ベルリン生活記

ベルリンでの生活が始まって3日が経過した。
言葉の通じない世界、日本とは何もかもが異なるヨーロッパの大国——

次々に押し寄せる環境の違いと戸惑いの荒波の中で、あぶくを吐き出しながらもがいているうちに、気が付けば少しずつ自分がこの世界に慣れてきていることに気が付いた。

海外で生活すること、それは終わりのない「何かに慣れていく」ことの過程だ。しかしながら人間は一度何かに慣れてしまうと、それ以前に自分が抱いていた感覚や感情も、記憶の片隅に落としたまま忘れ去ってしまうものらしい。

時間をどこかに結び付けておかないと——
その考えがまるで風船をぱっと離したかのように浮かんできたのは、当然の成り行きだったのだろう。
そういうわけで、このnoteは継続的に更新していきたいと思う。

私自身、海外での生活は大学時代のロンドン(一か月だけ)以来、二回目になる。東京で育ち、福岡での7年間のサラリーマン生活を経て今に至る、まごうことなき純粋な日本人だ。
ロンドンでの生活は、言ってしまえばほとんど娯楽と消費の渦に飲み込まれただけだった。その時に比べれば、いくらか世界の成り立ちについて理解できるようになったし、自分の頭で考える力もついてきた。

日本人の私からみたドイツ人は、同じ人間の形をした別の種類の動物のように目に映る。私とドイツ人の間には、たとえ一歩先にその相手がいたとしても、冷たく硬い石の壁が高く隔たっているのだ。かつてこの都市に存在していた、人々の自由と権利を分断した石壁のように。

おそらくドイツ人からみた私も、同じように奇異な存在なのだろう。
いや、ドイツ人からみた日本人の私の方が、よっぽど理解不能な存在として奇妙に立ち尽くしているだろう。
なぜなら、世界的に見れば、アジアの端っこにある小さな、そして奇怪でエキセントリックな文化を有している島国の方が、よっぽど物珍しい存在であることは間違いないからだ。

日本人は、自分たちのことを卑下して「ガラパゴス化している」だとか何とか言う。それ自体に間違いはないのだが、その溝は彼らが想定しているよりも圧倒的に深く、底の見えない真っ黒な谷間なのだ。

先に断っておくが、私はこの一連の記事を通じて、「だから日本はこんなに遅れている」だとか、「日本も世界に追いつかないといけない」的なことを言うつもりは全くない。私はむしろ、日本の文化的にも地理的にも、あらゆる面で世界から隔絶された環境で生まれ育ったことを、何より人生の幸運だと考えている。

文化はその中心部ではなく、むしろ周縁から成り立っているということ、それは私の考えを形成する一つの柱であるが、世界は徐々にその周縁を失っていることは明らかだ。アメリカという巨大な渦がその中心にいる。
日本はまだかろうじて、その渦の中に入りきっていない。
では我々日本人は、どこに立っているのか?


それが私がドイツで暮らすことを選んだ、最も核となる動機だろう。

文化の溝というのは、想定していたよりも深く、致命的に暗いものだ。一般的に語られる言葉とは異なる言葉で、私はその溝の深さについて、語りたいと思う。
そこから何が導き出されるのかは、私自身知る由もない。だが、私は自分の中の空虚を一度バラバラに破壊しないことには、どこにもたどり着くことはできない。

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