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今、より猫になりたい。

昔からよく、猫になれたらな~と思う。

その理由は、自分も日向が大好きだからだった。
日向でゴロゴロ、気ままに生活。羨ましい。

近年その思いは「ただ存在するだけで愛される」という意味でも
羨ましくなっていった。

「泣きたい私は猫をかぶる」というNETFLIX配信の映画も、
タイトルから気になって見た。
イマイチ共感はできなかったけど
(今自分のレビューをみたらなかなかの酷評だった(苦笑))
家庭環境に悩む点は自分と同じで、理解できる部分もあった。


そして今、より猫になりたいと思う。

なぜならば、ただただ隣にいたいと思う人がいるからだ。
また、人間的な欲や感情を捨てて見守りたい大事な人がいるからだ。

(あれ、これってちょっと上記の映画みたいな感じか!?…見返すか…笑)

前者は、好きだけど叶わない相手だ。
タイプが違う人間。好かれることもなければ、私が理解できる人でもない。
でもとても憧れる。自分にないものを持っている。
ただ隣にいて、彼の生活を覗き見たい。なんて言ったら変態っぽいけど、
本当にそう思うのだ。

私が私では見られない世界を見たい。
彼に見せてもらいたい。彼が惹かれるものを知りたい。
きっと人間では、そんな彼にとって意味のない存在、welcomeではない。
仮にwelcomeだったとしても、私の人間的な欲が邪魔をして
きっと関係は上手くいかない。


後者は、ずっと大事にしてきた相手だ。
もう付き合いもだいぶ長くなって、
大人だと思っていたその人にも、弱さや抱えているものがあることを知った。
なるべく、悩みや苦しみから無縁で、幸せであってほしい。

今、私はその人の幸せを邪魔してしまっていると思う。
だから、猫になって横で見守っていたい。
たくさん幸せを感じられるように、癒しになりたい。
でもそれは私が人間ではだめなんだ。
人間としての感情が邪魔をしている。


あーあ、猫だったら。
もっとありのままでもいられると思う。
日向ぼっこもそうだけど、
気まぐれに甘えたり、そっけなくしても
わがままを言っても「猫らしい」と許されて、
沼ってもらえて、癒しも与えられて。

でも猫にはなれないから、代わりになんでもしたいのに、
そんなのは逆に魅力的ではないんだろう?
私の感情がついてこないこともあるだろう?

いいなあ、猫は。私も猫になりたい。

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