20240913_「仕事に関する」悩み
※以下の文章は、すべて酒に酔っているときに書いています。
僕は、あまり「仕事に関する」話は積極的にしたくない。場を考えて、相手を考えて、ちょこちょこっと話したりはする。でも、仕事に支配されている自分でありたくないし、仕事以外の自分も含めて自分であるし、それ以外の自分が面白いのであればすなわち面白い自分であるような気もするから、あまり積極的にしたくはない。それに、大体仕事に関する話は、そういう話をしたあとで大体仄暗い気持ちになる。久々の旧友と会ったときに同窓の近況を一通り確認し合う作業も大体仄暗い気持ちになるが、それと多分近い感覚のような気がする。それよりは最近のchatGPTってすげえよなあ、って話をした方が楽しいし、「地面師たち」の話をした方が楽しいし、「学校へ行こう!」に出ていた軟式globeの話をした方が楽しい。僕が理想とする日常会話の最高峰は、ヤーレンズのオールナイトニッポン0の、互いのプライベートを深入りせず只々無駄話を連鎖させていく、あの感じだ(ぜひ聞いてほしい)。もちろん、仕事も含め、人の悩みや考えを聞く時間もとても大事であるけど…。
であるにも関わらず、いま僕は「仕事に関する」話をしている。正直疲れている。朝から深夜までずーっと仕事をして、全然終わらない。決まって土日にはみ出している。楽にならない。だから仕事に関わらない時間が無い。朝9時から夜22時まで仕事なのであれば、朝6−9時とか夜22−24時に自分がやりたい勉強をしたり本を読んだり運動したりすれば良い。楽器も練習すれば良い。でも、弱音を吐くと、もう出来ないのだ。そこまでしてやりたい、というモチベーションが保てなくなってしまった。それに、無理して頑張ってみても、頭のどこかに「仕事に関する」ことが浮かんでいて、意識から抜けてくれなくて、集中できなくて、イライラする。あのときああすれば良かった、あれは一体どうすれば良いのか、顧客が変なことを言ってきていないか、上の人の確認はどうなったのか、下の人の作業はちゃんと進んでいるのか…、ずーっと頭の上で「仕事に関する」ことが浮かび続けていて、ピコピコと通知が鳴っているような幻覚を覚える。あまりにこれはマズい、と思って、終業〜始業の間は極力社用携帯を見ないようにしたのだが、極力は所詮極力にすぎない。イマドキの学生がBeRealの通知に悩まされて苦労する気持ちが少し分かる。知らんけど。
「仕事に関する話」でいうと、人付き合いもすごく悩ましくて、重たいものが覆い被さっている感覚に陥る。プライベートであれば、上だろうが同じだろうが下だろうが、適度に適当であれば良いのに、仕事のときは、上だろうが同じだろうが下だろうが、恐怖を感じる。相手にそういう感情を与えている瞬間もきっとあるだろうし、どこかでスイッチを踏んでしまって双方で悪循環を形成しているのかもしれない。感受性を鋭敏なものにしすぎているのかもしれないが、ずっとずっと、ふと恐怖を感じる。自分や他人を守るために、どこかで踏み込まなければいけなくて、これくらいのことはしてくれないとまずい、これくらいのことは流石にしてほしい、これくらいのことは考えてほしい、これくらいしてくれと言われる、相手にそう思う、相手にそう思われる、それはミスだったのだと気づく、焦る、疲れる…、人間は完全ではなくて、そのとき、悪循環が始まっている。
勤労の義務、などという言葉を考えたヤツは本当にダメだ。最近社会学に関する新書をチビチビ読んでいて、その中でウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の解説がされていたときに思ったのだが、資本主義の精神が入ってきたのは大きな間違いだった。
何が正解なのだろう。酔っちゃったので、分からないです。
淀んだ運気を変えたくて、とりあえず、引越したい。
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