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余命宣告

「健一の大学はオンライン授業なのか。健司は今夜も塾か。君は仕事だな。じゃあ、行ってくる」
「行ってらっしゃい」

「李係長、おはようございます」
「おはよう」
 席に着くと、健康診断の結果が机に置いてあった。「要精密検査」と書いてあった。
 李には、数年前から毎回腎臓でひっかかる数値があった。しかし、病院に行くと毎回「まだ治療の必要はないので経過観察ですね」と言われていたので、またか、と思った。
 しかし、よく見ると数値がかなり悪化している。ステージが進んでしまっている。急に不安になってきた。

 早退して、いつもの近くの病院に行くと、「数値が良くないですね。うちでは見れないから、病院を紹介します」と言われた。紹介状をもってそのままその病院に行った。

 若い医者が数値を見ながら、
「この数値だけ突出して異常なのが気になりますね。このペースで悪化していくと、あと数年で命に関わる状況になります。まずは精密検査をして原因を探るところから始めましょう」
と、言った。
 別の日にまた早退して精密検査を受けた。結果は一週間後とのことだった。
 
 あと数年でこの世界から消えると思うと、仕事の重みは、消えていった。あるいは、この気持ちの軽さは、あと数年で仕事から解放されるという喜びなのかもしれなかった。

 ほんとは、仕事なんか、好きじゃなかったんだ。

 李は、初めて自分の本心に出会えた気がした。世界が明るくなった。
 これまで、自分を殺して、生きてきた。それは、少し間違った生き方だったのかも、と李は思った。

 翌日、李は会社に一週間の休暇を申請した。「珍しいね」と課長は言ったが、繁忙期ではなかったので休暇は認められた。

 そのまま会社を出て、李は、休暇で家にいる妻を驚かせようと、連絡せずに家に帰った。

 玄関を開けると、見知らぬ大きなスニーカーが脱いであった。寝室からは妻の声が聞こえてくる。李はキッチンで果物ナイフを手に取り、寝室に向かい、寝室のドアをそっと開けた。

 下半身裸の大男が妻に覆いかぶさっている。上半身は宅配便の制服のようだった。取っ組み合いになれば勝ち目はない。李は男の首を刺した。
 男は横に転がり、李は吹っ飛ばされた。男は自分でナイフを抜いた。血が勢いよく天井まで噴き出した。部屋は血の海になった。しばらくすると、男は動かなくなった。

 李は妻を見た。妻は怯えて震えているように見えた。
 ふと、健一はオンライン授業で家にいるはずだと気づいた。
 李は健一の部屋に走った。
 健一はダクトテープで手足を巻かれていた。口にもテープが張られていた。口のテープをはがすと、健一は泣き始めた。李はほっとした。
 警察の事情聴取では、たまたま寝室にあった果物ナイフで応戦し、もみ合ううちに相手の首に刺さったと話した。警察官は全く信じていないようだった。
「正直に答えてください。あなたは、一体何者ですか」
「ただの、会社員です」
「あなたは相手の首を一突きして仕留めている。これは素人にできることではありません」
「夢中だったもので。偶然です」
「そうですか」

 李が家に戻ると、妻は医療措置を受けて帰ってきていた。李は特殊清掃サービス会社に清掃を依頼した。 

 李は外に出ると、衛星携帯端末を取り出し、電話をかけた。
「あと数年の命になった。もうやめたい」
「そうか。では最後の仕事を引き受けて欲しい。それが終わったら引退していい」

 我々の組織に深く入り込んでいるスパイのリーダーが誰か分かった。スパイメンバーを聞き出すんだ。そして、リーダーを消せ。メンバーはこちらで消す。

「気分転換に温泉にでも行かないか」と李は妻に言った。そうね、と妻は言った。

 夜、二人で温泉街をぶらぶら歩きながら、李は言った。
「君はスパイだったのか。だから私と結婚したのか。全然気づかなかったよ。だが、ばれたみたいだ。私に君を殺すよう指令が出た。でも私にそんなことできない。君を愛しているんだ。仕事なんか好きじゃなかったって気づいたし。君の作戦は何であれ失敗した。あとは国に保護してもらって別人として生きろ」
「一体何の話。私はレイプ被害に遭ったばかりなのよ。わけのわからない話はよして」
「君ならレイプ犯を殺すことはできたはずだ。だがそれでは私に疑われる。それを避けるため、被害者になることを選択した。仕事熱心なのはいいが、頑張りすぎだ。私はおそらくあと数年の命だ。仕事に価値なんてないんだって分かったんだよ」
「私を逃がしたら、そのことすぐにばれるわよ。あなたが消されるわよ」
「いいんだ。なんとかする」

「同志、残念だよ」と言いながら、木の陰から男が現れた。油断していた。
 李を取り調べた警察官だった。
「李さん、私はあなたの同志ですよ。レイプ犯殺害の件、あなたが無罪になるように上手に調書を作成してあげました。それなのに組織を裏切るとは」
 李は男に飛びかかった。だが李は首を絞められてしまった。意識が薄れていく。くそ、ここまでか。
 カチっという音がして、男の力が抜けた。妻が超小型の消音銃で男の頭を撃ったのだった。
「警察にまであなたの組織のスパイが入り込んでいるのね。でも今、仲間に作戦実行を命令した。今頃あなたの組織の幹部は全員逮捕されてるわよ。これで私の役目は終わり。あなたも組織に追われることはもうないでしょう。残りの人生、楽しくなりそうね」

 休暇の残りは、移住先の検討に使った。

 休み明けに、病院に医師の説明を聞きに行った。医師は、
「健康診断の腎臓の数値は、年齢以上に筋肉量が多いと誤差が多く出るんです。精密検査で誤差がない方法で調べた結果、全くの健康体でしたよ。組織にもお伝えしておきました」と言った。
 李は医師に飛びかかった。
「組織ってどういうことだ」
「ちょっと、落ち着いて。課長さんが心配されて病院を訪ねて見えたので、健康だったという結果をお伝えしただけですよ」
「課長に検査のことは何も言ってないんだよ」
「きっと産業医から伝わったんですよ。李さん、落ち着いて。どうされたんですか」

 李は病院を出て、駐車場に止めてあった車に乗り込んだ。エンジンをかけた瞬間、車が爆発した。李は死んだ。同じころ、李の自宅も爆発した。妻は死んだ。子どもたちは外出中で無事だった。



 

 
 




 

 


 
 
 


 
 

 
 




 

  

   



 





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