リストラされたおかげで人生Rebirthを始めたオタクの話
「本当に申し訳ないけど、これ以上払えないので……7月末(退職)ということで……。」
(あぁ~このタイミングだったかぁ……)
それが最初によぎったことだった。
順番が回ってきた
2023年6月某日。年に数回あるメインの仕事がひと段落して、関係各所に「また次回もよろしくお願いします」メールを送って帰る準備をしていたところ、社長に呼び出された。
コロナ禍以降、仕事を減らさざるを得ない状況だったので、次の予定がひとつ飛ばされるお達しかなと思った。あとはまた給与遅延のお知らせか。
結論から言うとこの予想は当たった。ただ冒頭のお達しがこのタイミングできたのは想定外だった。
2年前に去っていった社員さんは年末だった。その時からもうひとり追加でとなったら、次は自分だと覚悟はできていた。ただ、年末を乗り切れば1年はなんとかなると勝手に思っていた。半年早かった。
「次回もよろしくお願いします」メールから1か月。スケジュールのお知らせではなく、退職のお知らせメールを送ることになった。所属は私だけの部署。会社の主要事業ではないので、このままフェードアウトするんだろうなぁ~と思いながら引き継ぎ書類を作るのが最後の仕事になった。
そういえば6月に「今回間に合わなかったアレ、次に持ち越しでお願いします!」ってメールしたけど、次はなかったなぁ……。私の見通しの甘さで申し訳ないことをした。引き継ぎで念押ししたけど、残った社員からフォローがありますようにと祈るしかなかった。
強火なオタクマインド
10数年ぶりの本格的な転職活動。数年前からこうなることを想定して水面下で活動はしていたけど、仕事しながらの転職活動と完全無職とではプレッシャーが桁違い。しかもよんじゅうさんちゃい。振り向けば東尋坊状態。
実家暮らしで衣食住の心配はいらないけど、両親を安心させるためはもちろん、オタクとしては「一刻も早く稼がねば……!」という謎のモチベーションがあった。自分のためにがんばるのは限度があるけど、大事な誰かを思えば限界を越えられる。
8月はじめに転職エージェントへ登録に行った時、いつまでに決めたいかというアンケートに「2023年12月末までに」と書きながら、心の中では全日本(フィギュアスケート選手権)までに決めるぞと誓った。すでに試合がある長野遠征を手配済みだったからだ。
全日本までに決めて気持ちよく、両親へのうしろめたさなしに遠征したい。不安を抱えずに推しの応援に行きたい。それが全てのモチベーションだった。オタクの真骨頂、みせてやろうじゃないか。できるやれると自分に言い聞かせた。
言い聞かせながら11月には2月に福岡で開催するアイスショーの遠征手配もして、自分をさらに追い込んだ。もはや強制イメトレ。こういう面で強気に出れるのが、良くも悪くも自分のいいところではないかと。たぶん。
第三者からの言葉を考える
登録したエージェントは3つ。A社B社は10数年前の転職活動で登録していた業界に特化した民間のエージェント。事情を説明して求人紹介を再登録。追加で新規登録したのは、退職を告げられてすぐ相談に行った某公的機関のキャリアカウンセラーさんに教えてもらったC社。
C社で担当についてくれた方はこまめに連絡をくださり、私のちょっと特殊な職種を理解して、少しでも合うような求人をと、いろいろ探してきてくださった。結果的に応募した数はここからが一番多かった。
キャリアカウンセラーさんにはこの後、2回ほど書類の添削でお世話になった。全く気にしていなかったところを突かれて、自分の雑な仕事っぷりを、客観的視点がまだまだ足りてないことを反省した。
それからできて当たり前だと思っていたこと、わざわざ(職務経歴書に)書くようなことじゃないと思っていたことが、「そうじゃないよ、セールスポイントになるよ!そんな自分を卑下しないで……」とうっすら涙を浮かべながら言われた時は、そんな自分みたいな人間に泣かなくていいのにと、マリアナ海溝より深く低い自己肯定感のなさで、なんだか申し訳ない気持ちになった。
現に今こんなことになってるのも、そもそも自分の能力のなさが招いたことでもあるし。ただ、時間が経つにつれて、できることが当たり前だと思っててもいいけど、それをできる自分をもう少し大事にしてもいいんじゃないかと、ちょっとだけ思考を広げることができた。
人見知りではあるけれど、いろんな人の話を聞くことは苦にならない。むしろ気づきを得られる貴重なありがたい機会だと思う。おかれた状況は決して良いとは言えないけど、立ち止まって考える時間をもらった、新しい知見を得られる時間だと思うようにした。過去は変えられないけど、今を耐えれば、がんばれば、未来は変えられる。
環境を嘆くより、やるべきことを。
いわゆる就職氷河期世代だけど、それを言い訳にはしたくなかった。同級生でちゃんとしてるコはたくさんいた。ただただ自分の力がなかったことで、20代を非正規で過ごした。頼まれたことを全部受けて、長時間労働から救急車にも乗った。9時~25時で残業代が出ない会社でも働いた。どの会社でもずっと最年少の立場で、誰かの補佐が自分の仕事だった。「ありがとう、助かったよ」という言葉をかけてもらえることに自分の存在価値を見出した。
そのわずかな価値も、30歳の転職活動では「歳のわりには経験がない」と言われ続けて途方に暮れた。チャンスの掴み方なんかわからなかった。
やっと正社員になれたと思ったら、経営状況が不安定で賞与もなく、給与も分割になり支払いも遅れ始めた。もはやタダ働きやんかと投げ出したくなる雑な気持ちに襲われる瞬間も何度もあったけど、お客さんや取引先、お世話になった外部スタッフさんには関係のないこと。迷惑をかけないように、負担をかけないように、気持ちよく仕事してもらえるように。目の前にあることを丁寧さと謙虚さでやりきることだけ考えた。最後はもうそれしかできることがなかった。
言霊は、ある。
8月から応募しては書類で落とされ、面接にたどり着けてもお見送りになることを繰り返し、自分の中で締切設定した12月になった。職種を広げてみてはと一般事務も勧められて応募したけど、それもダメだった。年内に決まらなければ、職種へのこだわりを放棄しなきゃいけないと思った。
そんな覚悟を持った頃、B社から求人案内の連絡がきた。これまでの経験をいかせる職種で、昔から好きな分野に携われそうな仕事内容。条件で厳しそうなものもあったけど、面接してもらえることになって、これがラストチャンスだと吹っ切った。
面接に同行してくれるエージェントの担当さんと直前に打ち合わせをした時、雑談から「それ自己紹介で言いましょう!いいエピソードですよ!」とアドバイスをもらえたことも心を軽くしてもらえた。私よりずっとお若い方だけど、落ち着いていて頼りになった。
面接本番、うまく話せたかどうかはわからないけど、言葉につまることなく、背伸びしすぎることなく話せた。これまで情けなさから言葉が出てこなくて泣いてしまった面接もあったけど、この日はそんなことは一切なく、あっという間に1時間が過ぎた。やれることはやった。帰り道これでダメだったらしょうがないと思った。
翌週、エージェントさんから内定の電話がきた。全日本開幕の3日前だった。
自分が目標達成できたのだから、推しも大丈夫だ!というまたしても謎の確信をもって長野に向かったその顛末は前々回のnoteで。
ふたつの星の導き
この半年近く無駄に落ち込まなかったのは、オタクマインドに加えて、何年もずっと読み続けてきたふたつの占いの言葉があった。「しいたけ占い」と「石井ゆかりの星読み」。
しいたけ占いの2023年下半期の占いで
という部分は自分に重ねて、何度も何度も読み返した。これは自分の物語だと。
そして石井ゆかりさんの星読み、2024年の年間占い山羊座「おわりに」の
という文章は、これから新しい世界に飛び込むにあたって抱えている少しの不安を優しく包んでくれている。そして、ここがゴールではなく、スタートだということをあらためて言い聞かせている。
ゆかりさんもしいたけ.さんも、その言葉は導きであり、支えであり、背中を押してくれる羅針盤的な存在。毎週の占いで優しい言葉をかけてもらえることも、言霊の力を信じられる心をつくってくれている。だから自分も希望の言葉を口にしたいと思う。
とくに地道と地味は得意分野だと思う。やったるで!
44歳の新人から感謝とエールを
今日1月15日、初出勤。緊張で朝から胃薬投与。
たくさんの人と名前、仕事で使う言葉、覚えなくちゃいけないことがどーんどーん。年々衰えていく記憶の瞬発力に抗いながら。目の前のことをなんとか。ガラリと変わった生活サイクルに早く体を慣らしたい。
夕飯は半分も食べ切れず、胃薬にすがりながら、湯舟で寝かけたところを生還して、瞼半分降りた状態で最後これを書いている。どうしても今日残したかったオタクの執念(笑)
学生時代の頃に思い描いた未来とはだいぶ違った人生だけど、この道でなければ出逢えなかった人や出来事がたくさんあったし、それに生かされて今があるから、もっといい未来があったかもしれないけど、これが、今が正解だと思う。
今、将来に不安を感じている若い人がいたら、こうなりたいという目標を持ちつつ、それに執着しすぎないようにしていたら、自然と視野が広がって、脇道にそれても楽しめるよと言ってあげたい。人生いい時間ばかりではないように、しんどい時間もずっとは続かない。
まだ学生・社会人ほやほやだった頃、いくつになっても好きなことをたくさん楽しんで、仕事もがんばってる姿を見せてくれたオタクの先輩方のように、自分が楽しく生きてる姿を見て、そう思ってくれたらいいな。
きっとこれから難しいことや大変なことが待ち受けていると思う。それでも、ずっと「誰かに(=推しに)恥じない自分でいたい」という気持ちを手放さなかった自分なら、どん底の時間もいつか笑い話にできる日がくると信じ続けたわりと図太い自分なら、転びながら笑いながら歯を食いしばりながら、確実にある不安を左手に持ちつつ、「なんとかなるさ」と「どうにかしよるやろ」という謎の確信を右手に握りしめて、明日も明後日もがんばれる。オタクの誇りにかけて、がんばれ、自分。