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むさしの写真帖

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写真と記憶と何某と。
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古いデジカメについて書いています。
ただしこれらの記事は2018年前後のものであるので、カメラのほとんどは手許にないのをご承知おきください。

追記: ネタが尽きたので写真、カメラにまつわること。またアラカンおじさんの日常について書いたりします。(2023年霜月朔日)

ストリートスナップ

ストリートスナップ

それをストリート(路上)でやるからストリートスナップ。

カメラを意識しない自然な姿を。

だからさ、そういうんじゃねぇんだよなァ。

八丁味噌

八丁味噌

八丁味噌というと、くだんの赤い味噌である。
名古屋で生まれ育った者にとっては、ごく当たり前な味噌であるが、他の地域の人からは相当奇異な物らしい。その証拠にスーパーでもほんの少ししか棚にない。
まああの色だ。
無理からぬことかも知れない。

大豆と塩と水のみで作られる味噌であって、米麹を使わない。蒸した大豆に大豆麹を生やして2年以上熟成させる。
岡崎城から西に八町ほど(おおよそ870メートル)の距離

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2004年

2004年

物好きな男だと思うわ、ホント。
先般紹介した10Dは2003年の発売で、今度の20Dは2004年の発売。

EF-Sレンズが使えるようになったこと、測距点が9点になったこと、DIGICという画像処理エンジンが新しくなったこととか、10Dよりもほんの少し小さく軽くなったことなど。
画素数も820万画素になった。
EOSのこのシリーズは90Dまで続くが、使用するにあたっての他の基本的なメソッドは全く変

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西郷従道邸

西郷従道邸

明治村はひとまずこれでお終い。

この旧西郷従道邸は、もともと目黒区の西郷山、ちょうど渋谷から中目あたりに抜ける時に使う抜け道近くにある公園にあった。
西郷隆盛の弟、西郷従道の私邸内に作られた接客用の洋館である。 

住居ではないので和洋折衷ではなく、天井の高さが日本家屋のそれとはまるで違う高さだったり、螺旋階段を取り入れていたりと、まァ、言い方は悪いが金にあかせて贅沢の限りを尽くした建物でもある

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こういうのでいいんだよ、こういうので

こういうのでいいんだよ、こういうので

いやね、普段は棚に置きっぱなしになってるんだけども。

稀にふと思いついて手に取ってみる。
この10Dは随分長く持っていて、まだ昨年だったか、高速シャッターの調子が悪くなったので買い直したりした物だ。

まあ20年も前のデジカメを「買い直す」ってのも、ちょっとなに言ってるか分からないレベルの話ではある。

D60(ニコンの話でもなければ60Dの話でもない)の後だから2003年の発売だ。
630万画

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「とーりかーじ、いっぱーい」

「とーりかーじ、いっぱーい」

東郷平八郎は午前六時二一分に、「敵艦見ゆとの警報に接し、吾艦隊は直ちに出動、之を撃滅せんとす。此の日、天気晴朗なれど波高し」と大本営に打電している。
両艦隊は急速に接近し、距離八〇〇〇㍍にまでなったとき、東郷は左に舵を切ることを命じ、丁字型に敵の先頭を圧迫しようとした。
軍艦は、その構造上、敵は正面にいるよりも左右どちらかにいた方が目標に対して攻撃できる大砲の数が多くなる。その反面、回転運動中は自

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「天気晴朗ナレドモ波高シ」

「天気晴朗ナレドモ波高シ」

一八七四年の台湾出兵と交渉の結果、琉球の領土問題は決着を見たが、清と権益を争っていた朝鮮問題は難航していた。
一八九四年の東学党の乱をきっかけに、日清戦争が勃発する。
黄海海戦では、清の八二隻・八万五千㌧の戦力に対し、日本は三一隻・ 五万五千㌧であったが、砲の速射能力などで圧倒し清艦隊を撃破、勝利を納めた。
下関条約では、清に対し、朝鮮の独立、遼東半島の割譲、台湾の割譲、賠償金二億両を認めさせるが

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聖ザビエル天主堂

聖ザビエル天主堂

聖ザビエル天主堂。
明治村でも人気のある施設らしい。
ステンドガラスが大変に美しく、外部の陽光が室内に差し込むと、このガラスの色彩が室内に映し出され、大変に幻想的な光景を作り出す。
もともとは京都市中京区河原町三条にあったものとの事。

大変に広い村内を歩き回ってからここに来て椅子に腰掛けていると、しばしぼんやりとしてしまう。
人の少ない時であれば時間の経過を忘れてしまいそうになるほどである。

ロバート・キャパ

ロバート・キャパ

「ロバート・キャパ 戦争を越えて」

昨日はキャパの命日であった。
色んな偶然や、そこから広がって行く感情の環を思いつつも、本当なら昨日行く予定だったロバート・キャパの展示を見に行った。

今回開催されている「東京富士美術館」には初めて行ったのだけど、山の中に突如現れる豪華絢爛な建物にビビる。
まあそれは何故か、というのはあとで分かるのだけど。

キャパは戦場の写真で名を馳せたのだけど、やはり第二

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文豪の家

文豪の家

また明治村の記事を書こう。
明治村は愛知県犬山市にある野外博物館で、明治期の建物を中心に日本各地から集められた建造物などが60以上移築されている。
開村は昭和40年なので、ぼくと同級生だ。
写真を撮ったりするにもいい場所なので、名古屋にいる頃は季節ごとくらいに通っていた。

中心に僕が座っている建物は明治23年森鴎外が借家し、一年余りを過ごした。
又、明治36年(1903)から同39年までは夏目漱

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今日という日に

今日という日に

 「今も、あのことで恐ろしい夢を見るんです。だから本当は話したくない。でも戦争を知る世代は少なくなっている。平和のために伝えることが役目なら、やった方が良いかなと」
 「山の手空襲」の追悼碑に向かう車中。仲代さんは、今回取材に応じた理由を聞いた「こちら特報部」に、こう説明した。
 「あのこと」が起きたのは1945年5月25日。仲代さんは12歳で、疎開先から渋谷区に戻り、中板橋(板橋区)の中学校に通

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命日によせて〜Robert Capa

命日によせて〜Robert Capa

写真に興味がない人でも名前くらいは聞いたことがあるか、下の写真は見たことがあるかも知れない。
タバコを銜えた写真がやたら多い。
なかなかの伊達男である。

ライフ誌に掲載されたこの写真で「ロバート・キャパ」という名前は広く知られるようになるが、初期の作品はビジネスパートナーであったゲルダ・タローとの共同作品になっていて、この写真もタローが撮った物という意見もある。
因みにゲルダ・タローのタローは岡

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