何者

徳島から東京へ、自転車で横断した。
朝から晩まで走り続けて、丸5日掛かった。
1日目、和歌山から奈良まで渡った時点で後悔していた。
自転車の運搬費用と、旅の宿泊費、どちらが上に成るかを理解したからだ。

出発以前に想像していた旅とは違っていた。

動悸は、東京に移り住んだ友人との連絡が取れなくなったこと。
仕事を初めて2年目の彼は、病んでいるのではないだろうか?
それとも、人間関係が増え過ぎて、俺という人間の価値が無くなったのか?
前者の心配はしていない。
あいつに限って…とかではなく、病んでいたとしても関係なかった。
俺は人の心配をするような人間じゃない。
それよりも、後者。
俺は、置いていかれる事が怖かったのだ。

そう思った俺は東京へ行くことを決意した。
貯金もない俺は、年1で東京に行くことを挑戦としていた。
でもそのスパンじゃ、差が開くのは当たり前だと気がついた。
かといって、やはり貯金は無い。
そこで、東京でもUberをする、という考えに至ったのだ。

東京でマイチャリを持つ方法。
それは、現地で購入するか、自分のチャリを運ぶか、だ。
前者で良いではないか、と思うのが普通だと思う。
でも俺は後者を選んだ。
そして、徳島から東京横断の旅に出る事を決めたのだ。

後者を選ぶ事になった理論はこうだ。
1.自分の愛車を東京で走らせてみたい。
2.チャリの運搬の費用がない。(5日間の宿泊費がそれを上回るが)
3.旅というものをしてみたい。

どれも軽い考えだった。
徳島Uberで付いた体力を試してみたい、度胸試しの意味合いもあった。
何か大きな苦労がしたい気分だったから、こんな選択も許してしまった。
それも焦りのせいだろう。
俺の選択は何から何まで間違いだっただろうか。

旅の途中思った。
俺の選択していることは全て間違えているのではないか。
気がついた時には、苦労の道を進んでいる。
今の俺の現状はどうだ?
仕事もないのに個人事業をして、収入が足らずUberなんてやっている。
上手くもない小説を書いて、売れる事を夢見ている。
今やっている事すら間違いなのではないか?
デザインは、昔、絵が上手いと言われたから。
小説は、昔、文章が分かりやすいと言われたから。
才能があると思いたかっただけだ。

何者に成るか。
人生の方針を決める為に、過去を見た時期があった。
何者に成るか?
簡単だ。
思い描いた夢に成れば良い。
だから、自分は何者だ?と問いが嫌いだった。
まず何者という言葉が痛々しい。
そんな事で悩む暇があるなら、さっさと選べよ、と思っていた。
そんな考えは浅はかだった。

デザインと小説に向き合っていて思う。
俺は、何にも成れていない。
やるだけではダメで、人に認められるか、認められなくても本心から自信を持てるものを作り上げてこそ、プロというもの。
自己暗示で、上辺だけの自信を手に入れても、プロには近づけないのだ。

洗練された作品の提出が必要だ。
毎日投稿をしたから上手くなる訳では無い。
だから、書いていた小説とブログの手が止まった。
以前までと同じように、1ヶ月も継続できない自分だ。
それは確かに悪いことだ。
でも、俺が今するべき事は別だと思ってしまった。

継続できないなら、苦労し続けろ。

小説家に成るとか、デザイナーに成るとか、
もうどうでもいい。
人生の目標とかは要らない。
俺は、目先の試したい事に突っ込んで、地獄を見る。
見るのは地獄ぐらい刺激がなくてはダメだ。
人生経験を積み上げる。
それが何に成るかも考えなくて良いし、もしかしたら途中で死ぬかもしれない。
自分が大事な人間だから、死なない限度を守っていくけれど。
俺は劇的でぶっ飛んだ人生が送りたかったんだ。
思えば今までもそう成れるように行動していたシーンならいくつかある。
それを頭で理解できてないから、今の行動が間違えてるなんて思ってしまったのだ。

まずこの東京、毎日発見をする。
毎日ギャラリーを回って、毎日ノルマの稼ぎを得る。
単純に肉体労働をする事しか俺には向いていない。
ちまちまとした継続が無理だから、俺は大体的に継続する。
俺の人生は苦労。
劇を熟す人間だ。

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