歌舞伎3座

かべすのきみ。

江戸時代の市民の最大の娯楽と言えば歌舞伎。当時の歌舞伎は今よりはもっと気軽に足を運べるところで、毎日多くの客が詰めかけ、熱狂した。

桟敷席は今と変わらず高級席で、1階より2階の上桟敷が高く最上等席であった。演目によって値段は変わるが1枡が銀12匁5分(約37,500円)から35匁(10万5千円)であった。

桝席は平土間・鶴枡ともよばれた1階の大衆席。角材で四角く仕切られたが、観客が多いためどんどん詰め込まれて混雑した。木戸銭100文(3,000円)から120文(3,600円)くらい。

向う桟敷と呼ばれた2階正面席、その奥の大向うと呼ばれた立見席は10文程度(600円)で見れた。この席は芝居好きが集まる場所で、贔屓の役者に「○○屋!」と声をかけた。向う桟敷の客はよく通うために目が肥えており、役者たちは彼らの反応を気にしたという。また、客が役者や芝居のことを話すさまを「風聞き」といって参考にした。

芝居見物に対する江戸っ子の熱の入れようは開始時間がまず、おかしいところから窺える。

夜八つ(午前2時頃)に名題・役割が読み上げられ、明七つ(午前4時頃)に興業を知らせる1番太鼓が鳴り、明け六つ(午前6時頃)に開演の2番太鼓が響く。

「3番始まりぃ!」と木戸口から声がかかると札売りが売り出す仕組み。桟敷席じゃない者たちは少しでもいい席を確保するために前日未明から行列を作った。

特に女性にとっては、芝居見物は最大の楽しみで、金持ちの場合は、見物の日が決まるとその前日から大わらわ。何を着ていこうか、化粧はこれでいいか、船で行くのか駕籠を仕立てるのか。

芝居見物を利用してお見合いなども頻繁に行われており、大抵は男性が女性のいる席をあらかじめ分かっておき、当日、芝居の合間にちらっと見て、自分のタイプならその後の話を進めていく。

裕福なものは茶屋を通して席を確保、料理を手配、芝居小屋まで案内などをしてもらう。なにせ芝居見物は1日がかりの長丁場。12時間近く芝居を見続けるのだ。途中にランチしたり、ディナーしたり、なんなら朝ごはんも芝居小屋や茶屋で済ませるほどみんな、1日芝居を堪能した。

茶屋にいろいろとお願いしようものならご飯代・御祝儀・手数料その他諸々で1回の見物で数十万が吹っ飛ぶ。

庶民には到底そんなことはできないので、場内で売られている菓子や弁当、寿司などを購った。

この菓子・弁当・寿司の頭文字をとって「かべす」といったそうな。派手なことをできない客を馬鹿にする意味で使われた言葉だが、さて、どうだろう?

日本橋芳町の「万久」という料理屋が芝居見物の客のために1人前100文(といっても高いけど・・・)の値段で豪華な弁当を売り出した。桝席でも気軽に食べれると云う事で大評判に。

弁当と言っても芝居茶屋から届けられたもので重箱の中に軽く焙った握り飯、卵焼きに蒲鉾、そしてこんにゃく、焼き豆腐、干瓢を煮たものが定番メニュー。

並・上・特と階級はあったが、かなり豪華。

芝居のセット転換をしている幕の間に食べるので「幕の内弁当」と呼ばれるようになった。

午後もおやつ時を過ぎるとやっぱりまた腹が減ってくる。その時に芝居茶屋から配達される定番が「すし」。それも食べやすい手巻きずしや押し寿司が重宝された。

歌舞伎の演目「助六」に因んで助六が頭に結んだ紫の鉢巻に見立てた海苔で干瓢を巻いた細巻と、助六の恋人で、吉原の花魁「揚巻」に見立てた稲荷ずしで構成された「助六寿司」は人気を博し、今でも歌舞伎の定番となっている。

茶屋を仕立て、すべてを茶屋に任せれば、もちろん素晴らしい料理に、ゆったりできる休憩時間、よく見える席、ととてもいい1日になるかもしれないが、大勢に揉まれてがやがや話をしながら、酒を楽しみつつ、工夫された弁当を食いつつ、見る芝居のほうがなんだか、臨場感があって楽しそうに思える。

客は皆、芝居の筋はしっかり分かっているので、大事な場面は見逃さない。それ以外は、仲間同士でおしゃべりしたり、飲み食いする合間合間に芝居を見るといった感じだった。

当時の芝居小屋は大変暗く、明かり窓と呼ばれる2階席上部にある開口口から入ってくる太陽の灯りだけが頼りだった。そのため、薄い暗がりの中ではいちゃいちゃしまくる男女の姿も多かったとか。

ふところによって過ごし方は違うが、かべすに舌鼓を打ったり、料理屋で絶品ご飯を食べたり、お見合いしたり、男女でいちゃいちゃしたり。

どこまでも自由に楽しむ江戸の町民の姿が鮮やかに目の前に見える。







もし、気に入っていただけたら心強いです。ますます変態的に調べ、研究しまくれるようになります。