024_追走
エドワードは、人混みをかき分けて、強かに地面を蹴り続けていた。
眩いばかりの陽光が、煌びやかな帝都を照らし出している。道行く人達は、何事かとざわめきながら、こちらに視線を向けていた。
フードを被った人物は、そんなことはお構いなしに、器用に人波に乗って、狭い路地裏に身を投げる。
エドワードは、喰らいつくように、その背中を追いかけた。
大分距離は縮まったが、捕捉するには至らない。
随分と、逃げ足の速いことだ。
歩幅の広さといい、背格好といい、逃走者は、男性で間違いないだろう。息を切らせる素振りすらないあたり、余程鍛えられた者であるに違いない。
フードを目深に被った男は、迷うそぶりを見せることなく、路地の奥へ奥へと逃げていく。
どうやら、彼には、この辺りの土地勘があるらしい。もしかすると、白面騎士団ではなく、皇帝の差し金ではないだろうか。
そんな考えが、ふと脳裡を過ぎる。
確かに、ランプレヒト二世が、ミーティアを狙っているという噂はある。
ルシアがいなくなれば、義弟に当たるモントール公が王位に就くことになるだろう。だが、彼は、人の意に唯々諾々と従う男ではないのは、火を見るより明らかだ。
自身の主催する博覧会で、白昼堂々凶行に及ぶ利は、皇帝にはないだろう。動機があったとしても、状況があまりに不釣り合いだ。
エドワードが思考を巡らせている間にも、男は、何の躊躇いもなく、入り組んだ路地裏を、右へ左へと曲がっていく。
男の背を追って、気がつけば、随分と路地の奥へと来ていた。晴れ上がった空は遠く、辺りは、昼間だというのに薄暗くなっている。
男は、尚も速度を緩める気配はない。
エドワードは、男の足並みに、強い違和感を覚えた。この迷いのなさは、まるで、目的地が定まっているかのようではないか。
幾度か路地を曲がったところで、不意に、男が足を止めた。
「こんなところまでひとりで追ってくるなんて、存外無用心じゃないか?」
くるりと振り返ったフードの男は、嘲るように口の端を歪めた。緑色の双眸が、剣呑な光を宿してぎらりと光る。
どこかで見たような気もするが、これといって特徴のない顔は、エドワードの記憶の海に沈んでしまっていた。
背後から、痛烈な殺気を感じる。
「……やっぱり罠か。」
耳を劈くような金属音が、路地裏に反響する。
エドワードは、咄嗟に、剣を抜きざまに背後からの一撃を受け止めた。
暗がりに不釣り合いな金糸の髪を几帳面に撫で付けた男が、今にも火を噴きそうな顔で、退路を塞いでいる。
どうやら、フードの男は、仲間と合流するために、ここまで来たらしい。人一人すれ違えない路地で、前後を完全に押さえられてしまっている。
「エドワード・オルブライト……!」
背後から一太刀浴びせて来た男が、憎々しげに吐き捨てた。全身から、怒りが迸っている。
「罠だと気付いた上でついて来たっていうのか? 能天気なのか、自信家なのか、どっちだ?」
目深に被ったフードの下で、男は、へらへらと薄ら笑いを浮かべた。
「罠なんて、踏み越えればいいだけだ。」
使命の前には、障害など、あってないようなものだ。罠を避けて逃してしまうくらいなら、あえてその渦中に踏み込んで、乗り越えてしまえばいい。
エドワードは、長剣を構えると、二人の男を睨み据えた。
狭い路地で前後を塞がれてしまってはいるが、最悪、どちらかを倒してしまえば、道は開かれる。
「相変わらず、忌々しい男だ。」
金髪の男は、腹立たしげに歯噛みした。
「相変わらず?」
エドワードは、ぴくりと片眉を上げた。
やはり、すくなくとも、相手は自分を知っている。
輝かんばかりの金糸の髪の下で、怒りを湛えた深い海のような青い瞳が、鋭く光っている。
こんなに目立つ風貌の男を覚えていないとすれば、以前会った時は、顔が見えなかったということだろう。
「そうか、覚えてすらいないか! ……ならば、その身に刻み付けてやる!」
金髪の男は、自嘲的にくつくつと笑ったあと、おもむろに、剣を振り上げた。
エドワードは、正面からそれを受け止めると、重たい斬撃を、膂力の限りに跳ね返した。
鍛え上げられた剣筋は、ただの暗殺者のものではない。研ぎ澄まされた騎士のそれだ。
「忘れられてるなんて、ざまあないな。」
「やかましい! 貴様も動け!」
からかうように口笛を吹いたフードの男を、金髪の男は叱咤した。
その深い海のような瞳は、赫怒で真っ赤に血走っている。
「はいはい。」
フードの男は、へらへらと笑いながら、素早くナイフを投擲した。
エドワードは、仰け反ってそれを躱す。
風を切って鼻先を掠めたナイフは、寸分違わず、エドワードの心臓の高さの壁に突き刺さった。
畳み掛けるように、金髪の男の剣がエドワードの胸に迫る。
エドワードは、仰け反ったまま、左脚で剣を蹴り飛ばした。その勢いに任せて、跳ね上がるように体勢を立て直す。
二人を睨み据えながら、エドワードは、思考を巡らせた。
相性は悪そうだが、最低限の連携は取れるらしい。フードの男は、剣を履いていないように見える。狙うならばこちらだろうが、そう上手くはいかないだろう。
「私を見ろ! エドワード・オルブライトォ!」
休む間もなく、金髪の男は、気勢を上げながら、横薙ぎに斬り込んでくる。
エドワードは、剣を滑らせて男の斬撃をいなすと、振りかぶって、力一杯頭突きをかました。
脳を揺さぶられ、金髪の男は、長躯をぐらりとよろめかせる。
その間隙を縫うように、フードの男が、続けざまに撃鉄を上げた。
「弾なんか当たらない!」
エドワードは、首を捻って、弾丸の雨を避ける。
その後背を狙って、金髪の男の凶刃が迫る音がした。
エドワードは、息を吐いて、振り向きざまに斬撃を受け止める。
片手で弾き返すには、重すぎる剣だ。この体勢では、いくらなんでも押し負けかねない。
エドワードは、両手で剣を握り直した。ぎりりと鈍い声をあげて、互いの剣が軋む。
金髪の男も、譲りはしない。
二人は、一進一退を繰り返しながら、鍔迫り合いを続けた。
このままでは、埒があかない。
「はああっ!」
エドワードは、雄叫びを上げながら、裂帛の気合いで剣を押し込んだ。全霊の力を込めた一閃に、金髪の男の剣は、耐えかねて甲高い悲鳴を上げる。
砕けて地に突き刺さった剣先に、二人の男は、驚愕して目を見開いた。
――今が好機だ。
刹那、反射的に、エドワードは地を蹴った。
フードの男に狙いを定め、エドワードは、冷徹に剣を振り下ろす。
男は辛うじてナイフで受け止めたが、その程度では、妨害にもなりはしない。
エドワードは、ぐんと剣先を沈めると、ナイフを弾き飛ばした。男が身構える寸毫の隙に、正拳を鳩尾に叩き込む。
膂力の限りに振り抜いた拳の一撃で、フードの男は、地面と熱烈な口付けを交わした。
「くそっ!」
「させない!」
咄嗟に仲間を回収しようと乗り出した金髪の男に、エドワードはすかさず裏拳を叩き込む。
「覚えていろよ、エドワード・オルブライト……!」
エドワードの拳を寸でのところで躱した金髪の男は、憎々しげに吐き捨てると、身を翻して、路地の奥へと逃げていった。
あっという間にちいさくなる金髪の男の背を見送って、エドワードは、深い溜息を零した。
このまま、フードの男をこの場に残してあの男を追うのは、賢明ではない。
エドワードは、剣を鞘に納めると、気絶した男を縛り上げた。
襲撃の主犯を捕らえただけでも、十分だろう。彼には、聞かなければならないことが山ほどある。
エドワードは、彼方に見える空を仰いだ。
サミュエルは、大丈夫だろうか。ルシアは、泣いてはいないだろうか。
群青の空には、白い雲が滲んでいる。不穏な気配は、未だ漂っていた。
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