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バイクの最高速度に意味は無い、本当の速さとは、”風の中に居るライダー” だけが知っている
「このバイク、何キロ出るんだい?」
「メーターは、〇〇キロまでかな。」
「凄いな!怖くないのかい。」
単車乗りなら誰しも経験のある、この類の会話
疑問に思うことなど無かった。
大きな潜在能力に、自分は跨っている、
その可能性だけで優越感に浸れた。
しかし、乗り続ける中で、次第に疑念を抱き始める
こいつは腕時計なんかじゃない
性能を使い切ることなど、到底、不可能だ
街中で出せる上限が決まっているのなら
最高速度など、無意味じゃないか?
いや、きっとそうなのだろう
皆、カタログデータでしか、自分の相棒の“本性”を知らない
![](https://assets.st-note.com/img/1708261220268-XjAFFmXN37.jpg?width=1200)
バイクを降りていく大抵の者たちは、おそらく気にもかけなかっただろう
メーターを振り切れないことへの苦悶
非現実的なスピードへの恐怖
常識をまとい、妥協している己への怒り
許容の限界の低さを、路上の現実の非情さを、
身をもって思い知らされ、矛盾に気づいてしまった
そんな単車乗りたちは、葛藤する
“速さとは何だ“
“基準は、ゴールは、何処にある?“
・・・慌てるな。“速さ”に答えなどない
見つかりっこないさ、足元に気付くまで。
何に跨っている
二輪が二輪であり続ける限り、
所詮、コントロールされた領域でしか操れない。
メーターの指針に惑わされるな
挑戦と無謀を混同するな
後先まで度外視して、出せたスピードに己惚れるな
残された運の、無駄使いに過ぎない
![](https://assets.st-note.com/img/1708261323652-XDtugh2XKf.jpg?width=1200)
速度とは無限だ、そう、上限は無い
これから先も、永遠に。
ましてや、
はなから未完成な存在の単車に、答えなどあるわけがない
たとえ、指針を振り切れたとしてもだ!
ゴール?
あるとすれば、それは幕切れのこと
降りるか、乗れなくなるか、の二択しかない。
気付いているんだろう、走ることの素晴らしさを
速度計の隣には、風や、空や、陽射しや、音色や、
そして、感動を示すメーターは無い
“スピード” は、ライドの、数ある魅力のひとつには違いないが
その“物差し”に決まりはない
景色を楽しめる速さ、
気持ちいいと感じる風の上限、
エンジン鼓動の丁度いい回転域、
木々や海のにおいを満喫しながら、様々だ
![](https://assets.st-note.com/img/1708261582724-R373vaTACu.jpg?width=1200)
単車乗りにとって
目に見えるメーター指針は、意味をなさない
本当の速さとは
その場面の“風の中に居る単車乗りだけ”が、
感じられるものだからだ
速度は、風圧に抗うこと、風とは、空気の躍動、
ならば逆風に向かえばいい
嫌でも、速さを肌で痛感できるさ
やり方や感性に速度制限はない
最高速と全速力は違う
自由に楽しめばいいじゃないか
風に溶け込め、駆け抜けろ
そのシーンに一番しっくりくる、
自分が選んだ“全速力”で。
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