『皇朝武功紀盛』①

「平定緬甸述略」
【原文】
貴家者、随永明入緬之官族也。其子孫淪于緬、自相署曰貴家。拠波竜廠採銀、向有歳幣輸緬。甕籍牙僭位後、貴家不復輸、甕籍牙撃潰之。貴酋宮里雁猶糾合余衆以拒。此乾隆二十三年也。
【語釈】
・永明 永明王。(1625~1662年)南明最後の王。
・淪 不明。
・向有 不明。向かいてと開いて読んだ。
・甕籍牙 アラウンパヤー王。コンバウン朝を開いた。
・宮里雁 永明王の随行員の末裔。タウングー朝末期に反乱を起こした。
・猶 いまなお。依然として。(漢辞海)
【書き下し】
貴家は、永明に随いて緬の官族に入るなり。其の子孫淪緬にありて、自ら相い署して曰わく「貴家」と。波竜廠に拠りて銀を採り、向かいて歳幣有りて緬に輸す。甕籍牙僭位して後、貴家復た輸せず、甕籍牙撃ちて之を潰す。貴酋宮里雁猶ほ余衆を糾合し以て拒む。此れ乾隆二十三年なり。
【現代語訳】
貴家の歴史については述べると、南明の永明王に従ってビルマの官僚の一族に迎えられた者がいた。その子孫である淪が緬甸に住んでおり、自らお互いに署名するときには「貴家」と署名した。(貴家は)波竜廠を拠点として銀を採掘し、移動して歳幣を作り出しビルマに輸出していた。甕籍牙が僭位した後、貴家は二度と輸出しなかったので、甕籍牙が貴家を攻撃し壊滅させた。貴家の酋宮里雁は依然として余りの衆を糾合して(アラウンパヤーへの服属を)拒んだ。このことは乾隆二十三年(1758年)に起きたことである。

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