恩師のご退職記念講演会―SIの語るSI
「やめとけ。そげん甘いところやなか」
これは、大学3年だった年の12月末、おそるおそる「大学院に行きたいんですけど…」とご相談した時の恩師のお言葉。いまも忘れられません。
まぁ確かに、お世辞に真面目とはいえなかった(←友人はみな「なんでおまえが院?」と思ったに違いない)僕ですが、こんなベタすぎる門前払いってありなん?
…と若干のショックを覚えつつも、僕なりにじっくり(←1年以上悩んでた…)考えて決めたこと、簡単にあきらめる気にもなれず、「ま、受けるのは自由やし、とにかく院試の勉強しよ」って開き直ったのでした。
それから三か月後。ゼミの卒コンの日でした。先輩を追い出した後、一緒に幹事をした同級生Hと先生とで打ち上げしよって話になって、いつもの屋台(←いかん、名前が出てこん…。こぶくろがサイコーにうまかった…)へ。いったんフラれた僕としては傷口に触れてほしくなかったのですが、余計なことにそのHが突然「先生、くま(=僕のこと)まだ院に行くっつって勝手に勉強しるんすよぉ」ってチクリやがる…。「あぁ、また拒否られる…」と構えたところ、先生から一言。
「明日うちにこい」
酔ってぐるぐるの頭のなかで、「ん?、もしかして受験OKってこと?」と思ったり、「いやいや、やめるように改めて説得される?」と思ったり、余計に頭がぐるぐるしました。
そして翌日。お会いするなり、一言。
「これ、全訳してこい」
一冊の洋書を渡されたのでした。思わず、「ぜ、全訳っすか?こげん分厚か…」と、言い終わるか終わらないかのうちに…。
「あぁ?ぜんぶたい。一言一句、訳してこい」
「はい…」(この眼光の怖かこと…)
先生ん家(←正確には玄関)でのわずか30秒くらいのやりとりでしたが、ほぼ完全に(←それこそ一言一句)再現できているはずです。
で、帰り道…。英語が得意でなかった(そしていまもそうである)僕には正直「うわぁきつかなぁ」と思う一方、「あ、もしかして、これって大学院受けてもいいっちゅうことかいな?」と喜んでみたり、「いや、まさかこれで諦めさせようと?」と訝しがってみたり…。ただ、考えてもしょうがないし、ノートを買いにいったのでした(←確か「無印」のルーズリーフ)。
因みに、その洋書というのは、かのPeter Blauの『Bureaucracy in Modern Society』(3rd edition)。毎日数時間、およそ3か月かかって何とか全訳を終えました。英語だけでなく、行政学(社会学)の勉強にもなりましたね。今から振り返っても、さすがな選書だと感心するばかりです。
閑話休題(←なんと、いままでは前振り!)。
それから四半世紀…。昨日はそのSI(Shigeru Imasato)先生のご退職記念講演会でした(←同志社のみなさん、よそ者の参加をお許し頂き有難うございました!)。
いろいろ書き残しておきたいところではありますが、ここでは一点だけ。
曰く「社会問題を解説はできても解決できない社会科学にどのような存在意義があるのか?→それほど微力・非力であろうと社会的課題を解決する仮説を提示し、自らの行動的実践によってその課題解決が可能であることを実証していく研究アプローチを自ら採ることとした」。
やっぱり行政学は「世直し人助け」の学! 同志社に移られてからは、SI(Social Innovation)と呼ばれることが多いですが、僕はYHを使い続けます!…と、どうでもいい対抗意識はさておき、おかげさまで、ときどき陥る持病「アイデンティティ・クライシス」から救っていただいた気がいたしました。
その背中とは差が縮まるどころか拡くいっぽうという感しかしませんけど、これからも追っかけたいと思います。
追伸:かつて「国立監獄大学」におられたことは勿論存じ上げていましたが、そこで英語・独語の原書を徹底的に訳されていたということは初めて知りました。なるほど、かのご指導(全訳せよ)の原点はこれだったんか!、と膝を打った次第です。
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