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アートなんかに関わらなくて済む多数派でフツーのリア充が憎いしうらやましいおれは

自己否定、または絵を描くこと、絵を描くにあたっての搾取の構造、そのへんの人間関係に疲れての自己否定などについて。

何にもハマれないし何やっても楽しめない人間なので人生つまんない。楽しそうな人たち幸せそうな人たちがうらやましい。こう書くと何もないからっぽの人生なのかと思えるが、そこそこいろんなことやってきて、やるとなったら努力してきたような気もする。バンドやってた時は毎日反復練習してミスらないように、新しいアイディアを出せるように熱心だったと思う。絵もずっと続けているし常に絵のこと考えてる。いちばんがんばったのは受験の時だけど、受験の絵を忘れようと今ももがもがしてる。いつも自分の考えてることを形にできるように、思いつきを育てられるように、と思ってはいる。でもどれも必要のないくだらないことと言ってしまうこともできる。いつも自分で自分に冷水をかける。自分のやってきたことや存在を許して認めることができない。
自称アーティストたちが一部の人のお金儲けに使われている。わたし自身もただのコマだった。自分がコマだという自覚があった。わたしにもわたしの作品にも興味のない人たちがわたし(というかわたしたち)を利用してお金を儲けている。地域アート団体クソだなと思った。しかし個人個人はたぶんただの人間で、一対一で話せばお互いがお互いだと認識してああ話せてよかった、となるだろう。時間の無駄だからそんなんせんけど。話逸れた。
もしかしたらほとんどの自称アーティストたちは自分がコマだと自覚していて、それを受け入れていて、粛々と自分に向き合い作品を制作している、演じているのかもしれない。その可能性に気づいた時ゾッとした。わたしだけがコマを嫌がり子供みたいにゴネているとしたら、恥ずかしくて死にそうだ。いつまでも小学生みたいなこと考えて、ちょっとマセた小学生みたいな絵を描き続けている。穴があったら入りたいというより粛々と埋まる用意があるレベル。
地元にいた時点で、いや、小6の時点で何も望まず何にも臨まず、適当に働いたり適当に結婚したり適当に生活して息抜きに音楽を聴いて落書きして、そこで自分の限界を決めてしまえばラクだったのかもしれない。わたしは家を出てバンドをやって絵を描いて、もっと描きたいから美大受験をした。大学は中退したが絵を描き続けて見たこともないような土地までやってきた。そんなことやめときゃよかったろう。全部、成り行き任せだった。
滞在制作に応募して、審査が通り、不安だったし友達や仲間たちがいたのに突然引っ越してきた。自分の中に断る選択肢が生まれなかった。薄情者と言われたら否定しない。新しい場所は怖かった。でも行ったこともない土地に行き、見たことのないものを見て、知らないことを知ることに興奮していた。自分の未来が開かれた気がした。自由になれる。そしてすべてが霞んでしまった。わたしはクソだ。
あの時、それまで通りに暮らせばこんなに苦しいことにならなかったと思う。お金ないとか健康を害しているとかとにかくお腹空いてることとか。まぁそれはわたしが悪いんだけれども。でも今いるとこはきれいで汚くて興味深い。少し山に行けばいろんなとこから水が染み出している。カニとかいる。温泉もたくさん出てる。足の裏にも頭の上にもエネルギーを感じる。熱や光、美しい植物、海。でもわたしはここにいるべき人間ではない気もする。いなくていい気がする。地元にいても東京にいてもここにいてもそう考える。どこにいても同じことを考える。わたしは別にいなくていいのだ。
ここにいるから苦しい部分と、ここにいたいから苦しい部分がある。ここにいられる自分になるしかないんだろう。受験と同じ、憧れに近づくためには努力しなければならない。でもまー、いつまでも憧れに近づけないから苦しいんだと思うけどね。よーわからん。わたしここにいたい。魚とかうまいし。少ないけど友達できたし。

2007年、はじめて人前に絵を出した時のこと、そして描いてた時のことをまだ鮮明に覚えてるよ。

生きていたいし絵を描きたいし文章書きたいしごはん食べたいと思う。