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アメリカン・ミュージック・ヒストリー第2章(1890年代~1920年代中頃まで・・・その5)


*クラッシックブルース


 黒人によるブルースの名がついた最初のヒット曲は、1920年にハーレムの人気歌手、メイミー・スミスが歌った「クレイジー・ブルース」です。このヒットをきっかけにマー・レイニー(ブルースの母)やベッシー・スミス(ブルースの女帝・皇后)等の女性歌手のレコード吹込みが盛んになりました。実際にはこれ以前に、前々回説明したカントリーブルースが発展していましたが、録音は20年代半ば以降になってからと遅れたため女性歌手の録音が早くなり、これらをクラッシックブルースと呼んでいます。


(3)スピリチャルとゴスペル


 白人が持ち込んだ宗教歌は、白人スピリチャルとしてセイクレッド・ソングやヒムとして南部で定着しカントリーミュージック形成の基になりましたが、黒人スピリチャル(霊歌)にも当然ながら影響を与えました。奴隷解放後、1870年頃にテネシー州ナッシュビルにある黒人大学のフィスク大学で結成された「フィスク・ジュビリー・シンガーズ」は、大学の資金集めのためにアメリカ北部やイギリス等ヨーロッパ各地に遠征し、行く先々で大成功を収めたそうですが、この時の黒人霊歌は、今でいうゴスペルとは異なり、ヨーロッパ的に洗練された演奏会向けに編曲したものだったようです。

 因みにお馴染みの「スウィング・ロー・スウィート・チャリオット」(イングランド・ラグビーチームの応援歌となった逸話を聞いたときは感動的でしたが、実はイギリス人のほとんどの人は、黒人霊歌だということを知らず自国のオリジナルソングだと思っているらしいです)は、フィスク・ジュビリー・シンガーズ」が最初に歌いだしたと言われています。


 そもそも、スピリチャルとゴスペルの違いですが、スピリチャルは、旧約聖書からの題材が多く、現世ではなく来世に期待をかけているのに対し、ゴスペルは、新約聖書のイエス・キリストをたたえるものが多く現世での開放を歌っていて「静」と「動」の違いがあるとも言われています。また、マヘリア・ジャクソンは、ブルースは絶望を、ゴスペルは希望を歌っているとも言っています。


 ゴスペルも奥深く3つの形態があります。①教会でのプリーチャー(説教師)の話が次第に盛り上がっていき、歌に入ると聴衆がコール&レスポンスで答えていくサーモンと呼ばれる実況形式、②「ブラインド・ウイリー・ジョンソン」に代表されるギター弾き語り(エヴァンジェリスト)によるもの、そして➂アカペラで歌うジュビリー形式の「ノーフォーク・ジュビリー・カルテット」「ゴールデン・ゲイト・カルテット」等のスタイルに分類されるようです。


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ビリー・ホリディにも影響を与えたブルースの女帝。全盛期に交通事故にあい、黒人がゆえに病院をたらい回しにされ手遅れになったとの悲しい逸話がありますね。

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ベッシー・スミスを見出したブルースの母、マー・レイニー。

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プリーチャー、エジンヴァリスト、ジュビリーの歴史がわかる、中村とうよう氏監修のコンピレーション。

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1800年代に活躍したオリジナルメンバーの音源は、ありませんが復刻されたものがあります。

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