が「おとぎ話」じゃ、それこそ話にならない!

人類は、いい加減、「科学的覚醒」をして、科学時代にふさわしい世界平和の視点を持たなければいけない!

それなのに我々を導いてくれなければいけない科学者のほとんどが、まだ「科学的覚醒」すらしていないんだ!



おっと、またジジイの悪い癖だ。また興奮して先走ってしまった。

言いたかったことは、「人類が言葉を用いるようになり、”名前"を付けることで、本来つながっているものをバラバラにしてしまった」ということだったね。

それを踏まえて、「自分とはこの宇宙だった」の根拠を説明していくけど、まず最初に僕たちの身体ができるまでを見てみよう。

始まりは受精卵という「たった一つの細胞」だよね。それが何度も分裂を繰り返し、それぞれの《環境》に合わせた細胞が作られていく。それを「分化」と言う。

一つ一つの細胞に書かれている情報‥‥つまり設計図は一緒なのにもかかわらず、下図のように、あるものは心臓の細胞になり、またあるものは目の細胞になったりしていたんだ。

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これは、その《環境》に合わせて遺伝子の発現を制御する調節因子タンパク質が働き、その指令に従って分化するからということだ。

その逆に、皮膚になってしまった細胞も、元々の設計図は他の細胞と一緒なので、これをうまく培養してそれぞれの《環境》に移植すると、例えば胃袋ができたり、目玉ができたりする。

これはとても重要なことだから、もう一度後で出てくるよ。よく覚えておいてくださいね。

それを実験で、本当にそういうことができるということを証明したのが、あの有名な iPS 細胞だよね。

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「分化」と言ったけど、これは宇宙のでき方も同じなんだ。同一宇宙内の営みなので、同じ法則が適用されるのは当たり前と言えば当たり前なのだけどね。

元は超高温・超高密度の小さなたねから、《環境》に合わせて様々に分化して様々な天体ができ、地球ができ、植物ができ、そして今あなたやジジイはここにいる。下図の右端があなたやジジイがいる137億歳の「現在の宇宙」だ。

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上図の一番左にビッグバンとあるのが、僕たちの受精卵に当たる宇宙のたねだ。そのビッグバンの時には素粒子そりゅうししか存在しなかったけど、それがくっついて原子となり分子となり、さらにくっつき組み合わせを変え、性質を変化させたりして、現在、《環境》に合わせて発現されているものが地球であり、植物であり、そしてあなたやジジイというわけなんだ。

だいぶ端折ってしまったけど、『人類の育てた果実(自分探しの旅の果てに)』の中の「《🐢自分探しの旅 with マーキー🐢》NO.5 そして‥あらゆる元素が作られた」に詳しく、そしてどんな科学書よりわかりやすく説明しているので興味があったらその部分だけでも読んでみてください。

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下図が今の端折った説明をさらに簡略化して表したものです。

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スペースの関係で、犬と木と人だけしか描いていないけど、この宇宙に存在するありとあらゆる万物は、ビッグバンから分化されたものだよね。
ところで、「化した体」と書いたけど、略して「分身」となるよね。分身主義の「分身」というのはこのことだ。

目の前にある机もパソコンも鉛筆も消しゴムも、人間が名前を付けることができる物体は全て、ビッグバンから分化した「分身」なんだ。
(たとえ人工物であっても、本当は自然物である人間が、《環境》に作ら・されたものでしかないんだ。だから人の手が加わったと言っても自然物には違いない)


分身主義はこのような考え方をする。と言っても「原始文化」における*アニミズム的なものではなくて、今見てきたように、実に科学的な意味において言っているんだよ。

* アニミズム(英語: animism)とは、生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方。19世紀後半、イギリスの人類学者、E・B・タイラーが著書『原始文化』(1871年)の中で使用し定着させた。

さて、先ほどの二つの図を並べて見てみるとわかってくることがある。

下左図は受精卵から「あなた」が作られるまでを簡略化して描いた図。
下右図はビッグバンから「あなた」が作られるまでを簡略化して描いた図。
二つの図に、「人間」と書いてあるのが、「あなた」のことだと思ってください。

左図でわかるように、分化してできる目や胃や心臓などの器官は、人間が名前を付けて分けているだけで、本当は全部つながって一個の人間を作っているよね。つまり、目や胃や心臓‥‥は「部分」であり、目や胃や心臓の「全体」は一個の人体だ。

同じことが右図でも言える。犬や木や人は「部分(分身)」であり、犬や木や人の「全体(全身)」は一個の宇宙だ。

ほらね!

右図で、「人間」と書いている「あなた」は分身で、「あなた」の全身はやっぱりこの宇宙だったんだ!


別にジジイは、屁理屈を並べ立ててあなたを騙しているわけじゃないよ。

さっきも言ったように、科学は「名前をつけること」によって物事を切り刻み細分化するばかりで、元に戻すことを忘れちゃってるから、子どもでもわかるこんな簡単な理屈がわからなくなっちゃってるだけなんだ。

このことから、*分身主義*(個人主義と読み間違えないように米印で囲っています)では、全体主義のような「個人は全体の部分」という考え方をしない。部分と全体は同価、「部分=全体」という視点を持つものなんだ。つまり「あなた=宇宙」ということだ。

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ここまでが、ジジイが「科学的に言えば、自分とはこの宇宙だった」と言う根拠だ。

それではここから、先ほどちょっと棚上げしていた、我々が「この宇宙が自分だった」と知らなかったおかげで、人類はかなり厳しい代償を支払わされてきた‥‥
の話に入ります。


🔖④ 人類が支払ってきたかなり厳しい代償

さて、もう一度先ほどの左図を思い出してください。
「分化した細胞」を全部ひっくるめたものが「あなた」の身体だから、赤枠で囲み「自分A(人間A)」と書き足してみた。

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では、次のような想像をしてみてください。

ある日のこと‥‥。
あなたという人間(人間A)の中のある種の細胞(ここでは皮膚細胞としておこう)が言葉を用いるようになり、自然界のものを抽象化することで自然界のあらゆるものを客観的に見るような脳が生まれた。

客観的に眺めるためには、それを眺めているリアルな自分が確かにこちらにいるに違いない。

そのように錯覚することにより、それぞれの皮膚細胞が「細胞膜の内側が自分だ」と主張し始めた。それが下図の「自分a(人間a)」と小文字で書いたものだ。

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やがて彼らは自分の縄張りや所有を主張し、仲間や敵を作るようになる。
自分の勢力を拡大させるために屁理屈を戦わせ、攻撃したり、奪い合ったり、傷つけ合ったり、殺し合ったりするようになった。

あなたはどうします!?

あなたの身体(自分A)の中で、こんな事態になったらあなたは困ってしまうよね。

錯覚の自我を持ってしまった皮膚細胞たち(自分a)が、互いを傷つけ合うことは、本当の自分(自分A)である「あなた」の身体を傷つけていることと同じだ。

当たり前だね。あなたの身体の中で全部つながっているんだから。
物理・化学的な意味で言えば、どこにも切れ目なんてなかったんだものね。

その現状を知った本当の自分(自分A)の「あなた」は、見て見ぬふりをしてやり過ごすことができますか?
自分の身体をむしばみ傷つける争いなどやめて、仲良くして欲しいと願うはずだ。みんなが仲良く心を一つにして、同じ前を見て生きていこうと呼びかけたくなるはずだ。


だけど‥‥、

だけど、悲しいかな、この宇宙の中で実際にそれが起こってしまった!

ビッグバンから分化したものたちの中で、人類だけが、ある日言葉を用いるようになり、「この皮膚で覆われた内側が自分である」という錯覚の自我を持ってしまったんだ。

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ちなみに、宇宙の137億年を一年のカレンダーにすると、地球ができたのは約4ヶ月前だけど、今の人類(ホモ・サピエンス)が出現するのは、12月31日の日付が変わる7~8分前になる。

いつ頃人類が言語を獲得したかははっきりわかっていないけれど、ホモ・サピエンスがアフリカ大陸の外へと躍進する頃ではないかとする学者がいる。そうすると、今から7万年前頃なので、「幻想」を持つ脳が生まれたのは年が変わる2~3分前ということになる。

それまでずっと平和だった宇宙に、悲劇が起こったのはつい最近のことだったんだよ。
ほんの2~3分前に、「平和だったあなたの全身である”宇宙”」に、先ほど想像したような災難が、実際に降りかかってしまった。


🔖⑤ 死を「悪」のようにイメージしてしまう理由

その後に起こった、「あなたの本体(=全身)である”宇宙”」に降りかかってしまった災難を具体的にもう一つ見てみよう。

例えば、2017年9月22日のデーターだけど、核実験は1945年(第二次世界大戦の終結)以来、全世界で2000回以上も行われているという話だ。(「世界の核実験」より)

だけど、それは自分で自分の身体を傷つけているのと同じことだったという意味なんだ。まるで自傷行為だった。

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核実験をして地球という自分の身体の一部を傷つけても、それがすぐには自分に及ぼしている影響を実感できない。人間の五感なんて、他の動物と比べても恐ろしく鈍感だからね。

でも確実に僕たちの「全身=宇宙」はむしばまれている。その証拠に地球が全壊しても生きて行ける人なんて一人もいないよね。やはり、この宇宙は全部つながっているからどこかで影響し合っているんだ。

他人との争いだって、他人は自分の分身なので、結局は相手を傷つけているのは自分を傷つけているのと同じなんだけど、それも気づけない。だけど必ず何らかの形で自分にも返ってきているはずだ。

気づけないから、人間は戦争や殺人やイジメというめちゃくちゃな「自傷行為」をず~っと繰り返してきたんだ。

それらが自分で自分を傷つけていた行為だと気づけないせいで、戦争も殺人もイジメも、いつまでたってもなくならない。

なくならないから、我々が「死」というと、戦争の「死」や、殺人での「死」や、人生に絶望した「死」などというイメージばかりが浮かび上がってしまうんだ。

それらの「死」が良きものであるはずはない。

だから、「死は悪いもの」というネガティブなイメージが人類に染み付いてしまっているだけだったんだよ!

とても残念なことだよね!

🔖⑥ 医療という非科学の現場

それだけでなく、西洋医学というものが「死」をいたずらに怖がらせたり、悪者にしたりしていたんだ。

西洋医学というのは、何度も実験を繰り返し検証を行い、その上で治療を施すものだから、科学的で信頼できるものだと思われている。

でも、本当は科学的方法論を採用しているというだけで、実は「非科学」なんだ。言い方は悪いけど、似非えせ科学なんだ。

どうしてかと言うと、医学が相手にしているものは「病気」だよね。

「病気」という言葉からどんなものをイメージするだろう!?

恐いもの、忌まわしきもの、遠ざけたいもの、辛く悲しいもの、闘って打ち勝たなければならないもの‥‥。

つまり、今の医学というのは、この「人間の感情」に基づいて自然界を理解しようとしているんだ。

本当の科学というのは、人間の感情や偏見や先入観や固定観念などを排除して、どこまでも「謙虚」な気持ちで自然界様に問いかけを続けるもののはずだ。

それなのに今の医学は、人間の感情に科学的方法論を利用しているだけで、謙虚な気持ちで問いかけるどころか、むしろ自然界に反旗はんきひるがえし戦いを挑む「高慢」で「傲慢」なものなんだ。

このような現在の医学によって、「病」は、「敵」であり「悪」だというイメージが我々にこびりついてしまっているんだけど、「死」というのはその「病」との戦いに敗れた結果だということで、「悪」のイメージが張り付けられてしまったんだね。

だけど、そんな態度だと、目が曇ってしまって、科学的真実(=自然界の真実)が見えない。

例えば医学者が「免疫」というものを我々に説明してくれる時、「免疫系は、自己と非自己を区別して《わたし》の体を、危険な外界の攻撃から守るために存在している」などと言うけれど、それは全く非科学的な説明なんだよ。

いいかい!?
自己と非自己を区別しているのは「免疫系」ではなくて、人間の感情や価値観や偏見なんだ!

免疫系というのは単に生体内で起こっている生化学反応に過ぎない。化学反応なんてあっちでもこっちでも頻繁ひんぱんに起こっているよね。その一つに過ぎないんだ。

それに、言ったでしょ。「自分はこの宇宙だった」って。だから、科学的に言えば、危険な外界なんてものはどこにも存在しないんだ。言葉を持ってしまった人間だけが作る物語に過ぎない。

そもそも「病気」というネガティブで感情的な言葉なんか、科学は使うべきではなかったんだ。「病気」と呼ばれて敵対視されていたものは、科学的に言えば、その身体が自然界に適応している状態のことなんだ。

その適応の状態が辛くて仕方ないというのなら、本当はその人の身体をいじくりまわすだけではなく、そのような適応をさせている《環境》にも目を向ける必要があったということがわかる。

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だからと言って、ウイルスに感染しても治療してはいけないと言っているんじゃないよ。ウイルスも死も敵ではないと言っているんだ。敵視するよりも自然界とのつながりを意識することの方が大事なんだ。

そのしっかりした土台に立てば、何が起こっても、自然物である人類は慌てたり不安がったりすることは一切ない。

真の幸福は自然界を敵視したところには絶対にない。むしろ、敵視していたからこそ、幸福が遠ざかってしまっていたんだ。


科学的方法論さえ使えば科学というわけではない。
科学的方法論を利用した人類の過ちで、思いつくものは何がある!?

先ほどの忌まわしい「核兵器」なんか、量子論という科学を利用したものだよね。

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だけど、「殺りく兵器」というものは、人間の恐怖、妬み、恨み、怒り、不満、偏見などの感情が科学を利用して生まれたものなんだ。

ジジイが科学を勉強した限り、この宇宙に「敵」など存在しないと、自然界様は教えてくれていた。

だから、「殺りく兵器」というものは人間の感情が科学の方法論を利用しただけで、それらは科学が自然界様から聞き取った言葉なんかじゃない。つまり非科学なんだよ。科学を装った似非えせ科学だ。


現代医療も似非科学だと言ったけど、その医療がたどり着いている恐ろしい現実を知ってほしい。
下の記事は、現役のお医者様が「延命」の実際を教えてくださっている。

ジジイは、医療がこのような帰着点にたどり着くのは当然だったと感じている。何故なら、本当の科学ではなく、人間の感情に任せて自然界に歯向かい傍若無人に暴れまわっているからだよ。

ジジイには、この医療現場の高慢な姿勢を、自然物である我々人類をむしろ冒涜ぼうとくしているように感じられてならないんだ。


🔖⑦ 幸福は死を受け入れたところにしかない

「車の両輪(くるまのりょうりん)」ということわざがあるよね。自動車は、両輪のうちの片方が欠けたらちゃんと走れない。

同じように、人間がこの世に生まれた瞬間、誰もが同時に背負うことになる「生」と「死」の片方である「死」を否定して、僕たちがうまく生きれるはずもない。つまり、幸福になれるはずもなかったんだ。

そのためには、やっぱり、最新の科学が解明している「本当の自分」とは何かを知ることで、がんじがらめに縛られている「現在の錯覚の自我」から解放される必要がある。

そうすれば人類は、言葉を用いるようになってからずっと縛られていた、この「個人主義的環境」から解放されて、「分身主義的環境」に移行することができる。

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個人主義的環境:錯覚の自我を持ってしまって自然界から迷子になってしまった我々人類が、自然界を人間の想像力や直感で勝手に都合よく解釈して作った人間中心の社会。

分身主義的環境:錯覚の自我を持ってしまって自然界から迷子になってしまった我々人類が、科学を使って自然界の声を聴き、自然物である人類の本来の居場所を探し当てた社会。

現在の人類の《環境》が、「本当の自分」を知った人たちが作る「分身主義的《環境》」になったなら、戦争も、殺人も、イジメもなくなる。何故なら、それらは自分で自分の身体を傷つけていたことだったと、科学的な意味で理解するからだ。

そうすると、「死」のイメージがガラリと変わるはず。

「生」というものが”良きもの”であるように、「死」というものもまた”良きもの”に思えるようになるんだよ!


ジジイは現在の医療には全面的に反対で、病気になっても治療してはいけないなんて乱暴なことを言っているんじゃなくて、「土台が間違えていた」と言いたいんだ。不安定な「錯覚の自我」という足場の上で仕事をしていたんだよ。

「本当の自分」を知って、それを土台にして「医学」の研究を進めれば、自然物である人間にもっと優しい、もっと寄り添ったものになると言いたいんだ。

死を敵視して何が何でも生かそうとする現在の医療ではなくて、「死」を”良きもの”と知ったお医者様が治療を行う世界になって欲しいんだ。

そして、病気というものは、身体が自然界に適応している状態だと知っているお医者様に治療を行って欲しいんだ。その理解を基軸として、その人の辛さを取り除くにはどう折り合いをつけたらいいのかを考えるのが、本来の科学的医療ではないだろうか!? 

そうすれば、自ずと「病気」が我々にもたらす「辛さ」、つまり痛みとか苦しさとかもずっと和らぐに違いない。実は、我々をいたずらに怖がらせる医療が、痛みや苦しみを心理的に増幅してしまっていたからなんだ。


🔖⑧ 科学的輪廻転生

これからご説明するのは、先ほども名前を出させていただいた、立命館大学名誉教授の安斎育郎分身さんの考えている「科学的輪廻転生観」というものだ。

人体を構成している元素の中で、体重の0.1%以上の元素(原子)の含有量は次のような割合だ。

酸素 65.0%
炭素 18.0%
水素 10.0%
窒素 3.0%
カルシウム 1.5%
リン 1.0%
イオウ 0.25%
カリウム 0.20%
ナトリウム 0.15%
塩素 0.15%

炭素原子は体重の18.0%なので、体重が75キロの人なら、13.5キログラムが炭素ということになる。
75×0.18=13.5

この人(仮にAさんとします)が死んで火葬に付されれば、13.5キログラムの炭素が酸素分子と結合して、二酸化炭素(炭酸ガス)の分子となって火葬場の排気筒から大気中へ放出されていくことになる。

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そこで安斎分身さんは次のように考えた。

火葬場から放出されるこの二酸化炭素が、もし地球の大気中に平均にばら撒かれたとしたら、無作為に大気中のどこかの空気を1リットル採取した場合、そこには一体何個のAさんブランドの二酸化炭素分子が存在するのだろうか?

彼の計算によると、驚くことに、13万2500個もあるという答えが出たのだ!!
たった1リットルにだよ。


安斎分身さんは言います。

「あなたが死んで火葬に付され、その身体を構成していた炭素原子が火葬場の排気筒から二酸化炭素に変換されて大気中に均一にばら撒かれたとしたら、エルサレムでもリオデジャネイロでもピョンヤンでもニューヨークでも網走番外地でもどこでも、1リットルの空気を採取したら、その中には13万個以上もの「あなたブランド」の二酸化炭素が含まれているということになる。その二酸化炭素は、野菜や穀物や雑草などの光合成に利用され、それを食べた動物の細胞となり、さらにそれらを食べた人間の身体になるわけです。


これが安斎分身さんの考えている「科学的輪廻転生観」だ。

今は、炭素原子だけの輪廻を考えたわけだけど、人体を構成する物質は他にもたくさんあるし、葬法にも火葬だけでなく土葬や鳥葬などとあるから、実際の輪廻はもっと複雑な様相を見せてくれることでしょう。

彼は次のような興味深い想像をしている。

「私の体を構成している原子のうち、あるものは過去にナポレオンの体を構成していた原子かもしれないし、徳川家康の体を構成していた原子かもしれないのだ。これは科学的な意味において『輪廻転生』と呼ぶにふさわしい大自然の摂理ではないか。
私の体も、やがてこの大自然の輪廻に参加し、あるいはベトナムで米となり、あるいはジンバブエで少年の心臓の一部となり、あるいは見も知らぬフランス人の脳に宿るかもしれない。
私の生命は『個体の死』とともに終わっても、私の体は世界に広がって生き続けるのだ」


安斎分身さんは、動・植物ばかりを引き合いに出しているけど、もう少し範囲を広げてもいいと思う。

今まで人工物と呼んでいたものも、自然界の素材を組み替えただけのものなので、僕たちを構成している分子が、過去それらのものであったり、将来それらのものに生まれ変わったりする可能性もあるわけなんだ。

よく「肉体は滅んでも魂は不滅」と言われることがあるけど、科学的に言えば「魂(脳の活動)は滅んでも物質は不滅」というのが本当のところだったんだね。

ジジイはこちらの「魂は滅んでも物質は不滅」の方がずっと好きだ。
何よりそれが自然界様が教えてくれた真実だし、世界中の人、と言うか宇宙の万物が一つになれるからだ。元々一つだったんだから、我々が本来の居場所に帰るだけの話なんだけどね。

「自分とは宇宙だった」

変装名人な僕たちは、この宇宙の中で形を変えて永遠に生き続けるんだ!
まさに、この宇宙そのものだったんだね!


🔖⑨ 命の大切さ‥‥なんて言って欲しくない

ジジイの嫌いな言葉の一つ。「命の大切さ」。
例えば次のように使われたりする。

「命の大切さを伝えていこう」
「命の大切さを教えよう」

じゃあ、「死」は大切じゃないの!? って聞いてみたい。

そもそも、なんで「命の大切さ」を伝える必要があるの!? 誰から誰に?

たぶん「命」を粗末にする人たちがいるから、そういう言葉で引き留めておかなければならないのだろうけど、でも、命を粗末にする人を作っているのは、我々が作っているこの今の《環境》なんだ。

一方では、命を粗末にするような《環境》を作っておきながら、その《環境》から浮かび上がらせ・られた耳障みみざわりのいい言葉を口にしたって、何の説得力もないよね。

僕たちは、「命の大切さ」という言葉など、使う必要もない《環境》を作らなければいけない。
この《環境》が、今までの「錯覚の自我」が作っていた「個人主義的環境」から、「本当の自分」を知った人類が作る「分身主義的環境」に変わらなければいけない。

それには、科学が自然界様から聞き取った言葉を理解して、我々の脳の記憶に上書きをするだけでいいんだ。簡単だろう!?


🔖⑩ 分身主義は幸福色のサングラス

*分身主義*は個人主義にならって名付けられただけで、「主義」などと言ってはいるけど、実際は主義でも主張でも思想でもない。

ジジイは、*分身主義*は「科学時代を生きる現代人が、世界を平和にするために持たなければいけない”視点”」のことだと考えている。

物を見るための視座。何かを考えるためのしっかりした土台。何かを創造したり組み立てたりする時の足場。それらがしっかりと固定されていないといけないからです。


何をするにも土台がしっかりしていなければダメ、というのはあらゆる仕事の鉄則だからね。


それなのに今までの人類は、「自分とは何か」とか「人間はどのようなメカニズムで思考し動いていたのか」も知らずに、「錯覚の自我」という不安定な砂の上に様々な建物(文化や文明や学問など、そして政治や経済‥‥)を建てて、倒れそうになったら 急場しのぎのつっかえ棒をしながら、その上にさらなる建て増しを続けていたんだ。

当たり前の話だ。何故って、科学がそれらを解明したのは最近のことだから、今までの人たちは、学校でも社会でも知らされていなかったんだからね。


*分身主義*は「科学時代を生きる現代人が、世界を平和にするために持たなければいけない”視点”」と言ったけど、もっとわかりやすい比喩で言うと、この世界を幸福色に染めるサングラスのようなものなんだ。

*分身主義*というサングラスを通して見ると、「生」が”良きもの”であるように、「死」もまた”良きもの”であることがわかる。自然界の摂理が見えてくる。

ちなみに、ジジイは黄色いサングラスが大好きだ。
あなたも、もし手に入れることができたら、黄色のサングラスをかけてみてください。今までの何気ない日常が、まるで魔法にかかったかのように一瞬で、光あふれる輝くような「幸福色」に変わるよ。鬱な気持ちなんて吹っ飛んじゃうよ。

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左の何気ない日常の画像を10秒ほど眺めた後、右の画像に目を移して10秒ほど眺めてみてください。この画像ではわかりにくければ、実際に黄色いサングラスかセロファンで試してくれればジジイの言う「ぶっ飛ぶような体験」をしてもらえると思う。同じ風景なのに「土台」が変わればこんなにも世界は変化するんだ。

(上・左図)は、今までの「錯覚の自我」というサングラスで見ていた個人主義の現実。閉鎖的で互いにいがみ合っていた世界。
それに対して(上・右図)は、「本当の自分」というサングラスで見ている分身主義の現実。誰もが自分の全身を意識している世界。助け合うのが当たり前の明るい世界。

(*科学的に言えば、人間が何かを認識するということは、このように、その人のサングラスを通して見ているんだよ)

人間はいずれにしてもサングラスを通してしか物を認識できないとしたら、自然界様に何度も何度も間違いを訂正してもらってたどり着いた、科学が与えてくれたサングラスをかけた方がいいに決まっている。そのしっかりした土台に立ってすべてを始めるんだ。

いいかい!?

「死」は少しも不幸なんかじゃなかったんだ!?


まだほとんどの人が知らないけど、そしてほとんどの科学者さえも知らないけど、あなたは一足先に「幸福のサングラス」を手に入れてしまったんだ。
それを早くみんなに教えてください。
そうすれば、あっという間に人々の思考や行動が変化し、この世界は平和になり、そして世界中の人が一人残らず幸福になれるんだ。

あの、我らが誇るべきモンスター、宮沢賢治分身さんも100年も前に予言している。

世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない!

その時、人類は、今まで信じていた幸福と本当の幸福とは全然違っていたということを知るはずだ!

ジジイは自分の死は少しも恐くない。死ぬ直前、もし苦しかったり痛かったりしたら嫌だなとちょっと思うだけだ。
でも、どんどん複雑な迷宮にはまり込んで行く人類の行く末を考えるととても不安で怖い。全人類がどんどん間違った方向に誘導されているのに誰も気づかないでいる。

人類が本来の居場所を知るためには、どうしても科学が必要なんだ。それも、人間中心の似非えせ科学ではなく、自然界様から謙虚に学ぶ「真の科学」がね。

言葉を持ってしまったことで、自然界に在りもしない「自我」という縛りを受け、自然界からはぐれて迷子になってしまっている人類が、本来の居場所を探すためにはどうしても「真の科学」が必要なんだ。「真の科学」だけが自然界様と会話ができる唯一の学問だからなんだ。

そして、みんなが幸福になるためにも「科学的覚醒」が必要なんだ。


世界中の*有識者と言われる方たちに提言、と言うかお願いしたいことがある!

*有識者
その方面では、専門的な知識があり、世間からも有能で見識が広いと認められている人。

あなた方が培ってきた知識や経験を活かして、これからは「世界中のみんなが仲良く楽しく生きるにはどうしたらいいのか」それだけを考えてください!
そのためには、まずは「科学的覚醒」です。

そうすれば、高度な技術や、難しい理論や、平行線でしかない議論や、お金が作る複雑なシステムなど必要なかったことに気づくはずです。

むしろ、世界中の人が一人残らず仲良く楽しく生きるためには邪魔な物だってたくさんあったんだ。むしろ邪魔なものの方が多かったくらいだ。

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「およそ、宇宙を漂っている私たち人類が、仲良く生きることを犠牲にしてまでも決定しなければならない重大事項なんて、ただの一つだってありはしません!」(『宇宙に一つだけの目的(科学が解明した‥本当の自分)』より)


せいぜい60年とか80年とか言われている僕たちの人生だよ。そんな短い人生をどうして仲良く楽しく生きようとしないのさ!?

どうしてあなた方、有識者は、競争したり、傷つけ合ったり、悩んだり苦しんだりして生きることを選択してきたの!?

どうしてあなた方、有識者は、この自然界で、高度な技術や、難しい理論や、平行線でしかない議論や、お金が作る複雑なシステムが必要だったの!?

その答えは、あなた方も、この個人主義的《環境》の犠牲者だったからだ。

人生はもっともっとシンプルだったんだよ! 難しいことは何もない。「みんなが仲良く楽しく生きるにはどうしたらいいのか」それだけを考えて世界中の人が実践すればそれでいい。簡単だろう!? 
(これがジジイからの最終的な遺言です)

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🔖最後に

初めの頃、ジジイが「これはとても重要なことだから、もう一度後で出てくるよ。よく覚えておいてくださいね」と言ったの、覚えていてくれてるかなあ。

細胞の「分化」の話をした時だ。

「その逆に、皮膚になってしまった細胞も、元々の設計図は他の細胞と一緒なので、これをうまく培養してそれぞれの《環境》に移植すると、例えば胃袋ができたり、目玉ができたりする」

と言ったよね。これがとても重要なんだ。

その設計図はDNAのことである、と言うのは現在は誰もが知っているよね。それが生物の遺伝情報であり、タンパク質を作るための設計図だ。

そのDNAが何からできているかと言うと、塩基(えんき)、糖、リン酸と呼ばれる三種類の化学物質だよね。

この中の塩基というのが、遺伝情報の暗号を作っているもので、アデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)、チミン(T)のたった4つ。

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この塩基が三つ組み合わさって一つのアミノ酸を作る暗号になっているんだよ。例えばGAAと並べばグルタミン酸を作るように命令をしている。

このアミノ酸がたくさんつながったものを、英語では protein、日本語ではタンパク質と呼んでいる。

この4つの塩基は一体、何からできているかと言うと、

・アデニン(A)は、4個の水素と、5個の炭素と、5個の窒素。
・グアニン(G)は、5個の水素と、5個の炭素と、5個の窒素、それと1個の酸素。
・シトシン(C)は、5個の水素と、4個の炭素と、3個の窒素、それと1個の酸素。
・チミン(T)は、6個の水素と、5個の炭素と、2個の窒素、それと2個の酸素。

ほら、この宇宙が産まれた頃の物質からず~っとつながっていたんだね。

話を先に進めるよ。

さて、これら塩基の配列が違うので人それぞれ体形や容姿や性質や資質などが違うわけだよね。だけど、元々の設計図は今見たように「水素、炭素、窒素、酸素」だけで書かれているわけだから、それが違う《環境》に置かれたので違う塩基配列になり、違う体形や容姿や性質や資質になっていたということだ。言っただろう!?

「皮膚になってしまった細胞も、元々の設計図は他の細胞と一緒なので、置かれた《環境》が変われば、例えば胃袋ができたり、目玉ができたりする」

さて、ここからが大事だ。

遺伝子というくらいだから、もちろんこれは先祖代々受け継がれてくる遺伝が我々の体形や容姿や性質や資質などを作っていたわけだけど、よく考えると、この先祖たちのDNAというものも実は《環境》が作っていたんだよね。

と言うことは、前回、投稿した記事『運命は誰が決めるのか(by 分身主義)』では、

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池江璃花子分身さん
羽生結弦分身さん
木村花分身さん
是枝裕和分身さん
宮沢賢治分身さん
などのスーパースターたちに登場していただいたけど、もしあなたが、彼らの《環境》で生まれてきて、彼らの《環境》で育ったらどうなったか考えてみて欲しい。

そしたら、彼ら本人になっていたということなんだ。

ちょっと信じられないかい!?

だけど我々を作り、我々を動かしていたもの、つまり我々の運命を決めていたものは《環境》だったと科学が知った今は、そう考えるのが妥当なんだよ。今まで「自分の意志」と言われていたものだって、《環境》に浮かび上がらせ・られた「意志」だったんだ。

「自由意志」があるかどうか、自分の頭で考えてみてください。下の記事を読んでくれれば、中学生くらいでもすぐにわかることだよ。

「自由意思があるかないか」なんて結論、実に簡単にわかることだったんだよ。

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それなのに、中学生でもわかる、この「人間には自由意思などなかった」という科学的事実を、頭が良い学者さんたちの中にもすんなりと受け入れられない人たちが多いみたいなんだ。弁解するための新たな事実を探し出そうとしたり、難しい理論を探してきて無理やり反論しようとしたりする人もいる。

学者らしく、第三者の立場で、「自由意志はあるかないか」の二つの意見を提示するだけで傍観者のような人もいる。

だけど、いつまでも傍観者でいてはいけない!

気づかない人も多いだろうけど、もはや人類は、「人間に自由意思があると思い込むのは個人の自由だ」などと言っていられない、危機的状況に追い込まれているんだ。

「個人主義的」な固定観念や、そこから浮かび上がる感情に、いつまでもとらわれていてはいけない。ある意味、彼ら(学者さんたち)も今の人間が作っている社会に洗脳されているので、自然界の真実が見えないんだ。

それに、彼らは、「自分の意志」という場合の、「自分」とは神経系の作る錯覚である、という科学的事実を知らないで論じているんだ。論じる以前に、それを論じている”自分”が、そもそも錯覚だったと知らなければ、正しい結論にたどり着けるはずもなかったんだ。

ジジイは今、今まで信じていた「自分」は錯覚で、本当の自分は137億年前に産声を上げたこの宇宙だと知っている。そして今は人間という配役を任され、日本という国に生まれさせられ、日本語を覚えさせられ、この《環境》にいろいろなことを記憶させられ、そしてたった今、《環境》に思考させ・られ、パソコンに向かって文字を入力させ・られているのを感じている。

さて、《環境》が我々の身体を作り、思考を生み、行動を作っていたということはわかったよね。
そして、もしあなたが、スーパースターである彼らとまったく同じ《環境》を生きるとしたら‥‥、そう、彼ら本人になっていたとしか考えられないんだ。つまり同一人物ということだ。

あなたが、池江璃花子分身さんや、羽生結弦分身さんや、木村花分身さんや、是枝裕和分身さんや、宮沢賢治分身さんというスーパースターになっていたんだ。そう考えたら彼らを「ねたむ」ことも「うらやむ」こともない。

素直に「他の人には経験できないその人だけの《環境》を、全人類を代表して生きて下さっている分身さん」として感謝する気持ちが湧くだけだ。

肝臓が心臓に嫉妬したり羨望したりしないのと同じようにね。どちらも一個の人体を作るために、大切な《環境》で働いてくれている。

もちろんあなただって、自分自身を「他の人には経験できないあなただけの《環境》を、全人類を代表して生きてあげている分身」として大いに誇りに思っていい。池江璃花子分身さんや、羽生結弦分身さんには決して真似できないあなたの《環境》なんだ。

例えば、ジジイの人生をビル・ゲイツ分身さんが体験できるかい!?
タイガー・ウッズ分身さんが体験できるかい!?

彼らが特別「偉い」わけではなく、《環境》に実業家にさせられたりゴルファーにさせられたりしていたというのはわかったよね。だから、彼らが「ジジイのような人生はまっぴらだから、体験したくもない」という「意志」のような話はここではナシだよ。やりたいやりたくないではなく、彼らには体験できないんだ。

もちろんジジイには、ビル・ゲイツ分身さんやタイガー・ウッズ分身さんの人生を体験できないけど、それと同じことだ。
だからジジイは、彼らの代わりに彼らの決してできない《環境》を生きてあげているんだ。みんなの代表を生きている「自分という分身」を誇りに思っている。

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同じように、悪いことをしてしまった犯罪者と同じ《環境》にあなたが置かれたら、残念ながら同じ犯罪を犯してしまっていたんだ。そう考えたら、その人に対する「怒り」や「恨み」も消えて、むしろ彼を助けようという気持ちが湧いて来るだろう!? 自分の全身を救うためにね。

でも、そのように考える分身主義的環境からは、大きな犯罪が生まれる可能性はないはずだと思わないかい!?

そして、そのように考える*分身主義*は、今言ったように「嫉妬、羨望、怒り、恨み」といった「争い」を起こす感情も浮かび上がらないと思わないかい!?

つまり、人類に「争い」を起こさせていた原因が、この世から完全に消滅するんだよ。

自分が生きている間に、そういう世界になって欲しいと思わないかい!?
そのためには「科学的覚醒」だよ。
ジジイが生きているうちに叶えたかった夢だけど、今ではもう遺言になってしまったけどね。



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★★★ 関連記事(保存版) ★★★
📌分身主義とは(ジジイの遺言書-10-)
📌真の科学とは何か?(ジジイの遺言書-7-)
📌個人主義から分身主義へ(ジジイの遺言書-8-)

★★★ 未来モデル小説 ★★★
『ブンシニズム・ドット・ネット』
人類が「科学的覚醒」を果たして、「個人主義の《環境》」から「分身主義の《環境》」に移行した未来の世界を感じてもらうために小説にしました。
お金も武器もなくなった世界なので、誰もがボランティアのように自由に働きながら世界を行き来して、行く先々で出会う人たちと交遊して人生を楽しみ、生だけでなく死も大切にする人たちの物語です。
実現可能な平和な世界。実現の願いを込めて描いた未来の世界です。

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実はこの記事は5/18(4週間ほど前)に投稿したものだけど、ジジイの操作ミスで記事を削除してしまいました。
せっかくいただいた「スキ」も「コメント」も消えてしまいましたが、「コメント」はダッシュボードの中の「削除済の記事」の中に残っていましたので、画像として張り付けさせていただきます。

本当にごめんなさい。情けないです。

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長い文章を読んでくださりありがとうございます。 noteの投稿は2021年9月27日の記事に書いたように終わりにしています。 でも、スキ、フォロー、コメントなどしていただいた方の記事は読ませていただいていますので、これからもよろしくお願いします。