真逆 偽りの自分と本当の自分
平均的な凡人は、自分が思っている自分と、本当の自分が、ちょうど正反対になっている。大人物とされる人になっていくほど、この差が小さくなっている。悟りを開くとは、この差がゼロになることである。
「真面目な人が鬱病になる」というのは真実ではない。自分は真面目だと思っている人が鬱病になる。鬱病者の正体は真面目の真逆で、無責任極まりないのだ。そして、そのことを本人が自覚したときに、完治するのだ。
人は行動で判断しなければならない。口先では何とでも言える。行動が真実を表す。鬱病者の行動を見てみよう。仕事をさぼって、家で寝ている。これが真実だ。それが彼(彼女)が本当にやりたいことであり、実際にやっているのだが、「心の病気のせい」でしかやれないことが問題なのだ。真面目の仮面を外してしまって、私は怠け者だ、仕事なんかしたくない、家でゴロゴロとしていたいんだとはっきり自覚できれば、その人は、鬱病ではなく、ただの怠け者になる。こういう形で治る。でも、怠け者なんて嫌だ、だけど怠けたい、となると、鬱病になるしかない。鬱病になることが、自分の夢を実現する方法なのだ。
鬱病になる人は、「真面目」の仮面のほかに「良い人」という仮面もかぶっていることが多い。行動をよく見てみよう。上手に良い人を演じている。しかし、常にかすかな違和感がある。その違和感は語尾にふと現れる。鬱病になるような人は、冷酷な呪いの言葉を、最後に、ふっと、人に向かって平然と吐く。相手のことを思いやる心のある本当に良い人は、そんなことは絶対にしない。つまり、鬱病になる人は、自分のことしか考えていない利己主義者なのだ。で、結局、自分は良い人じゃなかった、人を人とも思わない醜い利己主義者だったと気づけば、鬱病は治る。
仕事なんかやりたくない、他人など死のうがどうなろうが構わない、私は怠け者の利己主義者だと認める勇気が大事だ。そう簡単にできることではないが、不可能でもない。そのうえで、それを直したいと思うならそう努力すればよい。行動を変えることはできる。私は怠け者だから怠けないように頑張ろう、私は利己主義者だから人に尽くすようにしよう、と生きるとき、その人はもはや怠け者ではないし、利己主義者ではない。
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