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人生を60歳で終えたいって話

学生を終えて、社会人になって7年ほど経った。その間に僕は3回転職した。
20代で転職を3回経験って社会的に見たらきっとあまりよろしくないのだろう。少なくとも僕の親世代の人らにその話をすると冷ややかな目で見られる。

●世の中のことを何も知らなかった20代前半

「僕はこの行動を起こすのは社会的にどうなんだろう?」こういった社会の目を気にする事が20代前半の僕はよくあった。
というよりは大人たちがそう言うのだからきっとそれが正しいのだろうと社会のことを何も知らなかった僕はそう自分に言い聞かせる事しかできなかった。
だから最初の会社では体を壊して動けなくなるくらいまでにならないと自分で考えようとも思わなかった。
体を壊してからの日々は今でも考えたくないくらいに辛い日々でわかりやすい例だと
・ご飯を食べても味がわからない
・何も考えていないのに急に涙が出てくる
・手の震えが止まらなくなる
・喜怒哀楽の波が凄まじい

など今、考えると体に異常が起きていた事がすぐにわかる。
色んなことがあって今ではなんとか復帰できたと思っているけども当時、僕とよく行きつけのラーメン屋に一緒に通ってくれたライブハウスの店長には本当に助けられたなと思う。
まさに「地獄」の躁鬱から復帰した3年前の話⇦詳しくは過去記事にあります。

●楽な職場でもずっと付き纏ってきた一つの気持ち

2社目の会社は当時のバンドマン仲間が紹介してくれた会社でその会社で配属された職場がびっくりするくらいに楽な業務内容だった。
おそらく会社にいる時間でまともに働いている時間は3時間もないくらいだったと思う。とにかく暇だし、自由だし、それでもちゃんと給料がもらえる。側から見ればいわゆる超絶ホワイトな職場。
その暇つぶしに始めたブログが今でも続いているし、正直ここまで続くとは思わなかった。色んな人からありがとうと言ってもらえるし、僕自身もこのブログがなかったら今の僕はないとも思っている。
でもそんなホワイトな職場にも関わらず、僕にはずっと付き纏ってきた気持ちがあった。それは何かと言うと…。「つまらない生活だなぁ…。」
これがずっと付き纏ってきていた。楽とは言えど仕事に対してやりがいなど一切なかった。高望みしすぎなのだろうか?そう考えた時もあったけど自分の気持ちと真剣に向き合った時にはやっぱりつまらない生活というのに違いはなかった。
「贅沢なことを言うな」そう親にも言われたことがあったけどもこのままずっとこの気持ちを引きずって生きていくことの方がずっと辛い…。
そう決心したタイミングですぐにその会社を飛び出した。

●興味のあることでサラリーマンとして働いてみた3社目

じゃあ興味のあることを仕事にしてみれば良いのではないか?
そうすればやりがいもあるだろうし、つまらない生活だと思う気持ちもきっと無くなるんじゃないか…。そう思って興味のあることを仕事にしてみた
これでダメだったら世間一般的なサラリーマンという生き方が自分に合ってないと折り合いをつけることができる。
しかしそのためには僕はどうしても失わなければいけないことがあった。それはDTMの講師をやめなければいけないということ。
それを天秤にかけられたが正直僕はまだ講師だけでは食っていけるほどではなかったし、自信もなかった。だから僕はDTM講師としての道を経ってまで、その道に行ってみた。
結果として僕が感じたのはサラリーマンに向いていないと言うことだった。
DTM講師と言う自分を失ってまで行った道の先でその絶望が立ち塞がった。
自分は今、一体何者なのだろうか?そんな気持ちで埋め尽くされていって、ついにはその時は好きなDTMも何者でもない自分にとっては筆が進むわけもなかった。

●28歳で人生の覚悟を決めた

・サラリーマンに向いていない自分
・やりがいのない仕事では生活はつまらないと想い続ける自分

もうこれらを受け入れた上で自分で道を切り開いていくしかないんじゃないかと考えるようになった。
結果として僕はDTM講師に復活、音楽関係の仕事、などで生きていくと決めた。もう会社員という生活をやめにしよう、今もハッキリとそう言える
老後はどうするのか?家庭を持つことは?お金は?など問われることがあった。とりあえず家庭を持つことは今現在では諦めた。
お金は自分一人生きてけるくらい稼げればそれで良い
老後に関しては年金はもらえないだろうと見越して、60歳までに人生を終えたいと考えている。
じゃあ音楽で食えなくなって、サラリーマンに逆戻りすることになったらどうするのか?それも一晩、悪い頭なりに考えた。
サラリーマンに逆戻りするくらいならば自決する道を選ぼう。そう決めた
これもある意味、絶望の一つであり、希望への道筋かもしれない
そう考えれば一生サラリーマンの道なんて生きてる限りは有り得ない。
60歳まであと32年間、もしかしたらもっと早く終わることだって自決という選択肢に直面すれば有り得る。
でもどうせ未来のことなんて考えたって明日生きられる保証なんてどこにもない。これも自分の親父と音楽仲間に教わったことの一つでもある。

●一つ一つの充実感に貪欲に生きていく

生活に自分が心地良いと感じられる充実感に貪欲に生きていればきっと悪い結果にはならないんじゃないか?そう信じて明日を迎えたいと思うようになった。
「君を信じて良かった」と自分のDTMの技術やノウハウを通して言ってもらえることに素直に喜びを感じるし、これからも僕自身が誰かを想って信じて生きていく。
お金や名誉を目的とした生活は一時的に僕を満たしてくれることはあってもつまらないと言う気持ちが付き纏うことは嫌でもサラリーマン時代に味わってきた。
だから生活の中にある一つ一つの充実感を噛み締めて60歳まで自分の人生をこれからは存分に楽しんで生きたいと胸を張って僕は言う。
これを読んでくれた人で今現在、何か踏み出せないことがあったとしたら何かのきっかけになれたら嬉しい。

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