アレマンのタコ踊りとショーロ
やっつけな5人のギタリストと曲、オスカー・アレマンって一人だけでやっている曲はあったかな?あった。
静止画像のギターはマカフェリだけど、使用しているのはリゾネーターでナショナルのトライコーンだと思う。(マカフェリもリゾネーターが付いているというツッコミはアレで・・・)この時代にこんなギターを使ってこんなジャズをやっていたのか!というのが初めてきいた時にとても印象的だった。今日改めて知ったのは、1938年にコペンハーゲンで録音されているという事だ。アルゼンチン出身でジャズやってる人がフランスで金属ギターと思っていたらドイツだったとは。当時のドイツの事は何も知らない。フランスではアレマンも好きだったらしいジャンゴがもう活躍していただろう。ドイツでもこんな音楽が人気だったのだろうか?
アレマンの他の動画では、久しぶりに見た!このタコ踊りが本当に凄いと思う。こんなに足をクネクネさせながら彼は演奏していたのだ。マイケル・ジャクソンもびっくりじゃないか!これを初めて見た時は本当に衝撃的だった。生で見て失神したい!
音でしか知らなかった時には彼がこんなに歌って踊ってのエンターテイナーだとは知りもしなかった。チャーリー・パットンとかロバート・ジョンソンなどの昔のブルースマンと言われる人たちは、実際にはライブでブルースに限らずいろいろ演奏していたという話を聞いた事がある。アレマンだってジャンル問わずいろんな音楽をきかせていたのだろうなぁ。
ついでにネットで調べてみたら今はアレマンに関する情報が日本語でもちらほらと出てくる。とは言え出どころは同じようだ。中にはハワイアンもだなんて書かれている。ん?アレマンのハワイアンはきいた事ないけど。あるならきいてみたい。見つけられたのはこれ位。
いやはや、これはハワイアンじゃないけどタンゴのハワイアン、1927年にこんな事をやっていたというのに驚きと喜び!その昔ハワイアンがどれだけ流行ったかを再認識させてくれる。ギターのスライドはジャズにもブルースにも大いに影響し、南米にいたアレマン達にまでも。
アレマンについて一番興味深く、感謝したいのがこちらのサイト。http://www.tangology101.com/mobilemain.cfm/id/1116 https://translate.google.com/translate?hl=ja&sl=en&u=http://www.tangology101.com/mobilemain.cfm/id/1116&prev=search&pto=aueリゾネイターギターの事をハワイアンギターと書いてあったりするけども。
おそらく初めてメジャーに販売された、アコースティックディスクのアレマンの2CDの解説やその他のサイトを拝見し、初めて知ったり再確認した事は
1909年アルゼンチン出身で、ブラジルに行っていた時期もあり、ブラジル音楽の影響を強く受け、カヴァキーニョやギターを弾いていて、少年時代に両親を相次いでなくして生きるために何でもやり、音楽は正しく生きる手段でもあったようで、アルゼンチンで初めて録音し、1929年にヨーロッパに渡り、主にフランスで活動しドイツやスペイン他でも活動し、その頃にエディ・ラングに影響を受け、フランスでとても人気を博し、ジャンゴ・ラインハルトとマブダチでもあり、1940年には戦争の影響でアルゼンチンへ戻り、ブランク期間を挟みながらも1980年に亡くなるまで活動を続けた。
アレマンの音楽をきいていて、ショーロ曲Delicadoがあったのに気が付いた。これまた大好きなカヴァキーニョ奏者Waldir Azevedoの曲だ。そうかアレマンはそもそもカヴァキーニョを弾いていたのだから、この曲を弾きたくなるのも納得。Waldir Azevedoの曲はカバキーニョで弾くと本当に気持ちが良い。アレマンのギターできいても楽しくて、ギター曲のように感じる。打楽器的な所はカバキーニョの特徴だしフィンガーピッカーだったという事も含めて少年時代のブラジル音楽は彼を育んだんだなぁと今さらながら感じる。自分がショーロという音楽に出会って、ジェリー・ガルシアからオスカー・アレマンに出会い、こうしてそれらが繋がっていくのが本当に面白い。
最近になってアレマンが実はジャンゴ並みにグレイト過ぎるギター弾きだと一部で囁かれているようで、いやはや確かに知れば知るほどそう思えてくる。ヨーロッパ時代はエンターテイナーっぷりが目立ってギターの良さが目立たなかったのか?という気もする。もうちょっと世のギター好きに知られてもいいんじゃないか?とも思うけど、世間の評価に関系無く強く心を揺さぶられ続けるファンが世界中に少しいるだけでも嬉しい。
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