信じる
信じることは難しい。
とずっと思っている。
自分の秘密を打ち明けるだとか、自分の大切なものを預けるだとか、自分の心を託すようなことだとか。
たくさんの友人たち、もちろんみんな信用はしているけれど、その多くはなんというかそんな気合の入ったものではない。言い換えればそんなに期待していないのかもしれない。人はみんな所詮他人で、他人に干渉するには限界があって、おそらくお互いにそんなもんなんだろうと思っている。知らない部分はたくさんあって、ひょっとするとお互いの知らない部分が明るみに出てしまったが最期泡のように消えてしまう縁かもしれない。あるいは少しずつ軌道を逸れていく縁や、どこかで決定的に決裂することだってあり得ると思う。たぶんわたしはある程度、そういう前提を抱えて生きている。そういう前提の上で、それでもわたしなりの100%としてみんなのことが好き。
でも中にはすごく信頼しているたち人もいる。もちろん相手の本当のところを完全に理解しきることはできないけれど、少なくともわたしはお互いのしょうもなさや情けない部分をある程度受け入れた上で、その上であなたたちは最高だねって思い合えていると思ってる。きっと相手もそう思ってくれてるだろうと思ってる。たぶんそれがわたしにとっての本当に誰かを信じるってことなんだと思う。
ディティールが異なっていても、全体で見ればきっと同じ倫理観で生きている人たち。大切にしたいことが大きく異なることはないだろうという安心感。信頼。
もう一度言うけど人を信頼するのは難しい。すごく時間がかかることだし、時間をかけて培った信頼がぼろぼろと崩れてしまうことだってある。あるいはきっと知らないうちに誰かの信頼を裏切っていることもある。
もうそういうのは諦めたよって人もいるかもしれない。現実は少年漫画じゃないんだから。
わたしはわたしを信じているし、できるだけ信じるに足る人間でありたい。でもわたしの信頼基準と相手の信頼基準が同じなのかもわからない。わたしが信じたいと思っている人たちが実際のところ本当に信頼に足るひとなのかなんてきっと一生かけてもわからないのと同様に、わたし自身が相手の信頼試験をパスできない可能性もある。
それでも人を信じたり、信じられたりしたい。信じて傷ついたりしたくない。信じてくれた人を傷つけたりしたくない。
日本人の多くは無宗教だから大きな柱みたいなものも特にないし、やっぱり時間をかけて相手のことを深く知ることでしか構築されえないものなんだろうと思う。
特に何かがあったわけでもないのにこんなこと考えてるのは、たぶん体温が低いからなんだよね〜。あとは出社したのにみんな在宅で一言も話していないから。なんかなあ。
「信頼」みたいな気持ちで作った短歌貼っとくね。いいよ。
・信じることは祈ること コンプトンベルコヴィッチの水のせせらぎ
・おたがいの幹のねじれを見て笑う もっと大きく空へと伸ばす
・ひとのこと信用するのこわいよね ぷっちょあげるよ 凹んでいいよ
ともに星谷麦(@zukki04651)
おわり
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