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【閲覧注意】痛すぎるタイの奇祭「ベジタリアンフェスティバル」を見るためだけに現地に行ったルポ。

※記事中の写真は全て筆者が撮影したものです。無断転載を禁じます。

タイのキンジェー(ベジタリアン・フェスティバル)を観に行った。

仕事ではない、完全にプライベート、自腹だ。

これは19世紀にマラリアに罹患した旅芸人一座が菜食を守ったところ恢復したことから、菜食に徹して健康に感謝する年に一度の祭りで、普通に菜食を中心とした屋台が出たりして賑わう。その中の1イベントとして、口に金属や刃物を刺して練り歩く苦行の行進がある。それがどうしても生で見てみたくったのだ。

私が目指したのはJui tui(ジュイ ティ)という所。Jui Tui Shrine(神社)という所を基点にパレードが行われるらしい。

前日にネットで調べて行った8:00には、もうパレード(procession)は通り過ぎてしまった後だった。現地のタクシー運転手のおじいさんに「明日はもっと大きいよ。朝6:00から始まるよ」と言われたので、朝5:00にコンドミニアムを発ってバイタク(バイクの後ろに乗るタイプのタクシー)で約40分かけて送ってもらった。

道中、同じくバイクに乗った人たちがすごいスピードで我々を追い抜かして行く。ほとんどの人が全身白装束だ。

現地に着くと、交差点の開けたところに沢山の白づくめの人たちが集まっていた。

花嫁のような格好をした女性たちが花で飾られた車に乗っているのが何台も連なっており、それがパレードの先頭集団のようだった。コスプレイヤーの撮影会のように、花嫁たちを撮るのが趣味らしい男性たちが囲んで良いカメラを向けていた。

パレードの列はまだ花嫁たちの車しか到着していないようなので、列の源流を探るべく後ろを真っ直ぐに進んで遡ってみた。

いた。

禿頭で色黒の中年男性が、口角に鋭くて長い金属の棒を突き刺して手をひらひらさせて周りを煽っているように見える。

厳粛な雰囲気ではあるが、意外と現地の人たちもみんなスマホのカメラを半裸の男性に向けて撮影している。中には、男性と並んで記念写真を撮る人も。でも、この男性がサービス精神旺盛なだけかもしれない。

次の人が来た。



簡易的な丸椅子を持った人に付き添われて登場し、道に面した形でその椅子に座った。下唇を交差した2本の金属棒が貫通している。こちらも「皆さん見てください」という感じの座り方だ。

徐々にセコンド風の付き添いと一緒に登場し、丸椅子に座る人が増えてきた。皆それぞれ、通行人が見やすい形で、道の両側に位置を見つけて座って行く。

こちらのバイきんぐ西村さん風の男性のは太いパイプ状の金属だ。

舌を貫通させた人は、血が出てしまってる。

他の人がなぜ出血していないのかこの時初めて不思議に思ったが、後に見た数十人含めても血が出ている人はほとんどいなかった。

程なくして5人くらいの参加者がまとめて登場。この時初めてわかったのだが、ひとりの貫通者(口に金属を貫通させた人を便宜的にこう呼びます。)につき、5〜10人くらいのサポートメンバーが取り囲んでケアしている。サポートメンバーたちは親族のように甲斐甲斐しく、貫通者の体を支えたり汗を拭ってあげたりうちわで扇いであげたりしている。
5人くらいの貫通者が登場したので、サポートメンバーも含めると人が50人くらい急に現れたことになる。
道はパレードの参加者で埋め尽くされ、カメラを構えていた観客たちは沿道にわっと追い出され、自然と行進の道ができた。

子供もいる。正式に参加しているようだ。

これはさっきのバイきんぐ西村さん風の人の横から見た図。

そこからは行進は止まることがなかった。次々に貫通者とサポートメンバーが湧くように現れ、押し出されるように行進が進んでいく。

丸椅子に座っていた数人もその列に加わり、あっという間に全体像が把握できない人混みになった。


周りを見ていると、一か所に留まって行進を見ている人がほとんどで、追いかけながら撮影するのは若干のマナー違反の雰囲気だった。でも、どうせ白装束の中で私だけ黒Tシャツに黒ズボン、浮きまくっていたので、ままよとそろりそろり並走して撮影することにした。

立ち止まって拝んだりカメラを構えている人の間を縫って行進と並走するので、時々、気づいたら行進の人たちに紛れ込むような場所にいることがある。大きな黒い布製の旗で軽くはたかれるので「どけ」という意味かと思ってそそくさとどいていたけれど、どうやら私をはたいていたのではなく沿道の人々の頭をはたいていたと気づく。旗を持った人が来ると沿道の人々はこうべを垂れて手を合わせる。その上をバタバタと仰がれた旗が通過して行く。

沿道のそれぞれの家か店が出している祭壇もある。時折その前に貫通者が立ち寄り、祈祷みたいなことをする。その時も祭壇の周りの人々が貫通者を拝み、貫通者自身が神々しい存在として扱われていた。



たまに貫通者のサポートメンバーの男たちが(※ここで記事初出時「古今東西の多くの祭りと同じく、貫通者もサポートメンバーもみんな男だ。」と書いてしまったが、同行者の方や映像を確認したところ、女性もいた。)「ウェイ!ウェイ!」と騒ぎ出すと他のグループのサポートメンバーや沿道の客たちも彼らから距離を取る。ほどなく彼ら自身が爆竹に火をつけ破裂音が耳をつんざく。沿道からも火のついた爆竹が投げ込まれるので破裂音はしばらく止まない。中には大人から火のついた爆竹を渡されて、パレードの列に投げ込んでいる子どももいる。
前の日から道にピンク色の紙吹雪のようなものが散らばっているのを見ていたが、それは爆竹の残骸だった。

破片も結構飛んでくる。
現地の人たちはみんな怖がりながらもわりとへらへらとして、半分楽しんでいるが、破片が目に入れば失明するような威力なので自分にはその余裕はなかった。粉塵と煙幕でほとんど周りが見えなくなり、怖いのでメインストリートから細い路地に避難したが、爆発はそのあとも10分ほど収まらず足止めを食らってしまった。余所者には危ない、と見兼ねたのか、現地の人がマスクをくれた。その人はマスクをしていなかったが。



気づけば8時30分、日も照り始めていた。
ちょうど折り返し地点だった。


パレードの先頭から追っていたはずが、気づくとかなり後ろの方まで来てしまっていた。行進から貫通者たちはいなくなり、竜の神輿を大人数で担ぐ、普通のお祭りっぽくなっていた。

2時間以上スマホカメラを回して人と煙と音の中を歩いていた私は疲れてしまい、祭列を離脱した。

事前に写真や動画を見てはいたものの、生で間近で見ると、自分も痛くなるような気がするのはもちろん、血液が逆流するような感覚になる。痛みを代償にした盛り上がりはやはり想像を絶し、渦中にいるだけで随分体力を奪われた。そしてそれを観ている観衆が、時に敬虔そうに、時に面白半分に、表情をコロコロと変えながら柔軟に祭りに参加している様が私には衝撃だった。奇祭の奇祭たる所以ではあるが、古くからある祭りではない、高々百余年の歴史しかないところもまた不思議だ。観衆の参加のテンションは、信じてはいないが一応敬うという、日本で言う節分の豆まきやなまはげが近いだろうか。

まだまだ写真、動画ともに大量にあるので反応がよければ第2、第3の記事を書きます。

文章を書くと肩が凝る。肩が凝ると血流が遅れる。血流が遅れると脳が遅れる。脳が遅れると文字も遅れる。そんな時に、整体かサウナに行ければ、全てが加速する。