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ア◯プラは、議論の普及につながるのか、それともただのプロレスか。

すごい記事書くやんこいつ、っておもった?笑
逆に今だから書けるかもと思ってかいてます。

AbemaPrimeについて書きます。
以下、鉤括弧付きで使ってる語句に関しては本来の意味と異なる意味を含んでるのもあります(というか、だから鉤括弧付きにしています)のでご了承ください。




AbemaPrimeは、インターネットテレビABEMAのニュースチャンネルで放送している帯番組で、主に「話題のトピック」について、当事者へのインタビューをしたりいわば「新進気鋭」の論客が議論を交わしたりする「報道番組」です。

わたしは今年テレビ離れに関するインタビュー調査をしていましたが、その中でテレビ非保有者からもたびたび名前が上がっていましたし、関連ハッシュがトレンド入りすることも多々あるので着々と視聴者を獲得しているのだと思います。

この番組の肝は、「議論を交わす」ことにあると思います。
わたしも、社会の課題に目を向けるにあたって、議論は大切だと思います。
それは、民主主義国家において当然です。
日本は社会や政治について、日常的に議論することがタブーのような空気があります。
それを変えることは、社会にとって前向きなことだと思います。その意味でも、この番組は有意義であると、思っていました。


ですが、アベプラは本当に、議論を健全に促進するものとして機能しているでしょうか。


最近、アベプラにおける議論はプロレスにすぎないのではないかと思うようになりました。

良くも悪くもアベプラの名が有名になった一つのきっかけに、「ひ○ゆきの辺野古座り込み冷笑問題」があると思います。

ひ○ゆきが辺野古基地問題のボードの横で、ピースサインをして写真を撮ったとき。
アベプラのスタッフは隣にいたはずですし、そもそも彼をあそこに連れて行ったのはアベプラです。
写真をとったのもTwitterにあげたのも彼の判断ですが、そこに責任は本当にゼロなのでしょうか。

また、近年同じく問題視された「高齢者は集団切腹」の発言者もアベプラに"論客"として度々登場しています。
彼の本の帯には「言っちゃいけないことはだいたい正しい」と書いてあった記憶があるのですが、そんなのはただの逆張り&極論でしかない。
昨今の、「誰も言わないことをはっきり言えるのが、冷静に物事を見られる優秀な"論者"である」という風潮は、わたしは絶対に間違っていると思います。

綺麗事のように聞こえることでも、本当に正しいことは正しいと表明し続けていたいと、わたしは思っています。

あととあるギャルっぽい女性とかも割と「はっきり意見を言える」枠的な感じでよく出てるんですけど、Twitterのアカウント見たらモロ「そちら側に迎合する女性」で虚無になってしまいました。
なんか「もう一つの、女性目線」をふりかざしながらしぬほど某女性団体の話でキレ散らかしてて、それに暇アノン的な人たちが群がってもてはやしててほんとうに無理でした。

結局、そっち側にいかないと"論者"になれないんじゃんね。

そんなわけで、あの場での議論って結局「朝生」的なプロレスから脱却できてないし、それどころかより一層「議論」を退化させる方向に作用してるのではないでしょうか。
新しいテレビ、を名乗るならそこら辺も「テレビ以上」になっていくべきなんじゃないのかなぁと思ったりしました。

というニート期間の終了間近の独り言でした。
そのうち消すかも。


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