着せられている犬の気持ちは分からないけど、 飼い主は、かわいくて、かわいくて仕方ないんだろうね。 きっと。
木さんは、旅をする木です。 少しずつですが、自分で移動できます。 言葉を話せます。 あとは、普通の木と変わりありません。 木さんが歩き疲れて休んでいると、一匹の犬がやってきました。 「やあ、こんにちは。」 犬は、びっくりして木を見上げました。 そして、トボトボ木に近づいてくると、 しょんぼりと根元に座り込みました。 「いったい、どうしたんだい?」 木さんは、犬に優しく話しかけました。 「ドックランで、パパと楽しくすごしていたら・・・」
ホテルのベルパーソンは、口をポカンとあけていました。 確かに「木」という名の予約が入っていました。でもまさか・・・・。 「驚かせてすみません。でも、きちんと代金はお支払いしますし、一泊させてもらえませんか?」と『木さん』。 「お客様、少々お待ちいただけますか?」 入れ替わりで出てきたのは、このホテルの支配人。 ホテルの支配人も、木さんの姿を見て内心ギョッとしましたが、平静を装いこう言いました。 「あいにく、当ホテルには、 お客様のサイズに合うお部屋がございま
窓から見える木。 不思議な事に、時々1枚の葉っぱだけが、激しくひらひらしていることがある。まるで、何かメッセージを送っているかのように。 そんなわけで、心で時々、「木さん」と呼んでしまうことがある。
月球儀を回すと、地球上では見ることのできない月の裏側が見える。 見てしまっても、尚、夢想してしまうおとぎ話。 かぐや姫のいる雅な宮殿とか、月の兎がついているお餅はどんな味がするだろう、なんてことをね。
鍵を回して講堂の扉を開ける。古い建物のにおいがする。 懐の深いおじいさんみたいな空間が出迎えてくれる。 傷だらけの古いピアノの蓋をあけてそっと指を置く。 どんなピアノだって時々弾いてもらったほうがいい。 頭の中が少しずつ静かになって、気持ちが落ち着いてくる。 今夜は新月。 月のない夜。 星々が輝いて見えた。
星があんまり流れてくるものだから、 つい、仕舞い込んでいた楽器を取り出して吹いてみた。 流れ星が大気圏に落ちて消えるまでの、その音を聞いてみたい。
谷内六郎の描く女の子。 こけしに似た顔立ちだと思った。 シンプルな顔だから簡単にマネできる、と思ったらこれが大間違い。 口を付けると(注:この絵は切り紙で作っている) 余計、似て非なるものになってしまうので、 このあたりで妥協した。 谷内六郎の女の子は、たぶん、谷内六郎にしか描けない。
海辺に行くなら、旅のお供は藁の籠でよいが、 飛行機の旅に便利なのは、やはりキャリーバッグだろう。 飛行機に乗ったのは、わずか1回きりだ。 その時、キャリーバッグを購入し、他の用途にも便利に使っていたのだが、 車に積みっぱなしにしていたのが悪かった。 片側だけ日に焼けて変色してしまい、泣く泣く解体し捨てた。 携帯一つ持って、身軽に出かける。 そういう話を聞くと、もう、何とも言えない気持ちになる。 サムネイルは、古い雑誌に載っていたバッグ。 これがどういう物かもわからないが
麦を表現するのに、本物の麦の穂を見ようと思ったが、面倒なのでやめた。 私が持っている麦は、自分の宝箱に入っているのだが、滅多に開けないので下の方にある。しかもその上にはよく使う物が積み重なっていて、全部出してしまわないと箱を開けることはできないのだった。 そこで、絵本を開いて見ることにした。 「フレデリック」 レオ・レオニ 訳 谷川俊太郎 好学社 (以下、画像引用) (なあんだ。これでいいのか。) 不遜にもそう思う。 そ
アン・モロー・リンドバーグの「海からの贈り物」に、 禿げちょろの藁の籠が出てくる。 ああ、こういう経験が、私にもあるなあと思う。 そして、禿げちょろの藁の籠という記述によって、浜辺を吹いてくる風や、波の音、海の色などが鮮やかに想起されるのだ。 藁と言えば、日本では稲を連想させるけれど、アメリカ人にとっての藁はたぶん麦藁ではないかと思う。当地には麦畑もあって秋まき小麦の収穫が間もなくだ。海も貝殻も好きだけれど、麦もまた好きな物の一つ。