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子どもは親の鏡(時々思うこと No.9)

おはようございます、繊細さんです。

繊細さんである私は、学童保育のアルバイトを5年間しています。
その中で、子どもとのかかわりの中でふと感じることを紹介します。

ざんねんな小学1年生

去年はコロナ禍で、いつもの日常生活が変わった一年。
始業式はしたものの、緊急事態宣言で学校生活が数か月後からのスタート。

緊急事態宣言が解除されたある日、
ある1年生のA君は、「終わった」といった。
宿題を机に出してから、ほんの数分のことだった。

簡単だとはいえ、私はすぐに終わるはずがないと思い、
確認すると、両面刷りのプリントの表の半分以下だった。

全部、やってない・・・何だ、これは?!
これでいいのか?こんな中途半端なことでいいのか?
と思いながらも、やるように指導した。

私は、コロナ禍で、学校の先生も追いつこうと必死で、
それに追い付ける子どもは、数少ないだろうと頭を落ち着かせた。

他の子どもたちを見ていると、
諦めが早いのか、じっくりと考えないのか、
「答えを教えて」という声も飛び交った。

国語、算数と順番通りにしたり、支援員に聞いたりしたらいいものの、
宿題がテキトーに済ませ、雑になってきている。

宿題が分からないため、家ではやらない。
深堀りしていくと、別の学年では、
授業中に宿題をしている、
朝早くに来て、学校で宿題をする生徒もいるという驚きの事実を知った。

私の考えは、宿題は子どもたちにとっての仕事のようなもの。
分からなければ、辞書や教科書で調べたり、
家族、人に頼ることも大切になる。
宿題をやっていないことに対して、恥ずかしくないのか?

あぶない小学5年生

この5年間のアルバイトで、特に驚いた小学生B子ちゃん。
その子について、ベテランの支援員さんと話していると、
もしかすると、LD (Learning Disability) ではないか?と不安である。

その特徴を二つ紹介します。

1.小学1年生の頃。
施設内でお楽しみ会で、ビンゴ大会をしていた。
紙に書かれたビンゴカードの数字に穴をあける際、
B子ちゃんは固まっていた。

ベテランの職員が言うには、その子には数字の認識がない。
だから、横でずっと教えていた。

2.小学5年生になって、
クラブ活動として、テニスを習っているという話を聞いた。
通っている別の女の子がテニスで着る服を持ち、着替えようと
更衣室へ行く。

しかし、B子ちゃんは着替え一式を忘れていた・・・
ある職員になぜ、持ってこなかった聞かれると、
曜日感覚が分からないと言った。

私を含め、多くの職員が驚きを隠せなかった・・・
せっかく、入ったクラブにもかかわらず、
いつ、あるのかも知らない。

職員にどうしたらいいのかと言われ、
私なりの方法で、現在、彼女にカレンダーを毎月渡している。

他には、下校時間である午後4時ごろに、
「今って、おはよう?それとも、こんにちは?」という質問を
彼女の友人に質問した。
冗談かもしれないが、彼女は真剣に悩んでいた。かわいそうなB子ちゃん。ある職員は、ネグレクトではないかと言っていた。

ごく一部の子どもの些細な行動が悪く目立ってしまい、
それらに対し、どのように振る舞えばいいのか、解決していいのか。
繊細さんである私は、非常に頭を悩んでいる。

最後に
タイトルである『子どもは親の鏡』には、次のような意味を持たせている。
子どもは先生、地域の人々との出会い、家族との会話などで成長していく。
家族はしつけや社会勉強を教えてくれる大切な存在。

夏休みのある日、とある女の子が衝撃の言葉を言いました。
「パパが言っていたけど、宿題ばっかりしていると、バカになるで。」

このとき、すぐに怒りの感情が込み上げてきた怒
宿題ばかりというが、そんなにやってない。
よく考えて発言しないと、怒られるぞ!!
勉強ができないと、そもそも話にならないぞ、特に義務教育では。
という具合に脳内で、白熱緊急会議が開催されました。

宿題をやっていなくても、何とかなるかもしれません。
勉強は積み重ね、継続することの大切さを教えてくれ、
好奇心を生む材料になります。

子育てには、正解というものは存在しません。
普通以上の子どもに育てる、目指すには、
それ以上に努力、挑戦が必要。
そのためにも、母親だけが育児に専念するのではなく、
父親も含めた家族全員で取り組んでいくことが大切。

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