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法哲学者、瀧川裕英先生の自己責任論に対する論考

法哲学者、瀧川裕英先生の自己責任論に対する鋭い論考である。 ただ残念なことに、ホームページのデザイン構成上あまりにも見づらいので勝手ながら自分用にnoteにそっくりそのまま転載した。 自己責任論的言説に対して、思うところがあってもうまい反論が見つからない時、何を表現すればいいかわからなくなったときは、この論考に立ち返ってじっくりと考えることにする。 『法学セミナー』2001年9月号, pp. 32-35. (日本評論社、2001年) 「自己決定と自己責任の間―法哲学的考察

    • 私という国家の憲法第一条は何か?

      国家は、国家自身を規定する憲法を持つ。そこでは自身にとって何を正義とするか、不正義とは何かが言葉によって規定される。共通概念として国民に、そして国外の人間に対して発表することで、私はどんな世界観を、前提を持っていて、どんな行動をするのか、またどんな行動が許されて、どんな行動が許されないのかを第三者にも理解が可能な形で社会へと、世界へと交付するのである。 個人を規定する社会的価値の言説が融解し、自身を表現する言葉の有効性が次々に相対化されていく中で、自分の人生を自分のものとし

      • 本気で考えるべきことを見失っている

        精神が伸び切っている。あるのは解消されない原始的な欲求だけ。 哲学史の本は読んでいる。ただそれだけ。命を燃やす命題は見つかっていない。 睡眠薬がまだ体に残っている。ぼんやりとした眠気。憂鬱と退屈、あたたかい感覚。行ったり来たりしているような。 生きるべき原理論がなくたって、生は続く。死の条件がそろうまで。 人格を備えた神様なんて存在するとは思えない。人間には知覚できない次元に神様がいるとも思えない。 のっぺりしているむき出しの生。なんの加護もない生。 意味も価値も

        • 哲学の勉強 霧を掴むがごとく 

          相変わらず哲学の輪郭をつかむのに苦戦している。哲学という総体を追い求めているが、この姿勢がよくないのだろうか。哲学という個別の領域に見える思考とは、哲学者個人の経験や思考、感性に由来するものであって、哲学という大枠など存在しないのだろうか。哲学的思考様式が存在することを過程にして勉強を始めたが、ここにきて方針転換が必要なのだろうか。儒教や仏教の類推で学ぼうとする姿勢がよくないのだろうか。儒教、仏教の知識が薄いが故に、類推がうまく働いていないのだろうか。よく物事を理解することを

        法哲学者、瀧川裕英先生の自己責任論に対する論考

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          ステロイドで眠れんのか?

          ステロイドの影響でうまく眠れない。しんどい。 いや正確に言うと眠れる時と眠れない時の差が著しく激しい。 もし今日12時間睡眠がとれたとすると、翌日とそのさらに翌々日は2時間ちょっとの睡眠になってしまうような形だ。 とまあ充実した睡眠がとれないのをステロイドのせいにしているが、生活態度にもその原因の一端があるのを自覚している。 眠るのが朝方の6時になってしまうようでは、充実した睡眠が取れないのも当たり前だろうか。日が昇るのが早くて、まぶしさを感じながら眠ることになってい

          ステロイドで眠れんのか?

          ゲンロン叢書の新記号論読んだけど残念ながら頭に入ってこなかった

          まず、読む前に想像していた話の展開や、知の形とは違うために話が入ってこなかったことを正直に告白しておく。不勉強が災いして退屈でしょうがなかった。気分的にどんよりしていて、頭を働かせることに集中できていなかったことも原因の一つだが、やっぱりそれ相応の哲学的、思想的知識の前提を強いられる読書というのだろうか。読者にそれ相応の訓練が積まれていることを前提として、そして人文学への知的好奇心を人一倍燃やしていけることを想定して書かれている本である。きちんと意味をくみ取って自分のものにす

          ゲンロン叢書の新記号論読んだけど残念ながら頭に入ってこなかった

          日本哲学史 藤田正勝 学習ノート

          目次 序 章 日本の「哲学」と「哲学史」  1 「哲学」をどう捉えるか  2 哲学史とは何か ■第一部 受容期――明治の哲学 第一章 明治前期の哲学  1 「哲学」受容前史  2 西周による哲学の受容  3 福沢諭吉と近代日本の学問  4 中江兆民――「理学」としての哲学 第二章 大学という制度(アカデミズム)のなかの哲学  1 東京大学におけるフェノロサの哲学講義  2 現象即実在論――井上哲次郎・井上円了  3 哲学史の著述を通しての哲学受容――三宅雪嶺・清沢満之

          日本哲学史 藤田正勝 学習ノート

          朝倉未来引退しちゃうのかな・・・

          思わずnoteに向かいたくなるような熱量の文章がインターネットに転がっていた。触発されたので一人の格闘技ファンとして語ってみようと思う。 肉体が鍛え上げられ、心に充実感と情熱があって、自分が負けるはずがないと、完璧に自己催眠状態になっていたころの朝倉未来の戦いが鮮明に思い出される。グスタボとの戦い本当に面白かったな。最初のフェイントを織り交ぜたハイキックから、体をくるりと回転させてカウンターパンチの応酬。体を密着させたときの、グスタボの腰の強さがえらい印象に残った試合だった

          朝倉未来引退しちゃうのかな・・・

          人は死ぬ前に何に後悔するのか

          この本を図書館でチラ見した。どうやら人間はやろうと思えばできたのに、やらなかったことに後悔するようにできているらしい。単純であるが、まあそうだろうなと納得のいく答えである。 いつかやりたいと思っていることはすべてやったほうが身のためなのだろう。人間の生というのは本当に一度限りしかない。 自分の理想的な死とは何かを考えることが、自分がどう生きていくことがよい人生なのかを考えるいい機会になる。いい人生とは何かを自問自答し、考えつく限りそれを次々と実行していければ、必然とその瞬

          人は死ぬ前に何に後悔するのか

          引きこもっていることもつらくなってきた

          体調がすぐれない。別に血便を垂れ流していた以前のような悲惨な状態ではない。それなのにもかかわらず、気分がさえない日々が続いている。 孤独がつらい。今ははっきりとそう感じる。だけども15歳以来ずっと続けてきたこの生き方を方向転換できる気がしない。 社会で生きるということは、他者との折衷の中に生きるということだ。それが私にとってはつらい。1年ばかり努力して適応しようと思ったら、潰瘍性大腸炎になってしまうくらいには、私にとってストレスのかかることなのである。 社会でも生きられ

          引きこもっていることもつらくなってきた

          シンポニーからジセレカへ薬を変更することになった 潰瘍性大腸炎日記

          いつもの治療記録。シンポニーも感触は悪くなかったが、結局ステロイドを抜いたら週を追うごとに症状が悪化してしまった。そんでまたステロイド20mmから再開。全く困った困った。 今週からステロイド15mmとジセレカで治療することになっている。jak阻害薬は果たして私の潰瘍性大腸炎に効くのでしょうか?効かなきゃ死! ステロイドって腹の炎症は良くしてくれるんだが、躁になりがちで眠れなくなるのが大変に不便である。睡眠って本当に大事ね。早く12時間くらい眠りたい。 いつまでもステロイ

          シンポニーからジセレカへ薬を変更することになった 潰瘍性大腸炎日記

          個人的な苦しみの起源、反芻の源泉

          地味だが強烈な鬱のさなかにいる。困ったものだ。私の鬱的ものの中心症状は反芻が全面化して避けられないものになることである。まあ本当にいつものことである。ただ本当に困ったものである。やたらと反芻されている思考が避けがたいものになる。ただ何を主題として反芻が起こっているかが記憶されない。いつもこの状態になると苦しい思いをしているという実感だけが残る。感覚として、やたらと痛い思いをしたという実感だけが体に沈殿する。それが何に関することに対する思考だったが、何一つ残されないような思考で

          個人的な苦しみの起源、反芻の源泉

          潰瘍性大腸炎日記

          シンポニーでの治療を始めて2か月ちょっと、半年ほど続いたステロイド治療が終り2週間ちょっと経つ。どうも腹の調子がまたおかしい。シンポニーの追加注射があったその週は劇的に症状が抑えられている感じがしたのだが、よく知る体のだるさ、重さが顕在化してきて、また炎症がひどくなってきてしまった感じがする。疲れた。もうステロイドは飲みたくない。 出血がひどくなってくるとおならをするにも一苦労である。粘液や血液が出ないように意識していないとふいに漏らしてしまう。漏らした後はとても嫌な気分で

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          私が死んだら私の主観はどうなる?

          眠っていたいことを認識できるのは起きてからである。眠っている最中に眠っているとは認識できない。今日いい睡眠だったと判断するのは、または悪い睡眠だったと判断するのは、結局起きてからである。 死とは起きることのない睡眠である。つまりは永続的に自分が寝ていたことを認識できない睡眠である。それが何を意味するのか。今の私にはわからない。 今、私が確からしいと納得して書けるのはここまでである。この主題に関して腑に落ちた何かを手に入れることが出来たら、ここに追加していくことにする。

          私が死んだら私の主観はどうなる?

          最近の状況

          時間がのっぺりしている。思考がないせいだろう。ぼんやりとユーチューブを見て、fpsをし、またぼんやりとユーチューブを見る生活。考えていることがなくなった。考えるための主題が消えた。少し前まで哲学に興味がわいて、必死こいて読んで考えていたが、思考の筋肉が突然伸び切ってしまって、そこからぼんやりと過ごすことが多くなった。こうなったのにも私なりの理由はある。少し前まで、私は絶対の真理を求めて哲学へと接近した。この絶対とは、私にとっての絶対などではなく、人類のこれまでのすべてを内包し

          最近の状況

          鬱っぽくて本が読めないので動画について書く

          ここ一年間潰瘍性大腸炎の治療がうまくいかず、炎症が収まる気配を見せなったせいか、自分のもう一つの特徴である、鬱的感情と負の思考が前面に出てきてしまっている。小さく目標にしていた、本をひと月何冊か読んで自分の哲学を構築するといった使命もストップしている。目標にしていたことがまともにできないことを自己嫌悪し、さらに鬱屈し、それによってまた更に集中力や興味関心の能力が低下していく、それによって・・・といった負のループの中に今現在いる。 そんな中一つ私に癒しを与えてくれた動画。この

          鬱っぽくて本が読めないので動画について書く