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のらぼう菜と春菊

晴れた日の昼食後。次男を寝かしつけて長男と遊んでいると

ピンポーン

インターフォンが鳴ったので、何か荷物かしら?と思い出てみると、お向かいのおばちゃんだった。

どうやら畑でのらぼう菜と春菊が取れたのでいただけるらしい。のらぼう菜はここらへんで取れる野菜で、農産物直売所などに行くとこの時期よく並んでいる。耐寒性に優れているため、江戸が飢饉だったときに人々を飢えから救ったそうな。ナバナの仲間なので、菜の花などと同じような味がして美味しい。

お向かいのおばちゃんは畑をやっている(といってもレンタル畑の家庭菜園だが)ので、たくさん野菜が取れると時々分けてくれて助かる。

さて、こんなことを書くと人付き合いが面倒そうだとか言われたりする。都会は人間関係が希薄だけど気楽で良い。田舎は人間関係が手厚い分、ムラ社会で生きにくい。というような話だ。最近見た記事では、都会から田舎に移住して、地域おこし協力隊にも参加していたが、ちょっとしたことで地元の人と険悪になり、他の地域にまた移住したというような話もあった。

このニュータウンはどうだろうか?確かに都内に住んでいた頃は集合住宅に住んではいたが、隣や下にどんな人が住んでいるのかというのは壁伝いに聞こえてくる声からしか判断できなかった。なんとなくお互いに鉢合わせるのを避けていた趣もあって、ほとんど顔を知らなかったのだ。それに比べると、今は隣近所の人の顔が見える安心感がある。それを面倒だと感じる人もいるだろう。

しかしながら、そこまでお互いの距離感が近いわけではないというのも感じる。同時期に分譲され、引っ越してきた同じくらいの世代の人たち。自分たちでこの町を作り育ててきたんだという一体感は持っているが、反面、お互いに違う前半生を送り、過ごしてきた人たちでもある。人間関係を拗らせない適切な距離というのを弁えているのか、あまり深いところまで踏み込んではこないのだ。もしかしたら世代の差で感覚が違いすぎる側面もあるので踏み込みにくいのかもしれない。

兎に角、それほどずけずけと土足で踏み込んでくるような人はいないので過ごしやすいというのもある。前掲したような極端な二極化の話ではなく、地域、土地によって人間関係の濃さ、距離感というものはグラデーションがかかっている。そういう意味でこのニュータウンという場所は、田舎すぎず都会すぎず、ちょうど良い人間関係の中で過ごすことができる場所の一つと考えて良いのではないかと思う。

少なくとも、今まで職場の異動に合わせて住む地域を転々とし、地域住民との人間関係を希薄に過ごしてきた僕にとってはちょうどいいと感じることのできる距離感の場所なのだ。

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