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『清史稿』明瑞伝

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『清史稿』明瑞伝の原文、語釈、書き下し、現代語訳です。至らないところ多々ありますが、誤りが有ればコメントにお願いします。
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#清史稿

『清史稿』明瑞伝②

【原文】
三十年二月、烏什回為乱。駐烏什副都統素誠自戕。乱回推小伯克頼黒木図拉為渠、拒守。明瑞遣副都統観音保往討。而帥師継其後。烏什回二千余出御、明瑞与観音保力戦破之。奪砲台七。賊入城、師合囲。明瑞疎陳素誠狂縦激変、及参賛納世通虐回民、阻援師。副都統弁塔哈掩敗妄奏諸状。上令尚書阿桂至軍、按誅納世通・弁塔哈。賊夜襲我軍、我軍詗知之、預為
備。射頼黒木図拉殪、賊擁其父額色木図拉為渠。明瑞以兵六百余夜携

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『清史稿』明瑞伝①

【原文】
明瑞、字筠亭、富察氏、満洲鑲黄旗人、承恩公富文子。自官学生襲爵。乾隆二十一年、師征阿睦爾撒納。明瑞以副都統銜授領隊大臣、有功。擢戸部侍郎、授参賛大臣、於公爵加「毅勇」字。号承恩毅勇公。二十四年、師征霍集占。復有功、賜双眼花翎。加雲騎尉世職。師還、図形紫光閣、擢正白旗漢軍都統。二十七年、出為伊犁将軍、進加騎都尉世職。
【語釈】
・富察氏 満州大八姓の一つ。(baidu)
・官学生 八旗官学

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