久しぶりの投稿! 書き始めると、止まらなくなる性分。 落ち着きながら、書いてみよう。 改めて過去の記事を読んだ。 そこで見たのは、おおよそ一年前に、 ことばの焚き火という本に出会っていたこと。 正直、「まだ一年」という感覚。 でも、いろいろなことがあった。 対話会という、知らない人が たくさんいるところに参加して、 初めましての人たちと、自分の 内側を出し合い、眺め、感じあう。 そこからの体感覚で、繋がる、 という体感覚を得た。 そのことから、めっちゃ 自分に対
短文では書いた所感。その後の気持ちの整理も含めてまた、書いてみます。 つながるって心通わすこと。分かり合えたと感じること。何かが救われたと、自分の中で腹に落ちること。 対話の最中は、自分よりも相手の「何を言おうとしているのか」に意識を向けていた。だから、「つながる」とは、相手に共感するとか、相手のことを自分事に感じること。それは、相手を見守るという行為に近いなと、その時は感じていました。 一方で、終えてみて、振り返ってみて感じたのは、自分も見守られていたんだ、という感覚
今日、プレオープンの会に参加して来ました。 短めに書くと、とてもよかった。 長めに書くのは、またの機会にして、今感じているのは、「つながる」ってなんだろう? ということ。そこが、まだ「実感」できていないのがこれからの課題かな。 短時間で、色々な自分に繋がれたのは、とても不思議だったし、周りの仲間とも繋がれたのは、とてもいいなと思った。また、機会があったら、参加してみよう👍
ここ3,4年くらい、向き合ってきているテーマ。 未だに十分できているとは思えない、大きなテーマであるが、現在地を確かめるべく、ここに書いていこうと思う。 でも、なぜ、このテーマなのか? よく、「俯瞰でみる」ことが大切である。「自分を、見失わないように」という言葉がある。これは、見方だったり、心の持ちようを言っているのだが、結局、「自分と正対する」ことのやり方に過ぎないと思います。そして、この「自分を見失わない」ということ、昨今、変化の激しい世の中では、とても重要なことで
知人の紹介で読み始めました。 率直な感想は、「対話っていいな」です。 なんで、いいな、と感じたのか? 少し自分と対話してみた。 対話の時間というのは、 振り返ると「心地よい」時間、 本にも「ゆるむ」という表現が ありましたが、そういう状態。 それが「いいな」になるのだろうと 思いました。 では、なぜ「心地よい」が 「いいな」なのか、深く掘り下げる ことが嫌いではない性分なので、 すぐにしてしまうが、対話では、 そこで止めても良い。感じられれば、 それが現実である。