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表現の賞味期限

発信する立場になってみて気づいたことがある

今年に入ってから、パブリックな場に発信するようになりました。twitterを投稿し始め、noteも書き、終いにはpodcastまで配信し出す始末です。なんだか信じられないというか考えられない1年となりました。それもこれも全部コテンラジオの仕業です。ちくしょう、あの3人の奴らめ。熱心なくせして冷静で、馬鹿なフリして有能で、真理追求に脇目も振らず突っ走るから夜郎自大な奴なのかと思えば情が深いし、自分達がやりたいことをやってるだけだとか言いながら周りのみんなを温かく包み背中をそっと押して来る。どいつもこいつもカッコ良すぎるんだよな、まったく。ちくしょう。

そんな彼ら3人とその周りに集うリスナー仲間たちに触発され、こうして発信し始めることになったわけですが、あまり立ったことのない舞台に立ってみて初めて気づいたことがあります。それは、

発信したモノは、それを創ったその瞬間の自分を切り取ったものだ。

ということ。よくよく考えてみると当たり前のことなんですけどね。

表現の仕方や内容はほんのちょっとの時間で変わる

具体的にどういうことか例を挙げて説明してみます。皆さんは、パソコンで何かしらの資料を作っているとしましょう。想像してみて下さい。報告書、案内文、取引先にお願いするメール、学校での課題や論文、プレゼンの資料、など。なんでも結構です。作った資料のボリュームは、そうですね、、時間を30分くらいかけて作ったものだとしましょうか。さてここで、あなたはこの資料を途中一度もデータを保存することのないまま、誤って消してしまいました。こんなこと、1度くらい経験したことはありませんか? あの愕然とする瞬間のことです。さて困ったあなたは、失った30分を悔いながら、落ち込んだ気持ちを奮い立たせ、愚かな自分を慰めつつ、あるいはそれを八つ当たりしながら、再度イチから資料作成にとりかかります。(今では自動保存してくれるサービスが増えたのでこんな機会も減ったかとは思いますが、ここではデータは何も残らなかったとして想像してみて下さい)

さてこの時、果たしてあなたは、誤って消してしまったものと全く同じ資料を一字一句違わずに作り上げることができるでしょうか?

私には絶対できません。超絶的な記憶力を持っている人ならひょっとするとできるのかもしれませんが、そんなことできる方はほとんどいらっしゃらないのではないでしょうか。

そして再作成したものは前とどこかちょっと違うものになってしまいませんか?表現の仕方が変わってしまう場合がありますよね。またひょっとすると書いてある内容だったり、ややもすると結論までもが変わってしまったりしないでしょうか?

これは避けられないことなのだと思います。理由はよく分かりませんが、想像するに、時間が経ってしまったという外的環境の変化、そしてその間に感情などの内的環境の変化が影響しているのではないかと思います。

ここでは書く例を挙げましたが、しゃべる場合でも同じです。5分程度の一人語りのpodcastで、録音したものの上手くしゃべれなかったからと言って再度録音してみると、全く同じことが起こります。たった5分でも表現や内容が変わってくるんです。しゃべる時の方が書く時よりも顕著に変化する印象があります。

表現に賞味期限はない

たった30分、あるいは5分というほんの短い間においてさえ諸行無常を目の当たりにすることがあるんです。こんなこと、元々気付くこともできたはずなんですが、これには正直驚きました。

ということは、文章や言葉で自分の外に出したものは、あくまでその瞬間に自分の中にある考えや感情を表に出したに過ぎない、と言えます。発信したモノは、それを創ったその瞬間の自分を切り取ったものなんです。

書き記したことやしゃべったことは、その数分後には自分の中で変わってしまうかもしれない。ですが、本当に変わるかどうかは分かりません。変わらないのかもしれない。ひょっとすると何十年も変わらないのかもしれません。どう転ぶかは一概に言えないんだな、ということに気づいたわけです。文章や言葉には賞味期限がないんだな、と。

表現に対して持っておきたい心構え

コテンラジオに出会う以前は、ニュースや報道、WEB上などで「○○さんは○年前にこう言っていた」などと言われているのを見るとすぐに『ブレまくってるよね』『芯がないねー』などと思っていましたが、そもそも発した直後にでも変わってしまう可能性のあるものだったんですね。

YouTubeやpodcast、インタビュー記事、本や漫画など、世の中色々な所で人それぞれの表現作品が発信されています。そしてそれらコンテンツはいずれも何年も残る形で提供されています。なのでコンテンツを受け取る側は『発信者が今この瞬間に発したものだ』とついつい誤解しがちです。が、私がそれらに接する時、発信者にとっては既に過去なんですよね。発信する側は確かにその瞬間を表現してはいるんですが、そこは誤解することのないよう気をつけなきゃいけないなと感じました。

身近なところで置き換えて考えてみると、会話も同じですよね。言うことがコロコロと変わる人と接していると、正直なところ、困ってしまったりイライラしてしまうことが多いです。ですがこれからは『人って案外そんなもんだよね』と思えるよう心がけていきたいなと思います。元来気が短いのであんまり自信がないですが、実践して身につけていきたいですね。

また逆に、自分の言うことが変わってしまい「あんたそれ前に言ってたことと180°違うやないか!」と言われてしまったら、その場で素直に謝って、考えが変わったこと、今はこう思っているということを伝えるようにしようと思います。


…そう言っておきながら、時が経って見返した時には全然違うこと言ってるかもしれませんね。。そんな伏線回収に陥ることだけはないようにしたいです。笑



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