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講談師神田伯山新春連続読み「寛永宮本武蔵伝」完全通し公演 4日目

1日目に物販で購入し3日目に手元に届いた、伯山先生のサイン入りの『ひらばのひと』1巻2巻。公演に向かうために自宅を出る直前に一気読みしました。

マンガでテンポよく描かれる講談の場面で、講談を直に聴いているような気持ちになりました。
また、前座や二ツ目の講談師が悩みにぶつかる場面などは、真打の講談師の先生方もこんな経験を重ねて来たのかもなぁと思うと感慨深いものがあります。

さて、4日目の感想に入っていきましょう。

九話 玄達と宮内

武蔵は手裏剣の名手、毛利玄達の手裏剣を二刀流で打ち落とす修行をします。その後、弓矢の達人の宮内の弓矢を打ち落とす対決をし、見事に勝ちます。

そんな早業できるわけねぇだろ!な描写が続く、でもだからこそコミカルで面白い話でした。
このあたりから、武蔵が行く先で顔割れする場面が増えてきた気がします。旅の道中で名声がさらにどんどん広まっているという設定(?)なのでしょうか。偽名「ミヤタブスケ」が本名に遠からぬ名前だから余計に特定されやすいのでしょうか。

十話 天狗退治

顔割れしないように夜のうちに旅を進めようとする武蔵。茶店で「夜は天狗がイタズラをするから」と止められるが、ならば退治してやろうと道を進んでいく。結局天狗というのは2人組の侍でしたというお話です。
天狗ごときには絶対に傷などつけられないであろう武蔵ですから、なんとなく安心感を持ちつつ展開を楽しんで見守れる話だったように感じます。

ここの最後の場面で吉岡又三郎と出会い、せっかくだから試合をしようではないかとなるのですが……ここで話を切るのが、さすが講談ですね。

十一話 吉岡又三郎

又三郎と試合をすることにした宮本武蔵、なんと気が変わりまして、先を急がねばならぬから試合はまた後日、と去ってしまう。
……こんな展開、日付をまたいで聞いてたらお客さんはキレてしまう展開ですね(笑)

でも結局、紆余曲折あって再び出会うこととなり、二刀流vs竹べらで熱戦を繰り広げます。
最後に2人とも同時に潔く「まいった!」と言うところに武士のかっこよさを感じたのは私だけでしょうか。

十二話 熱湯風呂

武蔵が歓待を受けた道場の道場主が、実は武蔵が序盤で殺した沢田杢左衛門の義兄弟でした。

そうとは知らない武蔵が風呂を勧められて湯船に浸かっていると、風呂の戸に釘を打たれ熱湯を注がれ仇討ちをされそうになります。
しかし武蔵は死んだふりをし、戸が開かれた後に大暴れをして助かります。

伯山先生も仰っていましたが「全身をやけどするも武蔵には“皮膚の鍛錬”があったために助かる」って一体どんな状況なのでしょう。
普段は油断も隙もない武蔵が油断している時に仕掛けられる攻撃に、普段とは違うハラハラを感じながら聴けるのが楽しい話でした。

十三話 桃井源太左衛門

ボケているのかもしれないレベルのおじいちゃんが大活躍をする、老人ホームのお年寄り達に大ウケのお話。

居酒屋で自慢話ばかりをし、同じ居酒屋にいた武蔵の悪口を言い怒らせて戦おうとする、桃井源太左衛門道場の門弟。客の老人がその門弟を叱り、師匠を倒すと言って桃井源太左衛門を素手で倒してしまいます。
実はこの老人は伊藤弥五郎で、一部始終を影で見ていた武蔵は教えを乞います。

話を聴いて興味深かったのが、老人が、弟子への教え方が悪い桃井源太左衛門のことを「ボウフラ」と、その門弟のことを「ミジンコ」と言う描写。
まさか明治の頃からあった言い回しではないですよね? 松鯉先生の脚色なのか、もう少し先代の脚色なのか……?と興味を抱いてしまいました。
そもそもミジンコが常識として世間に知られるようになったのはいつ頃なのだろう?


ところで、武蔵の話は度々「オカザキ」で繰り広げられるのですが、愛知の岡崎なのかどこか他のところなのかずっと分からずに聴いていました。

調べてみると答えは愛知の岡崎らしいのですが、地元民の「岡崎」のアクセントって「↓お ↑か ↑ざ ↑き」じゃないですか。
それを「↓お ↑か ↓ざ ↓き」と中高型のアクセントで聞くと全然知らない場所かなって感じがしますね。

標準語で読めば後者になるのは疑いないことでしょうし、地元民とて人名の「岡崎」さんなら後者の読み方をすると思うので、後者の読みをおかしいと思う必要はないのでしょう。しかしアクセントひとつで印象が全然違うということを発見させてもらえました。

そしてこの4日目の話、“だれ場”にあたるそうなのですが、全くそうは感じずに楽しめました。
武芸の世界に知っている人名が多い昔の人にとっては無名の人だらけらしいこのあたりの話は“だれ場”かもしれませんが、自分は元々人名に疎いから、むしろただ剣術で腕を磨くだけではなくバリエーションに富んだ経験を積む武蔵の描写が楽しく感じられたのかもしれません。
単純に、“だれ場”をおもしろくできる伯山先生の力量ありきではあると思います。

さあ、いよいよ次が最終日、楽日です。
仕事を休暇にし続けて参戦したのもあってか、これが終わったらもう現実に引き戻されてしまうような寂しさがあります。
最後まで聴けばきっと、連続読みのおもしろさをもっともっと知れるのでしょう。楽しみです。


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