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貨幣は宗教

お金ってただの紙と金属のコインですよね。どうして皆さんお店で紙と価値のあるものを交換してもらえるのでしょうか?

※苦情、批判は受け付けませんw

お金の原価

原料費込みの原価は1円玉が1.8円、5円玉は2.3円、10円玉は3.6円、50円玉は8.7円、100円玉は15.3円、500円玉が64.5円くらい。紙幣の原価は千円札でも1万円札でも同じ約17円。少し古い引用だがこのくらいらしい。今はコモディティの価格が上がっているので、もっと高いでしょう。残念ですが、造幣局では公式に発表はしてません。

お金の価値って?

お金の価値はお金に書かれている金額に決まってるじゃん!ですよねー、というわけではありません。20年前に100円で買えた缶ジュースは今は120円。野菜や卵などの生鮮食品も同じ金額では買えないですよね。そもそもどうして缶ジュースが原価13.5円の100円玉で買えちゃうの?

不思議じゃないですか?

私が決めました!って言われて信じる人はいないですよね😅
もちろん日本政府が決めたんですね。でも最初にお金をもらった人は「えー嘘くせー」って思ったでしょうね。なので昔は金と交換できる金本位制など、政府が信用ならなかったので、裏付けのある貨幣でした。しかし今は本当にただの紙と金属のコインです。

現在の貨幣は政府がそれが1万円札だと言っていることを国民が信じているから、1万円という価値を持っています。そして現在では1万円札そのものを信じるようになりました。政府を信じられない人でも1万円札は信じてますよね😅(私もその一人w)

まさに宗教です。神様はお金そのものです。もはや神様は政府ではありません。(宗教に例えるとですよw)

マクロ経済論では信用貨幣論というのがあります。Wikiが分かりづらいのでニコニコ大百科から引用します。

信用貨幣論において、通貨とは負債を記録したデータ(負債証明書)であると定義する。

負債証明書のことを英語でIOUという。IOUは、「I owe you(私はあなたに対しての負債がある)」の略語である(辞書exit)

発行した人が資産を譲渡することを約束した負債証明書が、人から人へ渡っていくようになったら、それを通貨と呼ぶのである。

負債証明書は発行した人にとって負債であり、入手した人にとって資産になる。負債と資産は対義語である。簿記や貸借対照表(バランスシート)の知識がわずかでもあると、そういう理屈を理解しやすい。

発行した人が律儀に資産を譲渡することが信用されていないと、その負債証明書は通貨として流通しない。発行した人への信用があると、その負債証明書は通貨として流通する。
ニコニコ大百科

つまり負債証明である貨幣を発行した政府が信用されることが重要ということです。しかし前述した通り政府とお金ではどちらを信じていますか?お金と答える方がほとんどではないでしょうか?ですのでこの信用貨幣論はすでに古い考えかなと思っています。

次に国債本位制について。これはWikiから引用します。

その国の中央銀行が発行する貨幣(当座預金、中央銀行券)によって、その国の政府が発行する国債(元本保証と金利保証がある)を購入できるし、その国債をその国の中央銀行が発行する貨幣(当座預金、中央銀行券)に交換することもできるし、その貨幣によって物やサービスをその国において十分に購入できるために必要な、生産と流通と決済の仕組みが維持されている事である。
Wikipedia

超簡単に言えば国債を中央銀行(日銀)が買い取ってるから通貨の裏付けになるんですよーってことですが、一般の人がこんなことを知っていることも少ないでしょうし、意識してお金を使う人もマクロ経済学者くらいでしょう。そしてこの場合、日銀が通貨の価値を決めているということにしないといけなくなります。国債は政府にとっては負債であり、日銀にとって資産であるからですね。負債を作っている政府が通貨の価値を決めてもなんの説得力もないですからね。

次に現代貨幣理論MMTです。本家ポストケインズ論とインチキ日本歪曲論があります。

本家の方は貨幣を政府が発行するものであり、国家の創造物と捉える表券主義の立場を取る。表券主義とはある固有の国家がその国土内で財やサービスとの交換を可能とするために発行し、法律によって税の支払いなどを唯一認める貨幣の内在価値を表すという貨幣理論のこと。

簡単にいうと政府が自由に発行できて、国内で購買できるものであり、税の支払いに使わなければならないと法律で決められた貨幣ということです。

債務に返済にも使うことができるとなっていて、それって通貨発行益シニョリッジの活用になってしまって、円の暴落は間逃れないですよね。現代のグローバル社会では通用しないと考えています。

一方でインチキ日本歪曲論は、要は国債本位制です。本家の貨幣発行部分だけに国債本位制を導入して、どんどん国債を発行した分、通貨の発行できるよ!といった内容です。

なんかどっちもインチキくさいですよね。和製MMTに関しては、別の記事を書いているのでそちらを読んでくださいね。

それで?お金の価値って?結論出てないじゃん!

と思ってますよね(ーー;)
結局、もう国民はお金自体に価値を持ってしまってます。だからお金が基準、芯にあって、値段が上がった(インフレ)、差がった(デフレ)となっている状況です。これが一般国民の皆さんの感覚です。

ここまでが国内のお金の価値について。

ところがグローバルにみるとそうではありません。為替市場で通貨は取引(通貨交換)されますが、この時のレートは需給で決まります。この需給とはいくつか要素がありますが、外国と日本の金利差、それと実需といって実際に国際取引を行っている企業や個人、政府の需要です。グローバルでの円の価値というのは為替市場で決まります。ドル円だけの為替市場での1日の取引高は700-800兆円。国民の手におえない市場です。
この影響は輸出入及び、海外子会社・工場の配当など第一次所得収支に出てきます。
円安円高の仕組みや効果は詳しく書きませんが、直接的な国民への効果は、輸入物価です。働いている人も働いていない人も、大人も子供も高齢者もこの影響は受けます。円高なら輸入物価が安くなり、円安なら輸入物価は高くなる。現在は円安でいろいろな物価が上昇してますね。(本当はコモディティ価格の高騰も関係しています)

つまり国内のお金の価値の変動とは別に、為替によるお金の価値の変動もあるのです。これは国民が信じるとか宗教的な価値ではなく、国民にとっては強制的なものです。

これでお金の価値は「国内の宗教的な価値と、グローバルの強制的な価値の融合」で決まるということが分かったでしょうか。これはあくまで国民視点からの価値です。

おわり

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