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まつのことのはのたのしみ その三

 この記事に目をとどめていただき、ありがたうございます。
 最近、旅行雑誌を読んでゐて、私も旅行記を書いてみたいと思ふこのごろです。どうか最後までお付き合ひください。

 前回、「直感」についてお話ししました。今回も、おほむね同じ内容です。
 お手元に歌集を用意していただきましたら、ご自身の好きなやうに読んでみてください。

最初の頁から読み進めるのもよし、
適当に開いた頁からでもよし、
一首一首音読(声に出して読んでみることはとても重要で、多くの識者がその効果を指摘してゐます。私もしてゐますのでおすすめです。黙読よりも、歌を暗記しやすくなります)してみるもよし、

とにかく、一つ一つの歌をご自身の好きなやうに読んでみてください。


 そして、特に何も考へずに読んだら、全く理解できないことがわかりませう。どう解釈したらよいか、どのやうな意味なのか、ほとんどの人がサツパリわからないといふことを実感することでせう。
 しかし、わからない中に、なんだか「良いな」と感じられる歌やなんとなく意味がわかる歌があるはずです。今、世の中に出回る歌集の多くは、ありがたいことに下段や隣の頁に現代語訳が付いてゐます。それもお読みになつて、自分なりの「良いな」を探してみてください(もちろん、わかつた歌があるといふことも大事です。それも素敵なことです。それに、同じ日本人同士です。時は隔ててゐても、必ずわかり合へます)。

 歌との出会ひは縁ではなく、魂が合ふことです。『万葉集』には。魂が合ふといふことをいつた歌が伝はつてゐます。

 筑波嶺の をてもこのもに 守部据ゑ 母い守れども 魂ぞ合ひにける

 なほ、私ごとで恐縮ですが、私が初めて手にした歌集は『万葉集』でした。
 当時、小学五年生で、歴史好きの私は自分の興味と関心に基づいて学校の図書館で歴史の本を読み漁つてゐました。水戸藩が編纂した『大日本史』つてどんな本だらう、北畠親房公の『神皇正統記』つてどんなことが書いてあるのだらう。本当にそのやうに思つてました。

 さうして、よくわからないなりに歴史の本を読み漁る中で、入門用の『万葉集』を手にしました。そして、ワクワクしながら頁をめくりましたが、内容は当たり前ですがサツパリわかりません。わかつたら神童です。しかし、読み進めて行く中で、ある一首が私の心を打ちました。

 東の 野に陽炎の 立つ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ
  ※いふまでもありませんが、賀茂真淵の訓みです。

柿本人麻呂の歌

 さう、柿本人麻呂の歌です。意味はもちろんわかりません。いかなる状況で、この歌が作られたか?柿本人麻呂つて誰?。そのやうな疑問が湧くこと以上に、「私もこの歌のやうな歌を作つてみたい」、さう思ひ、さう志しました。この時のささやかな衝撃が、私の和歌体験の始まりだつたのです。
 この体験、この感動を基にして、私は三十年にわたり和歌を学んできたのです。もちろん、途中、和歌から離れてゐた時期もありましたが、歌への憧憬はいつも胸に秘めてゐました。

 たびたび宣伝となつて恐縮ですが、「日本」七月号に拙稿「万葉集古義に学ぶ」を載せていただきました。お読みいただけたら幸甚です。

 最後に、私は、平泉澄先生の『山彦』中の「ぬくぬくで」といふことを大切にしてゐます。私の作つたものを通じて、受けての方の心の中が「ぬくぬく」になればそれ以上の喜びはありません。「ぬくぬくで」といふことについては、平泉澄先生の『山彦』(勉誠出版)中に次のやうにあります。

 明治も今は百年、明治以前に生れた人は殆ど無く、明治の初めに生れた人も稀になつた。十年前には、さういふ老人が、かなりあつた。その一人、一年に一度きまつて白山社へお参りに来たが、二里あまりの坂道、必ず下駄であるいて、決してバスには乗らなかつた。その感激に充ちた、樸直にしてしかも独創的な言葉を、十年後の今日も、私は忘れない。
 「身にあまるうれしさは、何ともかんとも申せませぬ。からだ中、ぬくぬくで帰らせていただきます。」「天地も驚く程の喜びでござります。」「はらわたも融ける思でござります。」
 かういふ人々の、樸直にして質素、正直にして敬虔、そして苦難を恐れぬ勇気、そこには明治の御代の底力を、強く感得せしめるものがあつた。後略
平泉澄先生『山彦』(勉誠出版)中、「青苔」

 「山彦」は本当に素敵な一冊です。どうか、お読みいただければ幸ひです。
 そして、今日も苦しみの中にゐる人が一人でも報はれることを願つてゐます。(続)

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