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この完璧主義は矜持なのか体裁なのか

3月16日 日曜日
今日は資格試験の当日。
僕は重い足取りで、行きつけのテストセンターに向かう。

今日受ける試験は、会社の今期計画で取得を指示された資格である。
僕の所属部署の計画では、部署が数年単位でどんな技術テーマを扱い、どんな人材に育ち、どんな仕事をしていくかをロードマップとして描き、そこから逆算して補強するべき知識などを定め、各々が半期で達成すべき役割として定める。


僕は、俗に言う「完璧主義」の人間だと思う。
物事の手を抜くことができない。
不真面目な人なら話半分に受け流してしまうような他者の言うことや義務なども、真正面からぶつかりに行ってしまう(勿論、結果が出るかとは別問題で、大抵は玉砕する…)

周りの期待に応えたいわけではない。
「いい子でいたい」「認められたい」ともまた違う。

僕は組織に属す限り、自分の役割を果たすことに正面から向き合いたいと考えている。

大学時代、イベント制作の学生団体で活動したとき、イベントが失敗した後の打ち上げで団体を最前線で動かしていた先輩3人が肩を並べて大泣きしている姿を見て以来、組織の想いについて身を以って感じるようになった。

普通に一兵卒として気にせず過ごしていたら中々分からないが、組織のトップ陣はあなたが思うより組織のことを考えている。組織をどうしていきたいという想いをもとに、実現するための方法を必死に考え、その末に紡いだ計画が私達のもとにインプットされるのだ。

それを知って以降、あるいは自分自身も団体の中で想いを持って動かす側を経験して以降、組織を最前線で動かす者達の想いの尊さを感じずにはいられない。

想いのもと与えられた役割に対し真摯に向き合うのが、旗印を立てた人への礼儀だと僕は考えている。

逆にもしそれが「個人に対する期待」なのだとしたら、僕は躊躇なくそれを退けることができる。なぜなら、僕の人生の主導権を握れるのは僕だけだからだ。
ただ、組織は違う。


資格取得の目的は、一言で言えばエンジニアとしての知識の補強である。

しかし、僕ははっきり言ってエンジニアとしてのスキルアップに高いモチベーションを感じて前向きに取り組んでいるわけではない。そもそも技術に興味がないし、エンジニアという職業も、長く続けるつもりはない。
だから、エンジニアとしてのスキルアップという目的で言ったら、僕がここに時間と労力を費やすのは賢くない行為だ。
傍から見たら、馬鹿らしいと思われても仕方がない。

ただし、役割を無視して飄々とやり過ごすことは僕としては許容できない。
気持ち悪いのだ。

もちろん、会社目線で言えば、資格取得に真面目に取り組むほうが100%明らかに正しい。資格の目標を有耶無耶にして逃げるよりも向き合って挑戦するほうがどう考えても正しいに決まっている。
エンジニアとしても、組織人としても。

しかし、だからといって勉強に身が入るわけではない。

決してやらされているわけではないのだ。
自ら受ける選択をして行動しているのに、まるで無理やりやらされているレベルで全く身に入らない。
勿論、受けるからには少なからず対策も行うし勉強もする。
ただし、本当に志を持って臨んでいる人には決して敵わない。

目標達成のために努力しているという免罪符が欲しい。

それが本音なのかもしれない。

そんな不純な、本末転倒な、そんな動機で中途半端に勉強していたら、中途半端な結果しか結局得られなかった。


資格試験を受けて、半分も点数が取れなかった結果を見たとき、僕はほっとしてしまった。

しばらく資格の勉強という呪縛に囚われずに、プライベートを汚染されずに、堂々と自分の好きなように自由に過ごすことができることにほっとしたのだ。

結局、自己満足に過ぎないのかもしれない。

組織としても、結果を見て評価する。
何度受けようが、どれだけ勉強したかではなく、合否だけで判断される。
当然合格しなければ、評価が上がることもない。

誰も得しないし、本当は誰も気にしていないかもしれない。
でも、ある種自ら望んで、その呪縛の中に飛び込んで行こうとしてしまう。

こんな無意味なこだわり、さっさとアンラーニングしてしまおうかと考えもする。ただし、この空虚な矜持を亡くしたら、自分が自分でなくなってしまうような気がしてならないのだ。

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