小倉 風子

江戸飲食史研究家・野菜ソムリエ・メニュー請負人 江戸時代の食べ物に特にスポットを当て…

小倉 風子

江戸飲食史研究家・野菜ソムリエ・メニュー請負人 江戸時代の食べ物に特にスポットを当てて研究しています。 江戸の人たちの食べていたものの成り立ちや、当時の工夫、今とでは全く違う価値観や今に紡がれる文化を紹介できるよう、日々探求しております。

最近の記事

1400年ぶりのリバイバル?!「蘇」とは?

今、全世界ではコロナが猛威を振るい、私たちはひたすら色々なものに気を付けなければならない日々が続いている。 そんな中、どうやら「蘇」が流行っているという。 まさか、はるか昔に朝鮮から伝わったものが、令和のこの時代に取り沙汰されるとは思ってもみなかった。 では、「蘇(そ)」とはどのようなものだろうか? 日本では、奈良時代から平安時代にかけて牛乳が盛んに生産されている。天皇や皇族など、高貴な特権階級の人たちは1日に5.7Lも飲んでいたという。 孝徳天皇が朝鮮半島から

    • 宇宙の砂浜

      今から17年ほど前、まだ世界と自分の距離が近かったころ、ノリでタイへ初の単身旅行をした。 バンコクから長距離夜行バスに乗り、そこから船でパンガン島へ。 着くとすぐにレンタバイクで島内一周。 そして、細かい砂地に車輪を取られド派手に転倒。右半身、血だらけになり、海に入ることはおろか、激しく動くことも儘ならない状態に。 毎日、ぶらぶらしながら読書をしていたら、同じようにぶらぶらしながら読書をしている日本人と友達になった。 ある夜、彼の宿泊先であるサンセットビーチへ。

      • 大寒の水

        昨日、1月21日の節気は「大寒」。一年の内で最も寒さが厳しくなることをいうのだが、翌日の今日は東京でもまとまった雪が降り、まさに今の時期を如実に表している1日だった。 当時の後の第3戌の日を「臘(ろう)」という。この日に汲む水の事を臘雪水(ろうせっすい)という。江戸時代の頃より、この水で茶を煮るのが一番良いとされている。また、衣服及び肌を清浄すれば、塵垢を除いてサラのような状態になるという。あるいは、これに物を浸せば、腐らず虫食いもできないという、なんだか民間療法のように怪

        • ピリッとニヒルな黒いやつ

          先日、TVで胡椒飯のことを取り上げていた。海老でとったお出汁でご飯を炊き上げ、最後に胡椒を振る作り方だったような・・・。 江戸時代の料理本にも胡椒飯の記述が見える。 その作り方は上記とは逆で、胡椒の粉末をふってご飯を炊き、それにだし汁をかけて食べたそう。 他にもうどんを食べる際に、味噌だれや、鰹のだし汁に胡椒を入れて食べたり、とろろ汁や豆腐料理などの仕上げに胡椒を用いることは常の事といってもいいほどに、当たり前の事だった。 14世紀に西欧で起こった大航海時代は胡椒を手

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          かべすのきみ。

          江戸時代の市民の最大の娯楽と言えば歌舞伎。当時の歌舞伎は今よりはもっと気軽に足を運べるところで、毎日多くの客が詰めかけ、熱狂した。 桟敷席は今と変わらず高級席で、1階より2階の上桟敷が高く最上等席であった。演目によって値段は変わるが1枡が銀12匁5分(約37,500円)から35匁(10万5千円)であった。 桝席は平土間・鶴枡ともよばれた1階の大衆席。角材で四角く仕切られたが、観客が多いためどんどん詰め込まれて混雑した。木戸銭100文(3,000円)から120文(3,600

          かべすのきみ。

          喰えば断絶、恋しや、ふくふく

          寒い時期に欠かせない鍋。その中でも高級でしょっちゅう御目にかかれないのがフグ鍋。関西では福に通じるという意味で「ふく」と呼ばれるあのぽんぽこりんお腹。 てっさにてっちり、から揚げにそして〆の雑炊。ふぐ鍋の中でもこの雑炊が一番の楽しみで仕方ない。解いた卵(ときすぎ禁止)を出汁の行き渡った鍋の中に細く細く回し入れ、弱火に変えて蓋をしたら待つこと1分。 最後に浅葱をぱらぱらっと散らし、かきこむこと至福の極み。思い出しただけで芳醇なふぐの味が口に広がる。 そんなフグはいつから日

          喰えば断絶、恋しや、ふくふく

          暖簾が汚れてることこそ繁盛の印

          江戸時代後期文化年間(1804~18)には今、あたしたちが食べ親しんでいる握り寿司が誕生してる。安価で少し甘みのある糟酢が入ってくるようになり、簡単に酢飯が作れるようになった。それまでの寿司は鮮度を長く保てないことから、飯の中に魚をぶち込んで熟成させる「熟れ(なれ)鮓」というものが主流だった。そして、食べる際も醤油を付けることはせず、そのまま食べていた。今でも秋田県に残るハタハタ寿司などもこの名残と言えるだろう。 握り寿司を考案したのは東両国・回向院前にあった花谷興兵衛とも

          暖簾が汚れてることこそ繁盛の印

          神の庭になる実

          寒い季節は炬燵に入って蜜柑を向きながらテレビを見る至福のひと時。 日本の定番風景ともいえる冬の団欒に欠かせないものが蜜柑じゃぁなかろうか。 蜜柑の歴史は古く、神話時代にまで遡る。神の庭に生えていた不老長寿の実として古事記に登場する。日本では、垂仁天皇の時代(皇紀632年)、新羅から帰化した田島間守が垂仁天皇の命を受け、「非時香菓(ときじくのかくのこのみ)」つまり蜜柑を探す旅に出た。荒波をくぐり、荒れた地を歩き、遥か彼方南方の常世國から苦節10年かかってようやく天皇のもとに

          神の庭になる実

          鏡開き、ページ開き。

          お初に御目にかかります。 何から、どうやって、どこから書こうかと色々迷った末、はじめてお目にかかる記事として鏡開きのことから始めていこうかと。 このページでは江戸時代の飲食文化や、それに付随する文化・歴史の事始め、その流れが今につながっている面白い話や、江戸時代から連綿と誰かの手によって作られてきたごはんのレシピなどを紹介していければ楽しいなぁ、と思ってます。 末永く、気長にお付き合い願います。 さて、鏡開きというとお正月に飾ったお餅をなんとか美味しく食べることに思い

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