『従征緬甸日記』⑭

【原文】
『従征緬甸日記』於乾隆三十四年追憶往事而作。末有「此日之緬甸、亦猶昔日之准噶爾。」云云。固早知小醜之終為臣僕也。緬酋果於五十五年傾心向化、上表輸誠。仰見我皇上徳威丕播、無遠勿届、自此東西南北無思不服矣。裕壮歳従征、会与是役、迨告養帰里、越二十餘年。目見緬酋帰順、不勝踊躍欣忭之至。謹複贅言於末。乾隆五十五年八月穀旦。広西永寧州知州・前雲南県知県銭塘周裕記。
【語釈】
・早知 早く知る。以前に知る。昔から知っている。(大漢和)
・小醜 小人をいう。(漢語) 
・終 ついに。とうとうの意。(漢辞海)
・果 はたして。ついにの意。(漢辞海)
・輸誠 まごころを尽くす。帰順する。(漢辞海)
・丕播(ヒハン)丕を文の調子を整える言葉として読んで播わる意にとった。
・壮歳 働き盛りの年頃。壮年と同じ。
・迨 待ち受ける。およぶ。およびて。(漢辞海)
・告養 官吏が老父母を養うために辞職すること。(大漢和)
・踊躍 喜び勇んで舞い踊るさま。(漢辞海)
・欣忭(キンヘン)喜ぶさま。(漢辞海) 
・贅言 よけいなことば。無駄口。(漢辞海)
・穀旦 めでたい日。吉日。(漢辞海)
・銭塘 浙江省杭州付近にある土地。(漢辞海)
【書き下し】
『従征緬甸日記』乾隆三十四年に往事を追憶して作る。末に「此日之緬甸、亦猶昔日之准噶爾。」云云有り。固より小醜の終に臣僕と為すを早知するなり。緬酋果に五十五年に傾心し向化し、上輸誠するを表す。我が皇上の徳威の丕播するを仰見するに、遠く届かざる無く、此に自りて東西南北服さざるを思う無し。裕壮歳にして征に従い、是の役と会い、告養するに迨びて帰里し、二十餘年を越す。緬酋の帰順するを目見し、踊躍欣忭の至りに勝えず。謹んで複た末に贅言す。乾隆五十五年八月穀旦。広西永寧州知州・前雲南県知県銭塘周裕記す。
【現代語訳】 
『従征緬甸日記』は乾隆三十四年(1769年)に昔のことを追憶して作った。末に「此日之緬甸、亦猶昔日之准噶爾。」云云という文章がある。これはもともと私がとうとう臣下となったのを以前から知っていたからである。緬甸の酋長はついに乾隆五十五年(1790年)に改心し清を尊ぶようになり、皇帝陛下は緬甸が帰順したことを表明した。我が皇帝陛下の徳が伝播するのを仰ぎ見るに、遠くに届かないものは無く、ここにおいて東西南北の蛮族で命令を聞かないものはない。周裕は壮年の時に緬甸征服に従軍し、この戦いと参加し、老父母を養うことを理由に帰郷し、二十余年を越した。緬甸の酋長が清に帰順するのを目撃し、喜びが最高潮になるのを我慢できなかった。謹んでまた巻末に無駄口をたたいた。乾隆五十五年八月吉日。広西永寧州知州・前雲南県知県であり銭塘の周裕がここに記す。

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