文体の舵をとれ 第一章 自分の文のひびき その2

 文体ってのはきみが必死で考えた設定やらストーリーやらを、決まったルールに則って読み手へと届けてくれる宅配便業者のお兄さんたちなんかじゃあ、ない。
 ないのだ。わかるか? 文体こそがきみそのものなんだ。
 僕のような過激派からすると文学ってのは「なにが書かれているか」なんてどうでもよくって。肝心なところは「どう書かれているか」なのだ。
 語り口の面白い配信者ならクソゲーでも面白いし、逆につまんねーやつはどんな良ゲーやろうが全然面白くならない。そういうこと。



 さて、早速だが『文体の舵をとれ』に挙げられている技法を、具体例を示しながら説明してみたいと思う。ちなみに、これは僕と僕の友人のために書きあげるものであり、「具体例を示す(キリッ)」なんて言ったものの、全公開するにあたり、ある程度の恥は覚悟のうえだ。僕は小説作品をただの一作も書き上げたことのないザリガニ野郎である。なにが言いたいかってつまり、僕は僕の実力以上に書き示してみせることはできない。というはなし。おらおら頑張れ僕。

オノマトペ


 オノマトペ、つまるところ擬音語だ。こいつを使うとどんな効果があるか。まずは情報を簡単に補足できる。日本語には擬音語が豊富だと思う。笑いかたひとつ取っても「けらけら」「にやにや」「げらげら」「ころころ」「ぐにゃぐにゃ」等々、トリッキーな表現まで入れていけばいくらでも挙げられ、どれも全く違った印象を与えることができる。4文字前後の短い文字数で簡単に印象を確立できるし、逆に意表を突くことも容易だ。
 よっしゃ、じゃあなるべく擬音語を使いまくって一文作ってみよう。

 見上げれば満天のきらきら星、隣には満面のにこにこ顔。いまなら……きっと告げられる。はずだったのに。
 タイミング悪くザアッとそよいだ風に、声のほとんどが溶けてしまった。
 僕のほうへ顔を向け直し、瞳をパチパチとさせながら、
「なんて言ったの?」
 と聞き返すきみ。僕はあらたまってもう一度同じ言葉を紡がなければいけない。
 目の前がチカチカする。この星もいまきみの瞳に映っていたりするのかな。なんて、そんな変なことを考えてしまう。

 ポップだ。『ポップしなないで』と同じくらいのポップ力だ。ちなみにこの例文ではポップであること以外たいして使いこなせてないが、そもそも擬音語はたった4文字前後で簡単に補足できるのがとてもエコい。文中に擬音語をつっこむほど説明が簡潔化し、つまるところ文はどんどん加速していく。ただし、やたらめったらポップになる。そう、速度だけじゃなく雰囲気そのものを左右するので、やみくもに多用できるもんでもない。

頭韻

 頭文字や子音、母音を拾いながら揃えていくこと。使えばとにかく雰囲気が爆上がりする。母音始まりだとちょっとやりやすい。完全に揃えてっちゃうよりは上手く外しながら抜いていけると小洒落た感じになる。でも条件は簡単なのに良い感じに書こうと思うと結構難しいよねこれ。


ただ、たましい揺蕩うたいかいの只中へ
 滔々としずむ。ときのおと知らないまま。

 見ての通り、がっつり使うとポエりがちな文章となる。小説ではうまいことやりすぎない程度に地続きにできたらおしゃんな文が紡げるかもね。
失敗したらブリーチの巻頭ポエムになりそう。いや、僕はブリーチのポエムわりとうまいと思ってるけど。
 そうそう。ブリーチといえば「……あまり強い言葉を遣うなよ」という有名なアレ。あのアレ。創作にも当てはまるんだよね。いや厨二っぽいの書きたいならいいけど? バランス取る力がないならやめといたほうがいいよ。熟語なんかも極力使わない方がいいと思う。個人的意見ですけど。

 繰り返し表現

 読んで字のごとく、同じような言葉を繋げて使うこと。これは条件は簡単に見えるけどリズム感がないとすぐぎこちなくなる。そういや厨二っぽいテキストでよく見かける。
 ”痛い痛い痛い痛い痛い痛い”
 とかってめちゃんこ並べて書く、あのそこらじゅうで飽きるほど見るあれも、まあここに入んのかな。そういうのを含めるならそこまでレトリックが上手くない人でも使いやすいかもね。

僕は本当はロックマンになりたかった。様々をぶっ倒してぶっ倒したやつらからぶっ倒した分だけ奪って、そいつを腕から惜しげもなくぶっ放しながらいつまでもどこまでも突っ走っていきたかった。僕は本当はいとも簡単に死んでいとも簡単に蘇えりたかった。でも、どこにそんなやつがいるかよ。

 これは僕が昔書いた詩の中の一文を引っ張ってきたものだ。もちろん単純に繰り返し言葉にしているだけじゃない。緩急や音韻に気を付けなければイケてる文章にはならない。「大事なことだから2回言いました」ってな意識でただ繰り返すんじゃダメだ。前述した痛い痛い痛い痛い痛いみたいなものもそうだけど、音韻を意識せず、下手に使うと逆に表現がチープに見えてしまう。

 こんどは僕の文章じゃなく浦桐くんの練習文を読んでみよう。

だいたい日曜のショッピングモールなんて、どこも混雑している。私はどうしてもガパオライス(の上に乗った揚げ焼きにされた目玉焼き)が食べたかったが、入店待ちの列があまりにも長く(少なくとも今空腹の私にはそう見える)、当分入れそうにない。どこかにおひとり様ランチ歓迎の店でもないものか。あてもなく一階のレストランエリアを歩き回り、四階のフードコートを覗き、再び一階へと戻る。空腹も限界を迎えた頃、シティベーカリーのカウンター席が空いているのが見えた。しかも電源席だ。他の客たちも皆、パソコンや参考書などを持ち込み、各々仕事や勉強をしている。これなら私が食事後に充電をしながら携帯から駄文を書いていたとしても、同じような客が多いのだから、誰も文句は言うまい。私は充電器などの入ったポーチを置いて席を確保、トレーとトングを手に持ち、何を食べようかとパンを吟味する。目に留まったのはベーコンとメープルシロップのマフィン。ああ、もう名前だけで美味しいということがわかる。ベーコンとメープルシロップ、ベーコンとハチミツ、ベーコンとピーナッツバター、ベーコンとバナナ。ベーコンと甘いものは意外と合う。その組み合わせの美味しさは数年前に食べたエルヴィスサンドで実証済みだ。私は迷わずそれをトレーに乗せる。さて、あと一つくらい食べられそうだ。何を選ぼうか。

 はじめから終わりまで「いま」の説明をしているだけなんだけど、この速度で進められるとするする読んでっちゃうわけ。なんで? どうして? って話じゃなく、「いま」がとにかく連続していて、だから疑問を持たずに共有できる。
 ちなみに浦桐くんは描写を無駄説明にしないで書くのが上手いと思う。無駄説明っぽくならないようにって大事だよ。登場人物が動くたび、場面展開するたび、移動するたび、むだな描写が挟まれるやつはダメ。「え、いまのその描写って必要だったの?」って読者にそんなこと思わせちゃったら終わりだと思う。疑問に思うってつまり、なんらかの理由でも付けられてなきゃつまんなくて、さらにパッと見でその理由が見つかんないわけだろ? そんなの書くだけマイナスじゃない? なんども言うけど登場人物の外見についての描写をオキマリのように書くだけなら、いっそすっぱりやめたほうがいい。むりやりにでも必然性をもたせるべき。そのためにはイケてる文体が必要だ。

 個人的には適度に描写をぶちこみたいなら三人称視点を、なんかもうとにかく描写を並べまくっていきたいなら二人称視点で書けばいいと思っている。
 ためしに浦桐くんの書いた練習文を二人称に書き換えてみよう。

 「だいたい日曜のショッピングモールなんて、どこも混雑している」と、きみは軽く辟易している。本当のところはどうかな、少なくとも私にはそう見える。だけれどもきみは大好きなガパオライス(の上に乗った揚げ焼きにされた目玉焼き)をどうしても食べたい。と心に決めていたから、どうにかこうにかお店の入り口にまで辿り着く。けれども残念なことに入店待ちの列は、「どうしても」なんて掲げていたさっきまでの心を簡単に挫いてしまうくらいは長く(少なくとも空腹のきみにはそう見えるようだ)、当分入れそうにない。こういうときは速やかな切り替えが大事だ。と考えているかもしれない。考えてないかもしれない。そんなことはどっちでもいい。お腹が空いているっていうのはそういうことだ。ともあれ切り替えに成功したきみは、どこかにおひとり様ランチ歓迎の店でもないものか。とまずは一階のレストランエリアを歩き回り、それから四階のフードコートを覗き、けっきょく再び一階へと戻る。そしてさあ空腹も限界を迎えたという頃、ついにシティベーカリーのカウンター席が空いているのを見つけられた。しかも電源席だ。安心したきみは他の客たちを一望すると、皆パソコンや参考書などを持ち込み、各々仕事や勉強をしている。これなら食事後に充電をしながら携帯から駄文(などとつい言いたくなるのだろう)を書いていたとしても、同じような客が多いのだから誰も文句は言うまい。なんて考えている。空腹もどこへやら。さて、充電器などの入ったポーチを置いて席を確保、トレーとトングを手に持ち、何を食べようかとパンを吟味する。すぐにきみの目に留まったのはベーコンとメープルシロップのマフィン。「ああ、もう名前だけで美味しいということがわかる」とかなんとか考えているのだろうということは手に取るようにわかる。だってきみの目線がそう語っているのだから。そしてさらにこう続けているはずだ。「ベーコンとメープルシロップ、ベーコンとハチミツ、ベーコンとピーナッツバター、ベーコンとバナナ。ベーコンと甘いものは意外と合う。その組み合わせの美味しさは数年前に食べたエルヴィスサンドで実証済みだ」と。だからきみは迷わずそれをトレーに乗せる。さて、見立てではきみはあと一つくらいは食べられそうだ。何を選ぼうか。

 一人称のそれと根本的に何が違うのか。僕が思うに二人称では描写とは観察だ。つまり愛情なのだ。だからこそ無限に重ねていける。裏を返せばストーカーチックなキモさも出てくる。二人称使って最後語り手が犯人だったりみたいな、そんな新感覚ホラーが書けそう。
 ちなみに文体に緩急をつけられないとTRPGのような文章になってしまう。まあそれはそれで味があるのだけど。物語とするなら一歩工夫がほしい。上で書き換えた例文だが、ここからさらに『含み』を持たせ語らせると、主人公の行動とはべつに並行して物語が流れ進んでいく。具体的なやり方としてはたとえば

 「だいたい日曜のショッピングモールなんて、どこも混雑している」と、きみは軽く辟易している。本当のところはどうかな、少なくとも私にはそう見える。

このあとにさらにまだ明かされていない理由を添え、それを要所要所で徐々に明かしていけばいい。実際に書いていくとキリがないから今回はこの辺にしておこう。

 そもそも『文の響き』から大きく脱線してるじゃんな。

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