見出し画像

1か月半の準備運動。


みなさん、お体の調子はいかがでしょうか?お変わりないですか?
昨日と今日では状況が刻一刻と変わっていく世の中です。
多方面から考えることが多すぎて、それは3次元、4次元的に社会の動きを見極め、取捨選択をし、行動をしていく…これらを瞬間的に行なっていくことが求められます。
ただ、教育現場においては、上記のことを直接的に行うのは、管理職であり、もっというのであれば、市教育、県教委、文科、国です。私たち現場の教員は、そこでの決定の中で動くしかありません。

しかし、それをひたすらに「受け身」に構えていて良いのでしょうか。
今こそ、日々子どもたちに求めていた、
「不確実性な社会において柔軟に考える大人」のモデル
を私たち自身の背中で見せることができる、今そのときではないでしょうか。

今私たちに必要なのは、
・「事実」と「解釈」を分けて考える【視点】
・取捨選択をする時に頼るべき【自分の軸】

ではないかと思うのです。

①「事実」と「解釈」を分けて考える【視点】
「何が事実」で、どこからが「自分が感じ、考えたこと」なのか。
これを分けて考えること、言葉で捉えると至ってシンプルなのですが、これを同一にしている場面を日常生活の中で多々見ます。
では、そうすることによって生まれる弊害は何か。
それは、変えることのできないことを変えようと努力し、変えることのできることが見えなくなってしまう・・・つまり空回りという悲劇です。
事実は1つ。解釈は無数。
1つの事実に対して、感じること考えることは人それぞれで、同じ人でもその時の状況、感情によって変化するものです。
今回の「学校の休校」という事案をとって考えるのであれば、これ自体は私たち現場の教員にとっては、【事実】です。
つまり、変えることのできないものです。
しかし、それに対して生じる「まじか!」「いきなり言われても困る」「そんなことされては授業が終わらない」という感想は、【解釈】です。
つまり、変えることのできるマインドです。
さて、良い方向に動かしたいと感じる時、【事実】と【解釈】、どちらに対して注力をすればより効果的かを考えるのであれば、「変えることができる方」を選ぶのではないでしょうか。

事実は、変えることができません。
「子ども達と再会できたならば、会うことでしか伝えられないことは何だろうか」
「このような状況になって、改めて学校の良さとして何を感じさせることができるだろうか」
「私は何を伝えるために、教員として、子ども達の前に立つのか」
これらも【解釈】です。
あなたは、今目の前にしている事実に対して、どんな解釈を持つ教員、大人になりたいでしょうか?

②取捨選択をする時に頼るべき【自分の軸】
人は何かを選び、または、捨てる時に、無意識的にその時にできるベストを尽くしています。ただ、そのベストというのが一時的なものなのか、それとも人生レベルでのものなのか、という違いがあります。
1.人生において絶対に大切にしたい理念は?達成したい目的は?
2.それをもとにどんな人生ビジョンを描く?
3.具体的な目標は?
4.達成するための計画は?
5.どんな行動をする?
この順番で、行動選択をすることが、人生で成功するための最短距離であると、選択理論心理学では唱えています。
短期間的目標、一時的な快楽を満たすために選んだものは、例え、何かをなし得たとしても、長期的な成功ではないことが多いです。
自分の人生理念に基づいた一貫性のある思考回路のもとで選んだ行動は、その一つひとつが人生を豊かにすることとなるはずです。

少し話が逸れました。
私たち教員が、「先生」と呼ばれるのは「先に生かす者」だからではないでしょうか。自分の言動が子どもたちの10年後にどんな影響をもたらすのか、そう考えると、「何かのせい」にしている場合ではないと、改めて身が引き締まります。
柔軟に対応しなければいけない今だからこそ、軸が必要だなあ、と。
正解がないからこそ、意識を薄れさせないことが大切だと思わされます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


与えられたものをこなす【自分】でなく、
求められているのは【私自身】だということ。
きっとこの1か月半は、これから先の自分の人生のターニングポイントになるくらいの準備運動をする、そんな時間でした。
今回の記事は、自分へ言い聞かせながら書いた内容でした。
最後に大好きなココ・シャネルの言葉で終わりにします。

My life didn’t please me.
so, I created my life
Coco Chanel


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?